第1話 事件

文字数 1,197文字

 透き通った四枚の羽。バタつかせるが、うまく動かず、風に乗ることができない。すぐ横を人が通り過ぎていく。すると大きな手が伸びてきて、羽に絡まっていた糸を取った。いつもの感覚を取り戻し、宙に舞い上がる。
「ありがとう」
 顔をのぞき込んで言うが、助けた男性は目を見開き、身を引いた。蝶々だと思ったのが、羽の生えた女の子だった。
「気持ち悪っ」
「初対面で大人がそんなこと言う?」
「何かの新しいサービスか?」
「妖精って知らないの?」
 男性は顔を背け、歩き出す。
「ま、待って。あなた有名な市毛(いちげ)探偵よね?」
「そうだが」
「優秀な助手が結婚して辞めたのよね?」
「プライバシーの侵害で訴えるぞ」
「助けてくれたお礼に、私が手伝ってあげる」
「いや、いい」
「私IQ300なのよ」
「どこで測ったんだ」
「ていうか、あなたには見えてんのね」
「先に言っとけ! 独り言しゃべってる頭おかしいヤツになるだろ!」
 着信音が鳴り、市毛はスマホを取った。
「……分かりました。行きます」
「お仕事、お仕事」
「ついてくるなよ、気持ち悪い」
「失礼ね」

 市毛が着いたのは二階建ての一軒家。家の前にはパトカーが停まっていて、門扉(もんぴ)には『立入禁止』と書かれた黄色いテープが貼られている。警察官に案内されて二階に上がると、廊下で五味(ごみ)刑事が女性から話を聞いていた。
「あっ、市毛くん。こちらは被害者の妻だ」
 軽く頭を下げ、市毛がボールペンとメモ帳を取り出す。
「被害者の名前は比嘉石矢(ひがいしや)、40歳。小説家だ」
「……殺されそうな名前」
「余計なこと言わないの」
「お前だよ」
 肩に乗っていた妖精に言い返すと、五味刑事が眉をひそめた。
「な、何でもないです」
「被害者が倒れていたのがそこの部屋で、今鑑識が調べている。頭には数ヶ所、殴られた痕があった」
 続いて比嘉の妻が話を始める。
「夫と出掛けていたんですが、人が多くて帰ることになりました。昼食に近所のスーパーに寄って鮨を買いまして、醤油をもらうのを忘れたので、夫だけ先に帰りました。私も少し遅れて家に入ると誰もいなくて、夫の部屋に行くと扉が開かなかったんです。外から見るとカーテンがしてあって、念のため警察を呼ぶことにしました」
「扉は中から施錠されていて、我々が破ったのだが、被害者以外に人はおらず、窓も施錠されていた」
「密室ということですか」
 部屋から鑑識が出てくる。
「足跡がありまして、男性が一人入ったと思われます」
「うむ、ご苦労。部屋に行こうか」
 比嘉の部屋に入ると、五味刑事の部下がいた。縦長の八畳で、奥に窓があって机が置かれ、右側の壁にはベッドがある。左側には本棚があり、ズラリと小説が並ぶ中、(いた)んでいない一冊の辞書だけが大きな本だった。床には純金の像が置かれている。
「この像はずっとここに?」
「こんなの見たことないです」
 市毛の質問に比嘉の妻は首を横に振った。しばらく部屋の中を見回す。
「……密室の謎が解けました」
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