文字数 2,409文字




 やがて図書館を閉める午後六時半になると、図書館を施錠して、職員室に鍵を持っていく。

 薄暗闇の中、私達はポツポツ言葉を交わしながら、一階を目指していたのだが……ふと、私は読んでいた本を館内に忘れてしまったことに気が付いた。

 明日からは土日で学校はお休み。

「ごめん、梓君。私図書館に忘れ物したから、取って来るね」

 先に帰ってていいよ、と言い残して、走って図書館にあと戻る。

 館内に入ってカウンターを目指すと、やはりそこには本が置きっぱなしになっていた。

 あぁ、良かった。ちょうどいい所で栞を挟んでいたんだった。

 誰もいないシンとした室内にちょっとざわつきながら、走って図書館を後にする。

 暗い所に一人は怖いなぁ。早く帰ろう。

 鍵を握り締めて、走って職員室に向かう。

 だが、この階段を下りたらすぐ……と、足早に階段を駆け下りている最中だった。

 ──見えてきた踊場を、何気なく通り過ぎようとしていると……。

「うわっ!」

 走って通り過ぎようとした所で、誰かがひょっこり出てきて、ぶつかってしまい、相手が階段から落ちようとする。

 ……しかし、間一髪の所で私の体重を受け止めた誰かの胸に、私はスッポリ抱き留められてしまった。

「ごっ、ごご、ごめんなさいっ!」

眼前には白いシャツ、襟元に喉仏を辿って、顔を見上げると……梓君ではないか。

「環菜先輩、大丈夫ですか?」

 心配そうに瞳を揺らす、誰が見てもきっと整っている、と言われるだろうその瞳に見入ってしまい、数秒。

 ドッドッ、と急速に早まる鼓動を隠し切れずに、バッと離れる。

 しかし、何を思ったのか、再び近寄ってきた梓君は、私を自ら胸元に受け入れると、ハハッと笑ったのだ。

「環菜先輩、ホント身長小さいですよね。何センチ?」

「……145センチ」

「子供みたい」

 笑いながら梓君は離れると、何事もなかったかのような表情で、尚も笑顔を見せる。

「やっぱり一人心配だから、戻ってきてたんですよ」

「……いいのに」

 私は呟くと、目を合わせずに階段を下りていく。

 平気なふりして、心臓はこれでもかと言う程の大きな音をバクバク立てており、ギュッと目を瞑る。

 何でもない、大丈夫。

 そう言い聞かせ、何とか平常心を保ったまま、その日は別れを告げたのだが、その後がきつかった。

 どうしてだろう、薄暗闇の中で見た梓君の笑顔と、大きな胸と、シャツから香る洗剤の匂いが頭から離れない。

 きっとこんな経験、生まれて初めてだったからだろう。

 カッコ良い人からあんなことされちゃあ、誰だってフラッときちゃうかもしれない。

 誰かと付き合う、という経験はなく、だから抱き締められたことも生まれて初めて。

 あれはただの事故であっても、私とっての初めての経験には変わりなく、私は梓君のことをめちゃめちゃ気にするようになってしまった。

 あぁ、どうしよう。

 想いは届くはずもないのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 何もなかったら、ちょっと苦手なカッコ良い下級生……だったのに、もう遅い。

 梓君が私のことを、何とも思っていないのは知っていたが、変に意識してしまう。

「ん?」

「何でもない」

「え、何?」

 だが、首を傾げる梓君に、私は最後まで首を振って、残りのカウンター係をあっけなく終えてしまった。

 意識はしていても、結局近付くことはできず、まぁこれはこれで淡い思い出にしようと思っていた。




 そんな中、いつも一緒にいた大堂美知佳(だいどう みちか)に新しい好きな人ができたらしく、話を聞いている流れで、私の恋愛話になってしまった。

「環菜からそれっぽい話、聞いたことないね。好きな人、いないの?」

「いや、私は」

「もう、私には秘密にしないでよ」

 美知佳とは幼馴染で、小さな頃から付き合いがあるため、いつも一緒にいた。

 タイプは違うが、面倒見がよく、頼りにしている面もあり、面白おかしくちょっとしたネタとして、梓君とのことを話すと、なんと美知佳は梓君のことを知っていた。

「梓君って、嶌のことじゃん」

 そうだ、そうだった。

 美知佳もまたバスケ部に入っていて、梓君のことはよく知っているようで。

 うわ、しまった、と思ってももう遅い。

 最悪なことに、お世話好きな美知佳は、私の小さなこの想いを梓君本人に間接的に伝えてしまったのだ。

 ドキドキしただけで、何も大好きになったわけではない。

 それに、相手も私のことをとやかく思っているようには全く見えなかった。

「ごめん、環菜。嶌、付き合えないって」

「……そんな、私告白してなんて、頼んでない」

「ごめん、余計なお世話だったね。でも、やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいって、私は思ってるから」

 それはさ、美知佳の考え方であって……。

 でも、悪気なくよかれと思っての美知佳の行動、いつまでも怒ってはいられない。

 結果、私は、恋心を自覚しようとした所で、無残に散り果ててしまった。

 梓君からしたら、大して関わってもいないのに、どうして告白されたのか不思議に思ったかもしれない。

 いや、告白は慣れていて、私も振ったうちの一人だった?

 それとも、もう彼女がいたとか……。あ、それも十分あり得るな。

 人生初めての告白がこんな形で終了してしまい、正直後悔は大きい。

 以後、梓君と面と向かって会う機会はなかったものの、校内ですれ違う時は決まって下を向いた。

 早く卒業して、この空回りの過去を忘れたい。

 なかったことにして、再スタートを切りたい。

 本当に、私はこの環境が恥ずかしくてたまらなかった。




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  • 『プロローグ』

  • 1
  • 第一章 『ふわり春風になびく髪』

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 第二章 『思い出には、目を伏せて』

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 第三章 『胸を駆け巡る恵風』

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第四章 『二人だけの、音楽室』

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