同窓会

文字数 2,688文字

 突然母が倒れ、帰らぬ人になってから一週間が過ぎた。なすべきことを終え、安堵とともに喪失感に襲われた私は一日床についた。
 高齢の母の年齢を考えればこの日がいつ来てもおかしくはなかった。だが母ひとり子ひとり、肩を寄せ合ってこれまでやってきた。いったいこれからどうやって生きていけばいいのだろう……
 翌日、こんなことではいけないと自分を奮い立たせ、私は母の遺品の整理を始めた。母の部屋に入り、押入れを開け、まずはここからと下段の中のものを取り出し始めた。すると、その奥からカバンが三つ出てきた。赤いランドセルと通学カバンが二つ。古ぼけたそれらは私の学生時代を思い起こさせるものだった。
(こんなものをとっておいたんだ、お母さんたら……)
 くすんだ赤いランドセルの中には、通信簿と小学生の私が書いた母の似顔絵が入っていた。そして、通学カバン、中学生の時のものには成績表が、高校生のものには何も入っていなかった。やはり、幼い時の方が母にとっては思い出深かったのだろう。でも、私は高校時代のものに最も郷愁を誘われた。
 懐かしい……
 塞ぎがちだった心がひととき解き放たれ、思いはあの頃へと飛んで行った。
 校舎の四階にある図書室の窓から、私はよく校庭を見ていた。私の視線の先には一人の男子生徒の姿があった。サッカー部の彼の練習風景――私は彼の走る姿をいつも追っていた。甘酸っぱい青春の一ページ……
 私はその擦り切れたカバンを持って部屋の中を歩いてみた。どうせなら制服もとっておいてくれればよかったのに、とひとり冗談を言って笑った。その時ふと、手にしているカバンの外側のファスナーが目に止まった。開けてみると、中から古ぼけた一枚のメモが出てきた。
 
『還暦の同窓会で会いましょう』
 
 私は目が点になった。これは何? いったい誰が?
 単なるいたずらかもしれない。でも、母が亡くなりひとりぼっちになって行き場を失っていた私の心に、ひとつの楽しみが生まれた。同窓会なんて一度も出席したことはない。毎年通知は来るが、目を通すことすらなかった。還暦の同窓会といえば来年だ。
 
 
 同窓会当日、第○○期と書かれたテーブルの周りには懐かしい顔が集まっていた。まるで高校時代に戻ったような会話が飛び交い、楽しい時間が流れた。やがて立食式のパーティも終わりに近づいた時、私は後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには一人の男性、いや、元男子生徒が立っていた。男子はみな風貌が変わっていてすぐには誰だかわからない。胸の名札を見て私はあっと声を上げそうになった。なんとそこに立っていたのはサッカー部のあの彼だったからだ。
「これからちょっと話さない?」
 
 私たちは二次会に行くというみんなと別れて、ふたりで居酒屋に入った。落ち着いた雰囲気の店で、私たちは向かい合って座った。そして日本酒を口にしながら彼が言った。
「高校時代、話したことなかったよね?」
 そう、私たちはクラスが隣同士でよく顔を合わせはしたが、話したことはなかった。
「そうでしたね」
 私はそう返事をしながら、バッグから例のメモを取り出した。そして、思い切って彼の目の前へ置いてみた。二つ折りになったそのメモを見た彼は開くこともなく、こう言った。
「四十年以上もたつのに持っていてくれたんだ。というか気になるよな。ようやく犯人がわかったってことだね。それにしても、今日はよく来てくれたな、本当に会えるとは正直思っていなかったよ」
 私に彼の真意はわからない。でも、いい機会だと思った。自分の想いを伝えよう。何を言ってももうすべては時効だ。
「私ね、あの頃あなたのことが好きだったの。放課後の部活、いつも見ていたのよ」
「参ったな~ 先を越されてしまった」
「え?」
「今日は、もし君に会えたら告白をするつもりだったんだ。なのに君から言われてしまって、僕もだよ、ではあまりにお粗末だよな。四十年越しの計画がこんな結末とはホント参った」
 彼は照れ笑いを浮かべた。
「でも、うれしいよ。ああ、今夜は実にうまい酒だ」
 そう言って、杯を飲み干した。
(でも、わからないことだらけだ。なぜ、四十年後なのだろう? 今の彼には家庭があるのだろうか? 当然あるだろう。そんな現実的なことに今は触れたくない。二度とは持てないであろうこの場をただただ楽しみたい)
 私たちは、昔話に花を咲かせ、夢のような時間を過ごした。
 
 店を出ると彼が言った。
「今日は本当に楽しかった。遅いから送るよ、あ、でも返って迷惑か、ご主人に悪いかもな」
「いいえ、私は未婚の六十よ」
「えっ! まさか、君が一人身だなんて思ってもいなかった……」
「早くに父が亡くなって、母とのふたり暮らしが長かったの。母とはずっと仲良し親子でね。そんなじゃ娘が行き遅れるわよ、なんて母は知人から言われていたらしいけど、その通りになってしまったわ」
 苦笑いをしながら私は現実の話題にとうとう触れてしまったことをちょっぴり後悔した。
「そうなんだ、じゃ送るよ。お母さんが心配されているだろうから」
「いいえ、その母も去年亡くなって……」
 十二時を過ぎたシンデレラのように私は現実に戻る覚悟を決めた。
「そうだったんだ……それは大変だったね、大丈夫かい?」
「ええ、一時はかなり参ったけど、なんとかやっているわ。そうそう、あの不思議なメモに救われたかも、気を紛らわせてもらえたから」
「ああ、あれね。
 実を言うとあの頃家が大変だったんだ。卒業と同時に家業の工場を手伝わなければならなくて、とても女の子に交際を申し込める状況ではないのだけれど、それでもどうしても君に僕の気持ちを伝えたかった。でも、あと何年待ってもらえばいいかもわからない。それならいっそのこと、ずっと先の六十歳に思いを伝えよう、と。今思えばばかげた話だけど、その時はそう思うことで自分を納得させることができたんだ。
 もちろんそんな先のことなんてわからない、お互い家庭を持っているかもしれない。それならそれで仕方がない、同窓会の一日だけ、あの頃の続きができればそれでいい、そう思ったんだ。
 あ、そうそう、俺もずっと独り者だよ」
 私たちは肩を並べて、夜の舗道を歩いた。
(お母さん、ありがとう―― お母さんがあのカバンを大切にとっておいてくれたおかげで、こんな素敵な出会いが訪れたわ。もう私のことは心配しないでね。本当にありがとう)
 空を見上げた私の目に、星がひとつキラッと輝いた気がした。

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