プロローグ 物語の舞台探訪序説

文字数 1,116文字

 隠井迅こと、僕の趣味は旅行である。

 もちろん、風光明媚な景勝地や歴史的建造物を訪れたり、郷土料理やご当地グルメに舌鼓を打つことこそが、一般的な観光の主たる目的であることは重々承知している。
 だがしかし、僕の旅の楽しみ方はちょっと変わっているのだ。

 まず、旅の行き先を決めると、ガイドブックだけではなく、その土地に関する地理的・歴史的資料を蒐集し、そのようにして、その土地について可能な限り知ることに努める。
 その上で、その場所が物語の舞台背景になっている小説や漫画を読んだり、映画、テレビドラマ、アニメーションを観たり、ゲームをプレイしたり、場合によっては、歌を聴いたりする。
 あるいはその逆に、何らかの虚構作品に触れてから、その作品の物語の舞台背景となった土地に関する資料を読んだ上で、旅先を決めることもある。
 いずれの場合にせよ、ジャンルは問わず、何らかの虚構作品の物語の舞台背景になっている場所を訪れるのが、僕の旅の在り方なのだ。

 そう、これはいわゆる、〈聖地巡礼〉である。
 だが、僕は、〈舞台探訪(ぶたいたんぼう)〉という用語を使うことを好んでいる。

 というのも、〈聖地巡礼〉における〈聖地〉とは、そもそも、宗教や信仰の拠点となる神社仏閣や教会、または、その宗教にとって重要な出来事が起こった場所のことであり、そういった神聖な地を〈巡礼〉することは、信者にとっては特別な意味を持つ信仰的行為である。したがって、宗教的な意味を内包するこの用語が、僕には大仰過ぎるように感じられて仕方がないのだ。もっとも、ある一つの作品に心酔し、その作品の舞台を巡るのならば、その人にとっては、その場が神聖化されている分けだから、〈聖地巡礼〉という言葉を用いても、語源とのズレは然してないようにも思われるのだが。
 とまれかくまれ、ただ単に、読んだり観たりしたことのある物語の舞台の現場を実際に訪れるだけならば、〈見聞〉、あるいは、多少格好をつけて、〈探訪〉という語を用いるだけで十分なように、僕には思えるのだ。
 とはいえども、他人に旅の目的を説明する場合には、自分の語の使い方に関する拘りはひとまず置いておいて、言葉として一般に流通している、〈聖地巡礼〉を用いることも、実は多いのである。

 さて、例の世界規模のパンデミックのせいで、僕は、近隣を散歩することが多くなった。
 実を言うと、在住地である東京都内の舞台探訪は、いつでもできるという気持ちがあったせいか、これまで等閑にしていたのだ。
 だが、二〇二〇年は、いつになく都内の舞台探訪が多くなった一年であった。

 かくして、この随筆は、その都内の舞台探訪の一部を書き起こした回想録になっている。
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