夜には不思議な力がある。

文字数 1,070文字

 寝支度を済ませ横になったベッドでただ天井を見ている時、考えてもいない考えや思いが巡り出すことがある。

 小学一年生になろうという三月の晴れた日、祖母に手を引かれ、近所の商店街へ行った。「ええもん買うたるわ」とだけ言われた。
 ええもんと言われ、ハマっていた戦隊ヒーローのなんちゃらソードが真っ先に浮かんだが「そんなもんとちゃう」と一蹴された。
 次に浮かんだのはお菓子。滅多に買ってもらえないチョコレートならいいなと尋ねてみれば「それは、どうやろな」と曖昧に返された。
 あれか?これか?思いつく限り尋ねるがどれも違うと言われ、僕の考える“ええもん”は尽きた。
「ほれ、着いたで」
 わくわくして家を出たのに期待感がすっかり無くなったところで、祖母の言うええもんにたどり着いた。
 商店街の端っこの靴屋だった。ドキリとした。
「こないだ買うたとこやで。学校行くねんからってじいちゃんが買うてくれたやん」
「それはデパートのんやろ」
 腑に落ちていない僕を見下ろし意味ありげにニヤリと笑い、祖母が店へ入った。僕は遅れて続いた。
 靴屋の匂いは好きじゃなかった。ゴムの匂いでいっぱいで頭が痛くなりそうだった。
「カワイさーん、いてるー?」
「はああい」
 びっしり靴が並んだ棚の奥、障子戸の向こうから声がして、まもなくおばあさんが出てきた。
「あ、ちょっと待っとってね」
 祖母の顔を見るなりまた障子戸の向こうへ入り、赤い箱を一つ持って戻ってきた。
「こんなんどうやろ、サイズ合うやろか」
 カワイさんがこちらを見てニコッと笑った。
 長靴が入っていた。今日の空みたいな水色に、開かれた状態の黄色い傘の絵が左右に一つずつ描かれていた。
「あたしが選んでんけど、どうやろ。あれ、おっきかったかいね」
 僕の正面にしゃがみ込んだカワイさんは、フワフワした子犬のような白髪頭をかしげて、僕と長靴とを交互に見た。
「だっ、だいじょぶやで!ちょうどええよ!」
 耳まで真っ赤に照れているのが自分でもわかった。長靴はブカブカだった。
「ほなええね。シンちゃん、気に入ってくれた?
あ、チョコレート、好きやろ」
 眠った子猫みたいに目を細めて、板チョコを手渡してくれた。
 カワイさんが僕のために選んでくれたことが、僕はおしっこをちびりそうなほど嬉しかった。
 僕はカワイさんのことが好きだった。
 そして祖母はそれを知っていたらしい。
 ニヤニヤしながら僕の頭を撫でて「ほら、ええもんやったやろ」と耳打ちした。

 閉じた瞼の隙間から雨の音が聞こえていた。
 真夜中過ぎの不意の懐古は、この雨と、夜の不思議な力のせいだ。


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