第18話 訃報
文字数 3,110文字
「私はこれで失礼します」
と正語 は立ち上がった。
だが、すかさず雅 に肩を掴まれる。
「ダメダメ、九我 ちゃんはここに残ってよ」
雅は強い力で正語を椅子に押し戻した。「もうすぐお造りも届くからさあ」と何やら目配せする。
正語の肩から手を放した雅は、今度は真理子の手を引いた。
「あとは私たちに任せて、真理ちゃんは早くテニスしに行ってきな!」
正語は再び立ち上がった。
「コートまで送りますよ」と真理子を追おうとする。
その正語を、今度は高太郎 が引き止めた。
「九我さん、話はまだ終わっていません」
真理子の背を押しながら振り返った雅も、こちらを見ながら、うんうんとうなずいている。
(なんだ?)
真理子のいない所で話すことでもあるのかと、正語はしぶしぶ腰を下ろした。
「このことは、父が決めたことです」
雅と真理子が部屋を出ると、高太郎は視線を落としたまま静かに語り始めた。
「ご存知かと思いますが、私共の家は代々、灰色の目を持つ者が跡を継いできました。私も弟も黒い目です。この家を継ぐ資格はありません。父はこの家の後継者に関して長く思い悩んでいましたが、弟の嫁が灰色の目の一輝 君を産んで、たいそう喜びました。一輝君はこの家にとって、本当に大切な跡取りだったんです。
一輝君が亡くなったと知った父は嘆きましたが、警察に連絡するのを止めたのは父です」
高太郎は目だけで、正語を見た。
「父は顔が広いんですよ。コータ君のことを黙っていて下されば、九我さんに何かと便宜を図ってくれるでしょう」
(つまらないこと言ってくんなよ)
と正語は思う。
それにしても、そういう性分なのかもしれないが、この男は随分と自分の息子に対してよそよそしい。
「確認ですが、真理子さんとコータ君はあなたのお子さんですよね?」
「違います」
高太郎はキッパリと言い放った。
(おっ、違ったのか)
次の言葉を待ったが、高太郎は黙っている。
「真理子さんは、自分はあなたの娘だとおっしゃっていましたが?」
高太郎はまだ黙っている。
(なんなんだよ!)
正語は目の前の男が鬱陶しくなってきた。

突然、大きな音と共に部屋の扉が開いた。
「話は進んでるかい!」
と雅が部屋に入って来た。
ビールのロング缶三本を両手に持ち、お尻で扉を閉める。
「高太郎、どんなドラマや映画観てもさ、刑事に嘘ついたり隠し事した奴の末路って、絶対いい事ないんだよ。あたし達は九我ちゃんの前では正直にならなくっちゃ!」
言いながら雅は、正語と高太郎の前にビールの缶を置いた。
「私は、いいよ」
「車ですから」
男二人が同時に断る。
雅は一人でビールの缶を開けると、グビリと喉を鳴らした。
「いやあ、昼のビールはたまんないねえ」グビグビと何口か飲んでやっと缶を置く。
「で? なに? どこまで話したの?」と、雅は正語と高太郎を交互に見た。
「真理子さんとコータ君の父親の話です」
と正語は高太郎の顔を見た。
腕組みしたままの高太郎がそっぽを向く。
「それで、この人ダンマリしてんの? イヤだねえ。あんたが人妻に手ェ出して真理ちゃんが出来たなんて、町中みんな知ってるよ」
と雅はまたグビリ。
「真理ちゃんのお母さんは早苗 さんっていってね、この家で住み込みで働いてたんだよ。この人、早苗さんに入れ込んで、いい仲になったらしいんだけど、父親に反対されて諦めたんだって。
結局、早苗さんはこの家から追い出されて、別の男ンとこに嫁いでいったんだけどさ、翌年真理ちゃんが産まれて……ホラ、真理ちゃんの左目、気づいてた? 灰色だろ? 黒かったら隠し通せたかもしれないけどさ、灰色の目の子が産まれたもんだから、早苗さんの旦那が怒っちまったんだよ。鷲宮 の男とヤリやがったなあって、大騒ぎになったんだよ」
意外だった。
この冷酷そうな男にそんな色恋沙汰があったのかと、正語は高太郎を少し見直す。
横を向いた高太郎は無表情のまま。
「でさあ、怒った旦那、佐伯 っていうんだけどね、佐伯は早苗さんと真理ちゃんを家から追い出して、この家に来て慰謝料寄越せって暴れたんだって」
ねっ、と高太郎に向かい言いながら、雅はビールをあおる。
高太郎はそっぽを向いたままうなずく。
「コータは佐伯が行きずりの女との間にできた子なんだよ。女は子供を産んだ後どっかに消えちまってさあ、真理ちゃんは置いてけぼりにされたコータの面倒を懸命にみてきたの。血は繋がってないけど、真理ちゃんにとってコータは本物の弟だし、子供のようなもんなの」
ビールのせいだけではないだろう、雅の目が赤かった。
「コータって……本当は高太郎 っていうんだよ……佐伯高太郎っていうのが、あの子の本名なんだ。コータの父親は自分の妻を寝とった男の名前を息子に付けたんだ……ひどい嫌がらせだよ……可哀想に、この町の人間は誰もコータを本名で呼ばないんだ。学校の先生もだよ。みんなこの鷲宮の家に遠慮してんのさ」
電話のベルが鳴った。
「神社の話はしたかい?」と雅が立ち上がる。
高太郎が首を振った。
「あそこはね、早苗さんが首吊ったとこなんだよ」
雅は鳴り続ける電話に向かった。
「旦那から追い出されて、町中みんなから後ろ指さされてさ、辛くって、悔しくって……自分の娘の前で死んでいった場所なんだよ」
正語は冷たくなったコーヒーに口をつけながら高太郎を観察した。
顔をそらしたままの高太郎は、みじろぎ一つしなかった。
雅が受話器をあげる。
「はい、鷲宮です……ああ秀さん……高太郎? いるよ。ちょっと待ってね」と送話口を手で抑えて、雅は高太郎に受話器を向けた。
「秀 さんからだよ」
「いないって言って下さい」と高太郎。
雅は再び電話に出た。
「高太郎は、話したくないって……ん、近くにいるけど、コミュ障なコドオジだからさ、許してやって」
うんうんと聞いていた雅が急に大声を上げる。
「えーっ! ガンちゃん、死んじゃったの⁈」
受話器を高太郎に向けて振り回した。
「高太郎! 大変! ガンちゃんが死んじまったよ! 早く出て!」
高太郎はめんどくさそうに立ち上がった。
「町の年寄りが亡くなったようです」と正語に断り、電話に向かった。
「あたし今朝、ガンちゃんに会ったんだよ」
と、雅はショックを受けた顔で高太郎に受話器を渡す。
「守親 じいさんのとこに来ててさ、西手 の坊ちゃんの話してたんだよ……なんで急に逝っちまったんだろうね、暑さのせいかねえ……」
「雅さん、少し静かに。話が聞こえません」
受話器を耳に当てている高太郎に言われて、雅は電話台から離れた。
正語の近くに来るとさっきまで高太郎が座っていた椅子に座り、手付かずのビールをあおる。
「西手の坊ちゃんっていうのは、一輝さんの弟のことなんだけどね、天使みたいにキレイな男の子なんだって」
(……よく知ってるよ)
正語は眉を寄せた。
「今日のテニス講習会に来るらしくってさあ、ガンちゃん、坊ちゃんに会えるのを楽しみにしていたんだけど……最期に会えたのかねえ……渡したい写真があるとか言ってたんだよ……」
(ここの人間は、俺の家が秀一 を預かっていることを知らないのか?)
なるほど。
どうりで皆、自分のことを『東京から来た刑事』としてしか扱わないわけだ。
「真理ちゃんもショックだろうねえ……旦那に追い出されて行くところのなくなった早苗さんと真理ちゃんの面倒見てきたのは、ガンちゃんなんだよ……」
雅はエプロンからタオルを取り出して涙を拭い、鼻をかんだ。
「……早苗さんが亡くなった時、『お母さんが桜の木にぶら下がって、おりて来ない』って、真理ちゃんが泣きながらガンちゃんに知らせに来たんだって」
と
だが、すかさず
「ダメダメ、
雅は強い力で正語を椅子に押し戻した。「もうすぐお造りも届くからさあ」と何やら目配せする。
正語の肩から手を放した雅は、今度は真理子の手を引いた。
「あとは私たちに任せて、真理ちゃんは早くテニスしに行ってきな!」
正語は再び立ち上がった。
「コートまで送りますよ」と真理子を追おうとする。
その正語を、今度は
「九我さん、話はまだ終わっていません」
真理子の背を押しながら振り返った雅も、こちらを見ながら、うんうんとうなずいている。
(なんだ?)
真理子のいない所で話すことでもあるのかと、正語はしぶしぶ腰を下ろした。
「このことは、父が決めたことです」
雅と真理子が部屋を出ると、高太郎は視線を落としたまま静かに語り始めた。
「ご存知かと思いますが、私共の家は代々、灰色の目を持つ者が跡を継いできました。私も弟も黒い目です。この家を継ぐ資格はありません。父はこの家の後継者に関して長く思い悩んでいましたが、弟の嫁が灰色の目の
一輝君が亡くなったと知った父は嘆きましたが、警察に連絡するのを止めたのは父です」
高太郎は目だけで、正語を見た。
「父は顔が広いんですよ。コータ君のことを黙っていて下されば、九我さんに何かと便宜を図ってくれるでしょう」
(つまらないこと言ってくんなよ)
と正語は思う。
それにしても、そういう性分なのかもしれないが、この男は随分と自分の息子に対してよそよそしい。
「確認ですが、真理子さんとコータ君はあなたのお子さんですよね?」
「違います」
高太郎はキッパリと言い放った。
(おっ、違ったのか)
次の言葉を待ったが、高太郎は黙っている。
「真理子さんは、自分はあなたの娘だとおっしゃっていましたが?」
高太郎はまだ黙っている。
(なんなんだよ!)
正語は目の前の男が鬱陶しくなってきた。

突然、大きな音と共に部屋の扉が開いた。
「話は進んでるかい!」
と雅が部屋に入って来た。
ビールのロング缶三本を両手に持ち、お尻で扉を閉める。
「高太郎、どんなドラマや映画観てもさ、刑事に嘘ついたり隠し事した奴の末路って、絶対いい事ないんだよ。あたし達は九我ちゃんの前では正直にならなくっちゃ!」
言いながら雅は、正語と高太郎の前にビールの缶を置いた。
「私は、いいよ」
「車ですから」
男二人が同時に断る。
雅は一人でビールの缶を開けると、グビリと喉を鳴らした。
「いやあ、昼のビールはたまんないねえ」グビグビと何口か飲んでやっと缶を置く。
「で? なに? どこまで話したの?」と、雅は正語と高太郎を交互に見た。
「真理子さんとコータ君の父親の話です」
と正語は高太郎の顔を見た。
腕組みしたままの高太郎がそっぽを向く。
「それで、この人ダンマリしてんの? イヤだねえ。あんたが人妻に手ェ出して真理ちゃんが出来たなんて、町中みんな知ってるよ」
と雅はまたグビリ。
「真理ちゃんのお母さんは
結局、早苗さんはこの家から追い出されて、別の男ンとこに嫁いでいったんだけどさ、翌年真理ちゃんが産まれて……ホラ、真理ちゃんの左目、気づいてた? 灰色だろ? 黒かったら隠し通せたかもしれないけどさ、灰色の目の子が産まれたもんだから、早苗さんの旦那が怒っちまったんだよ。
意外だった。
この冷酷そうな男にそんな色恋沙汰があったのかと、正語は高太郎を少し見直す。
横を向いた高太郎は無表情のまま。
「でさあ、怒った旦那、
ねっ、と高太郎に向かい言いながら、雅はビールをあおる。
高太郎はそっぽを向いたままうなずく。
「コータは佐伯が行きずりの女との間にできた子なんだよ。女は子供を産んだ後どっかに消えちまってさあ、真理ちゃんは置いてけぼりにされたコータの面倒を懸命にみてきたの。血は繋がってないけど、真理ちゃんにとってコータは本物の弟だし、子供のようなもんなの」
ビールのせいだけではないだろう、雅の目が赤かった。
「コータって……本当は
電話のベルが鳴った。
「神社の話はしたかい?」と雅が立ち上がる。
高太郎が首を振った。
「あそこはね、早苗さんが首吊ったとこなんだよ」
雅は鳴り続ける電話に向かった。
「旦那から追い出されて、町中みんなから後ろ指さされてさ、辛くって、悔しくって……自分の娘の前で死んでいった場所なんだよ」
正語は冷たくなったコーヒーに口をつけながら高太郎を観察した。
顔をそらしたままの高太郎は、みじろぎ一つしなかった。
雅が受話器をあげる。
「はい、鷲宮です……ああ秀さん……高太郎? いるよ。ちょっと待ってね」と送話口を手で抑えて、雅は高太郎に受話器を向けた。
「
「いないって言って下さい」と高太郎。
雅は再び電話に出た。
「高太郎は、話したくないって……ん、近くにいるけど、コミュ障なコドオジだからさ、許してやって」
うんうんと聞いていた雅が急に大声を上げる。
「えーっ! ガンちゃん、死んじゃったの⁈」
受話器を高太郎に向けて振り回した。
「高太郎! 大変! ガンちゃんが死んじまったよ! 早く出て!」
高太郎はめんどくさそうに立ち上がった。
「町の年寄りが亡くなったようです」と正語に断り、電話に向かった。
「あたし今朝、ガンちゃんに会ったんだよ」
と、雅はショックを受けた顔で高太郎に受話器を渡す。
「
「雅さん、少し静かに。話が聞こえません」
受話器を耳に当てている高太郎に言われて、雅は電話台から離れた。
正語の近くに来るとさっきまで高太郎が座っていた椅子に座り、手付かずのビールをあおる。
「西手の坊ちゃんっていうのは、一輝さんの弟のことなんだけどね、天使みたいにキレイな男の子なんだって」
(……よく知ってるよ)
正語は眉を寄せた。
「今日のテニス講習会に来るらしくってさあ、ガンちゃん、坊ちゃんに会えるのを楽しみにしていたんだけど……最期に会えたのかねえ……渡したい写真があるとか言ってたんだよ……」
(ここの人間は、俺の家が
なるほど。
どうりで皆、自分のことを『東京から来た刑事』としてしか扱わないわけだ。
「真理ちゃんもショックだろうねえ……旦那に追い出されて行くところのなくなった早苗さんと真理ちゃんの面倒見てきたのは、ガンちゃんなんだよ……」
雅はエプロンからタオルを取り出して涙を拭い、鼻をかんだ。
「……早苗さんが亡くなった時、『お母さんが桜の木にぶら下がって、おりて来ない』って、真理ちゃんが泣きながらガンちゃんに知らせに来たんだって」