第19話 剣に恋をした末路
文字数 3,676文字
言葉にできないまま、カズマは答えを出すことにした。
眠った実感はないが、時間を見る限り数時間ほど落ちていたようだ。朝と呼ぶに相応しい時分に、カズマは軍服に袖を通した。
リビングに一人きりだが、音を立てないよう慎重に。
「なんだ、カズマか」
気をつけていたつもりなのだが、扉が開いてリューズが姿を見せた。
「相変わらず、鋭いな」
「音を殺す気配がしたから。普通にしていたら、気づかなかった」
含ませた自嘲に気づいてか、リューズが口を開いた。
「急に気配を消すなんて、隠れていますって言っているようなもん」
カズマの取った行動は慎重に気をつけただけで、隠密と呼べるものではないらしい。
「それで、行くの?」
服装から判断したのか、リューズは投げかけた。
「あぁ」
心に一切響かない声のおかげで、カズマはあっさりと答えられた。
「そう、なら一応お礼を言っとく。ありがと」
「別に、感謝されるようなことはしてないさ」
「そんなことない。マゲイアからハフ・グロウスまではそうだったかもしれないけど、軍からここまでは、カズマのおかげ。本当に感謝している」
リューズにとっては誰でも良かったのだ。脅しに屈してくれるのであれば、マゲイアからは逃げだせた。
けど、そこから先は違う。
カズマが決めた。自分で差し伸べた。力になってやりたいと思って。
「なぁ、リューズはどうしてリミットに手を出したんだ?」
カズマは、リューズの〝願い〟を知らなかった。勝手に想像して、自分の都合のいいように解釈していただけだ。
リューズは、自分の身を守る為に逃げ出した。
けど、そこに至るまでの原因は間違いなく本人にある。
「それは正解じゃない。私の場合は手を出したんじゃなくて、手が届いてしまっただけ」
リューズは右手を前に開き、剣を握るように軽く閉じた。
「理由なんてない。ただ、好きだった。訳もなく、私は剣に心を奪われた」
左手がゆっくりと動かされる。
右手に揃えて握り、そこから真っ直ぐ――刃が具現化されていく。
「初めて見たのは、処刑の時。王が持っていた剣……よく憶えている。綺麗だった。鋭い切っ先 、輝く剣身 、研ぎ澄まされた刃 、華麗な十字鍔 」
剣はリューズの身長よりも僅かに低い。片手半剣と呼ばれる類であろう。
「ほんと、綺麗だった」
恍惚とした表情で、リューズは剣を両手で握る。
カズマは剣に詳しくないものの、その構えが基本から離れているのだけはわかった。
持ち方からして違う。
右手で剣を振るっていたことから、リューズは右利き。それなのに、手の位置が逆になっている。
リューズはブレードを担ぐように左肩へと運び、右足を一歩出し、上半身を左側に大きく捻る。そこから一閃――弾丸すら上回る速度で振り切った。
「首がね、飛んだの。普通は薄皮一枚残して、血が飛び散らないようにするものなんだけど……その時は斬り落とされた」
リューズは剣を消し、カズマと向き合った。
「みんな騒いでいた。うるさかった。けど、私は喜んでいた。血に彩られた剣すら綺麗に思った。みんなが目を逸らす中、ずっと剣を見続けていたの」
リューズの瞳に狂気は感じられない。恋する乙女のような煌びやかさで、血なまぐさい思い出を語っている。
「それ以来、私は剣ばっか使うようになっていた。でもね、剣っていうのは思っていた以上に扱いにくかった。動物を相手にしていたんだけど、怪我ばかりしてた」
思い出してか、困ったようにリューズは軽く笑う。
「それが嫌だったのか、両親は止めろって怒った。剣なんてただのステータスシンボルだとか、儀礼用でしかないってさ。酷いよね。子供だった私はそんな風に感じていた」
今なら違うと言うのだろう。リューズはわかっている。
「私はただ、剣が好きだっただけ。それを馬鹿にされたから、見返してやりたかった」
戦い方からして、剣の性能をしっかりと理解している。
「剣は最強だって証明してやりたかっただけなのに……」
リューズは、子供ながらに必死で考えたのだろう。どうすれば、剣が最強となり得るのかを。それが、あのリミットへと昇華された。
「リミットを使って、初めてわかった。魔術は、本当に命を削るんだって。私は家族の命を削って生きているんだって思い知らされた」
魔術が扱えなければ、マゲイアでは生きてはいけない。
だから、リューズは家族に助けられて生きてきた。
「それが嫌だった。両親だけでなく、妹の魔力〈命〉まで食い潰している自分が許せなくて……辛かった」
淡々と話していたリューズから、激しい感情の波が顔を出し始めた。
「だから、逃げたのか?」
それが堪らなくて、カズマは口を挟む。
「うん、だから私は逃げた」
刻み付けるように、リューズはそらんじた。
「家を出てからは地獄のようだったけど、必死で生き延びた。色々とやってはいけないこともした。だって、死にたくなかったから」
想像の範囲内ではあるが、こうして聞かされるとつい身構えてしまう。争いのないマゲイアで、リューズはあれほどまでに戦い慣れていた。
「そのおかげで、私は思い知ったんだ」
可愛らしい年相応の音色――
「辛かった……なんて、甘えだ!」
それをなじるように、リューズは叫んだ。
「寒くて、痛くて、ひもじくて、苦しくて、怖くて……でも、泣くのすら許されない。誰にも見つかる訳にもいかず、一日中息を潜めて怯え続ける。そんな毎日に比べたら、家族に護られていたあの日々が辛かったなんて……っ!」
馬鹿げていると、リューズは過去の自分を非難した。
「死を間近にした私は後悔よりも先に死にたくないって思った。今まで躊躇っていたのが嘘みたいに……あっさりと他人の命を奪った。何度も何度も……気付けば、必要がないのに殺したりもしていた」
リューズはゾッとする笑みを浮かべて繋いだ――気持ちよかったの、と。
「剣で勝つことが、斬る手応えがなんとも言えない快感だった。奪えば奪うだけ生きていける、強くなれる気がした。様々な戦況を夢想して、それに見合った剣を創り上げて……。でもやっぱり、普通の剣で戦いたくて」
最後だけ、少女のようにはにかんだ。
これで自分史はおしまいと言わんばかりに、リューズは口を結んだ。
「家族に迷惑がかかるかもって、思わなかったのか?」
綺麗事だとわかっている。安全圏から責めているだけなのは承知だ。
けど、口にせずにはいられなかった。
マゲイアは王政。公開処刑なども行われている。
それは見せしめ――犯罪抑制の為だ。
だとすれば、一族郎党皆殺しがあってもおかしくはない。
リューズはリミットという禁忌に触れ、家族は隠していた。更には、様々な犯罪行為及び、アルルの誘拐にまで及んだ。
その罪は、到底リューズ一人で背負いきれるものとは思えない。
「言ったでしょ……私は逃げたって」
少女の返答は、カズマの望みとは遠かった。
「そんなの……っ、知ったこっちゃないっ! 私の目の範囲に届かなければ、それでいい。一生……知らないままでいいっ!」
それが自己防衛の類なのはわかっている。辛い現実を受け入れられないから、逃げている。
自分が壊れない為に、必要な逃避。
リューズの表情は後悔に染まっており、声音は懇願としか聞こえなかった。
そして両方に……明らかな恐怖が滲み出ていた。
「そうか……」
あまりに痛々しくて、カズマは俯く。
とても、直視できそうになかった。
「私はね、カズマと違ってそう長くは生きられない。このままだと、残された時間はだいぶ限られている」
たとえそうであったとしても、カズマは認められなかった。
リューズの生き方を、贖罪を赦せそうにない。
――カズマは黙って、答えを示した。
もう、助けてやりたいとは思えなかった。
彼女は自分なんかよりも、強かで強い。やっと気付いた。自分なんかが彼女になにかしてやろうなんて、自惚れも甚だしいのだと。
なにかを成し遂げるには犠牲が必要なのだ。
真実ではないが、その場合が多いのは否めない。少なくとも、カズマが望むフィロソフィアからの独立には大勢の血が流れる。
だけど、カズマには捨てられないものがあり過ぎた。
「……祖父さん」
クル・ヌ・ギアの境界にトドロキがいた。
当然、他の軍人たちも。疑いようもなく、包囲されている。カズマではなく、この地域全体が。
こらからなにが起こるのか、考えるまでもなく理解が及ぶ。
カズマは黙って車から降り、トドロキの前で敬礼した。
眠った実感はないが、時間を見る限り数時間ほど落ちていたようだ。朝と呼ぶに相応しい時分に、カズマは軍服に袖を通した。
リビングに一人きりだが、音を立てないよう慎重に。
「なんだ、カズマか」
気をつけていたつもりなのだが、扉が開いてリューズが姿を見せた。
「相変わらず、鋭いな」
「音を殺す気配がしたから。普通にしていたら、気づかなかった」
含ませた自嘲に気づいてか、リューズが口を開いた。
「急に気配を消すなんて、隠れていますって言っているようなもん」
カズマの取った行動は慎重に気をつけただけで、隠密と呼べるものではないらしい。
「それで、行くの?」
服装から判断したのか、リューズは投げかけた。
「あぁ」
心に一切響かない声のおかげで、カズマはあっさりと答えられた。
「そう、なら一応お礼を言っとく。ありがと」
「別に、感謝されるようなことはしてないさ」
「そんなことない。マゲイアからハフ・グロウスまではそうだったかもしれないけど、軍からここまでは、カズマのおかげ。本当に感謝している」
リューズにとっては誰でも良かったのだ。脅しに屈してくれるのであれば、マゲイアからは逃げだせた。
けど、そこから先は違う。
カズマが決めた。自分で差し伸べた。力になってやりたいと思って。
「なぁ、リューズはどうしてリミットに手を出したんだ?」
カズマは、リューズの〝願い〟を知らなかった。勝手に想像して、自分の都合のいいように解釈していただけだ。
リューズは、自分の身を守る為に逃げ出した。
けど、そこに至るまでの原因は間違いなく本人にある。
「それは正解じゃない。私の場合は手を出したんじゃなくて、手が届いてしまっただけ」
リューズは右手を前に開き、剣を握るように軽く閉じた。
「理由なんてない。ただ、好きだった。訳もなく、私は剣に心を奪われた」
左手がゆっくりと動かされる。
右手に揃えて握り、そこから真っ直ぐ――刃が具現化されていく。
「初めて見たのは、処刑の時。王が持っていた剣……よく憶えている。綺麗だった。鋭い
剣はリューズの身長よりも僅かに低い。片手半剣と呼ばれる類であろう。
「ほんと、綺麗だった」
恍惚とした表情で、リューズは剣を両手で握る。
カズマは剣に詳しくないものの、その構えが基本から離れているのだけはわかった。
持ち方からして違う。
右手で剣を振るっていたことから、リューズは右利き。それなのに、手の位置が逆になっている。
リューズはブレードを担ぐように左肩へと運び、右足を一歩出し、上半身を左側に大きく捻る。そこから一閃――弾丸すら上回る速度で振り切った。
「首がね、飛んだの。普通は薄皮一枚残して、血が飛び散らないようにするものなんだけど……その時は斬り落とされた」
リューズは剣を消し、カズマと向き合った。
「みんな騒いでいた。うるさかった。けど、私は喜んでいた。血に彩られた剣すら綺麗に思った。みんなが目を逸らす中、ずっと剣を見続けていたの」
リューズの瞳に狂気は感じられない。恋する乙女のような煌びやかさで、血なまぐさい思い出を語っている。
「それ以来、私は剣ばっか使うようになっていた。でもね、剣っていうのは思っていた以上に扱いにくかった。動物を相手にしていたんだけど、怪我ばかりしてた」
思い出してか、困ったようにリューズは軽く笑う。
「それが嫌だったのか、両親は止めろって怒った。剣なんてただのステータスシンボルだとか、儀礼用でしかないってさ。酷いよね。子供だった私はそんな風に感じていた」
今なら違うと言うのだろう。リューズはわかっている。
「私はただ、剣が好きだっただけ。それを馬鹿にされたから、見返してやりたかった」
戦い方からして、剣の性能をしっかりと理解している。
「剣は最強だって証明してやりたかっただけなのに……」
リューズは、子供ながらに必死で考えたのだろう。どうすれば、剣が最強となり得るのかを。それが、あのリミットへと昇華された。
「リミットを使って、初めてわかった。魔術は、本当に命を削るんだって。私は家族の命を削って生きているんだって思い知らされた」
魔術が扱えなければ、マゲイアでは生きてはいけない。
だから、リューズは家族に助けられて生きてきた。
「それが嫌だった。両親だけでなく、妹の魔力〈命〉まで食い潰している自分が許せなくて……辛かった」
淡々と話していたリューズから、激しい感情の波が顔を出し始めた。
「だから、逃げたのか?」
それが堪らなくて、カズマは口を挟む。
「うん、だから私は逃げた」
刻み付けるように、リューズはそらんじた。
「家を出てからは地獄のようだったけど、必死で生き延びた。色々とやってはいけないこともした。だって、死にたくなかったから」
想像の範囲内ではあるが、こうして聞かされるとつい身構えてしまう。争いのないマゲイアで、リューズはあれほどまでに戦い慣れていた。
「そのおかげで、私は思い知ったんだ」
可愛らしい年相応の音色――
「辛かった……なんて、甘えだ!」
それをなじるように、リューズは叫んだ。
「寒くて、痛くて、ひもじくて、苦しくて、怖くて……でも、泣くのすら許されない。誰にも見つかる訳にもいかず、一日中息を潜めて怯え続ける。そんな毎日に比べたら、家族に護られていたあの日々が辛かったなんて……っ!」
馬鹿げていると、リューズは過去の自分を非難した。
「死を間近にした私は後悔よりも先に死にたくないって思った。今まで躊躇っていたのが嘘みたいに……あっさりと他人の命を奪った。何度も何度も……気付けば、必要がないのに殺したりもしていた」
リューズはゾッとする笑みを浮かべて繋いだ――気持ちよかったの、と。
「剣で勝つことが、斬る手応えがなんとも言えない快感だった。奪えば奪うだけ生きていける、強くなれる気がした。様々な戦況を夢想して、それに見合った剣を創り上げて……。でもやっぱり、普通の剣で戦いたくて」
最後だけ、少女のようにはにかんだ。
これで自分史はおしまいと言わんばかりに、リューズは口を結んだ。
「家族に迷惑がかかるかもって、思わなかったのか?」
綺麗事だとわかっている。安全圏から責めているだけなのは承知だ。
けど、口にせずにはいられなかった。
マゲイアは王政。公開処刑なども行われている。
それは見せしめ――犯罪抑制の為だ。
だとすれば、一族郎党皆殺しがあってもおかしくはない。
リューズはリミットという禁忌に触れ、家族は隠していた。更には、様々な犯罪行為及び、アルルの誘拐にまで及んだ。
その罪は、到底リューズ一人で背負いきれるものとは思えない。
「言ったでしょ……私は逃げたって」
少女の返答は、カズマの望みとは遠かった。
「そんなの……っ、知ったこっちゃないっ! 私の目の範囲に届かなければ、それでいい。一生……知らないままでいいっ!」
それが自己防衛の類なのはわかっている。辛い現実を受け入れられないから、逃げている。
自分が壊れない為に、必要な逃避。
リューズの表情は後悔に染まっており、声音は懇願としか聞こえなかった。
そして両方に……明らかな恐怖が滲み出ていた。
「そうか……」
あまりに痛々しくて、カズマは俯く。
とても、直視できそうになかった。
「私はね、カズマと違ってそう長くは生きられない。このままだと、残された時間はだいぶ限られている」
たとえそうであったとしても、カズマは認められなかった。
リューズの生き方を、贖罪を赦せそうにない。
――カズマは黙って、答えを示した。
もう、助けてやりたいとは思えなかった。
彼女は自分なんかよりも、強かで強い。やっと気付いた。自分なんかが彼女になにかしてやろうなんて、自惚れも甚だしいのだと。
なにかを成し遂げるには犠牲が必要なのだ。
真実ではないが、その場合が多いのは否めない。少なくとも、カズマが望むフィロソフィアからの独立には大勢の血が流れる。
だけど、カズマには捨てられないものがあり過ぎた。
「……祖父さん」
クル・ヌ・ギアの境界にトドロキがいた。
当然、他の軍人たちも。疑いようもなく、包囲されている。カズマではなく、この地域全体が。
こらからなにが起こるのか、考えるまでもなく理解が及ぶ。
カズマは黙って車から降り、トドロキの前で敬礼した。