第8話 万年様の術

文字数 1,674文字

「え? 僕が人間にですか? なれるんですか?」
「わしはな、時々人間に化けてその辺をぶらぶらしておる」万年様が意味ありげに笑った。
「実はお前ともすれ違ったことがあるのだぞ。覚えてはおらぬか? 公園で煮干しをあげたじじいを」



「ああっ!」
 確かに公園で煮干しをもらったことがある。公園でもらえるのはお弁当のおかずの欠片(かけら)とかサンドイッチのハムの切れ端とかなのに、煮干しをくれた人がいて、すごくよく覚えている。基本僕たちは生食(なましょく)なので、取り立てて煮干しがうれしいというわけでもないけれど。

「あのときは、ありがとうございました!」僕は地面に鼻先がつきそうなぐらい勢いよく頭を下げた。万年様にすでに会っていたのか。それも施しを受けていたのか。僕は感動していた。

「いやなに、礼にはおよばん。そのとなりに座って柿ピーをバリボリ言わせておった禿おやじじゃからの」
 あ……確かにいた。柿ピーの袋を左手に、右の手のひらに山盛りの柿ピーを乗せて口に放り込んでいるじいちゃんがいた。頭を下げて損した気がする。

 ふざけているのか真面目なのか、怖いのかやさしいのか、僕は万年様が分からなくなってきた。でも、少しづつ好きになってゆく。これが、おばば様が言っていた威光なのか!

「その術を授けていただけるのですか?」
「授けるのではない。施すのだ。あ……お前、俺の跡継ぎになるか?」
「跡継ぎ、ですか?」
「ああ、候補はいるのだが、そいつには言ってないから可能だぞ。だったら授ける。さすればいつでも自由に使える」
「本当ですか⁉ いつでも自由に人間になれるのですか?」
「ああ、本当だ。だがな、わし亡き後、万年生きねばならぬのだぞ」

 万年生きる……。

 涼音さんが死んでも僕は生きる。その残り香が僕の周りからすべて消え失せても僕は生きる。そんなことに耐えられるだろうか。

 千年おばば様が死んでも、僕は生きる。千年も万年も。

「いや、それは……できません。とても無理です」僕は身震いをした。
「うん、そうじゃろう。万年生きるとはな、孤独を背負うことじゃ。周りから見知った者たちがどんどんと消えてゆく。泡のように生まれては消えてゆくのだ。わしはな、ばばが生まれたころのことをよく覚えておる。つい昨日のことのようにな。それはそれは愛らしい仔猫じゃった。万年生きるとは、そういうことじゃ」
 万年様は遠い目をした。

「ばば」
「ふぁい」いつも間にやらばば様は、万年様の食事を食べていた。
「構わん、ゆっくり喰え。慌てるとのどに詰まるぞ。ところでお前は何年生きた」
「それはもう、忘れました」少し恥ずかしそうにばば様は答えた。一言断ってから食べれば何の問題もないのに。

「うん、それはそうじゃな。わしもじゃ」
「でも、死ぬときは──その時期を悟れたら、万年様のそばに参りたいと思います」
「うむ、そうせい。わしが手厚く(ほうむ)ってやろう。わしもばばより長生きをしたいと思っておる……お前が寂しがらぬようにな」

 ばば様はまたも恥ずかしそうに俯いた。

 僕が生まれるずっと前、涼音さんが生まれるよりもさらに前、おばば様と万年様は恋をしていたのではないか、そんなことを、僕はふと思った。

「万年様、人間になったら僕は何と名乗ればよいのでしょう」
「ばば、今は何月じゃ」
「七月です」またもや無断で水を飲んでいたばば様が、ふたたび恥ずかしそうに顔を上げた。だから、一言断ってから飲めば何の問題もないのに。

「ふむ、では、七夜月と名乗れ」
「ななよづき、ですか」
七夕(たなばた)のある月という意味で七月のことじゃ。三月でなくてよかったな、すごく不似合いで、そうとう照れくさい弥生(やよい)ちゃんになるところだった。さあ、そこに座れ」

 示された場所に僕は座った。そこは日の射す場所だった。見上げるとツツジの葉に囲まれた空が見えた。
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