第1話 裏山の少年

文字数 4,080文字

「………」

…水森当真はじっと息を殺して、奴らが来るのを待っていた…今日は一学期の終業式。これより、生徒達は待ちに待った夏休みへ突入するのだ。


あと一時間もすれば、学園側が用意したバスが到着し、皆を駅まで送り届けてくれる。HRを終えた教室では、生徒達が夏休み前の最後の時間を、友人との会話に費やしていた。


そんな中、一人学園の裏山へと入っていった当真。彼は現在、裏山の中腹から頂上にかけての7~8合目辺りにいた。この学園は全寮制で、学園そのものが山の中にある。


山の中にはあるが、裏山は便宜上、裏山と呼ばれていた。その裏山の頂上付近、やや傾斜が緩くなっている場所。当真はそこで汗と土にまみれながら、掘り下げた落とし穴の最終調整を行っていた。


平地よりも多くの養分を含んだ、強い土の匂い。それが掘り返す度に立ち昇ってくる。鼻腔の中へ入ってくるモワッとした土の匂いに、少年は顔をしかめて口呼吸に切り替えた。

「んっ…ぺっ」
その途端、口の中に入ってきた小さな土の粒を唾と共に吐き出す。腐葉土と呼ばれる、味も匂いも濃い山の土。それが穴を堀り広げる度に、パラパラと当真の顔に掛かってくる。
「うぺっ…今度は鼻に入った…」

どうやっても避けられない土の攻撃を受けて、少年は泣きそうな表情を浮かべていた。髪には土が混じり、それが耳の中にまで入ってくる。すでに当真の顔面は、土の粒でコーティングされていた。


首元からシャツの中へと入った土が、汗に溶けて当真の身体を流れていく。靴の中は、とっくに爪先まで土だらけだ。この3ヶ月の間、少年はこの苦行とも言える作業を行ってきた。

(よし、そろそろ良いかな…)
出来上がった落し穴のサイズは、直径5メートル弱、深さ4メートル弱。ヒトの背丈より、ずっと深い穴だ。
「よいっしょっ!」
彼は作業の最終的な仕上げを済ませると、手早く作業道具を片付けて草むらへ隠れた。
「………」
そうして、水森当真はじっと息を殺しながら、ここで奴らが来るのを待っているのだ。
(ん…どうしたんだろう?)
気のせいだろうか? さっきまであれほど五月蠅かった鳥や虫の声。それが今は聞こえてこない。まるで、山全体が不気味に静まり返っているみたいだ。しかし、気にしている暇はない。
(そろそろ時間だ…)

あと少しすれば奴らが来るだろう。少年は静かにその時を待ち続けた。やがて、ガサッ、ガサッ、ガサッ…と草むらの向こうから足音が聞こえてくる。


これは生い繁った草の中を歩く音。あの三人が近付いてくる音だ。当真は奴らの足音を聞きながら、左手の甲で額の汗をそっと拭う。

(来た…)
しかし、直ぐにジワリと汗が吹き出てきた。7月の終わりといえば夏真っ盛りだ。当然、何もしていなくても汗は出てくる。
(ふぅー、暑いな…)
当真はタメ息を吐きながら、止まらない汗を拭い続けていた。そうしている内に、奴らの足音が徐々に自分の方へ近付いて来る。
(それもそうだ…)
これからやる事を思えば、汗もかくだろう。だが、やめるわけにはいかない。もう準備万端、しっかりと整っている。
(復讐…いや、これは天誅だ!)
今日こそは、奴らの傍若無人な態度を戒めるのだ。そう考えるだけで、自然と笑いが込み上げてくる…そう、だってアイツらは…
ズズゥン…!
(うわっ!?)
その時、地響きと共に当真の身体がぐらりと揺れる。彼はハッとして思わず地面に手を付いた。しかし、手をついた地面自体がグラグラと振動している。
(これは!)
ズズズンッ…!
周囲の木々も震えていた。まるで怯えるように、バサバサと枝をしならせて葉を舞い散らせている。
(地震だっ、しかも相当でかい!)
その証拠に、当真はその場から立ち上がる事が出来ない。次にドンッ! と大きな音と衝撃が来て、彼の身体が浮き上がる。
「う、うわぁ!」
ドンッ! ドンッ! 
その小さな身体がバランスを保てずに、地面から跳ね飛ばされて転がってしまう。地震の揺れは凄まじく、裏山全体が鳴動して震えていた。
「ひえー!」
ズドーンッ!
最後に、一際大きく裏山が揺れて地震が終わる。当真は地面に転がったまま、じっとその場から動かずに辺りの様子を窺っていた。
「はあっ! はあっ!」
この頃は雨も降っていない。たぶん、土砂崩れ等の二次災害が起こるような事もなさそうだ。
「ふーっ…」
当真はほっと安堵の息をつく。見た限りでは落とし穴も無事みたいだ…しかし、一つ問題が起きた。
「おいおいおい、地震かよー」
「スゲー揺れたなー」
「チッ、あぶねえーなぁー」
舌打ちとともに、当真の耳に奴らの声が聞こえてきた。
(…不味い)
これで奴らが帰ってしまったら、せっかく立てた計画が水の泡だ。
(頼むぞ…)
だが当真の願いも空しく、バサ、バサ、バサ…と草を掻き分けながら、三人の足音が遠ざかっていく。
「…クソッ」
当真は、ぐっと唇を噛んで両手を膝に打ち付けた。内心で、舌打ちをしたいのは、こっちの方だと奴らに文句を付ける。
(いや、まだだ…)

代々、中高等部の男子に取って絶好の覗きスポットである、とされてきた裏山。そこには唯一、更衣室をピンポイントで狙える地点があると噂されていた。


今まで、誰も見付ける事が出来なかった秘密の場所。奴らはそれを知りたいはずだ。最近、当真の後を尾行したりして、色々と嗅ぎ回っているのはその為だろう。


生徒達を乗せたバスを見送り、全ての建物の戸締まりを済ませた後、若い女性教員達は更衣室で一斉に着替えを始めるのだ。


これは毎回恒例の動きだと、当真は先輩方から教えて貰っていた。もし、その現場を覗く事が出来たら、さぞかし圧巻だろう。もう間もなく、そのイベントが始まろうとしている。


だから、あの三人はすぐに戻ってくるに違いない…そう考えた当真は、諦めずに奴らを待ち続けた。

□□□□
(まだか、まだか…)
大嫌いなあの三人を待つことは、当真にとって物凄く長い時間に感じられる。しかし、チラリと見た時計の針は五分と経っていなかった。
(…来いよっ!)
そう心の内で当真は叫んだ…その時、彼の耳に再び足音が聞こえてきた。それは、ドスドスという重たい足音だった。
(よーしっ、戻ってきた!)
当真はぐっと拳を握る。足音が段々と落とし穴の方へ近付いている。今度こそ、奴らは落とし穴に落ちるはずだ。
(…ん?)
何故か、ふと違和感を覚えた。さっきとは何かが違う気がする…その事に引っ掛かりを覚えながらも、当真は奴らの足音に神経を集中させる。
ブフゥー、ブフゥー、ブフゥー…
(…あれ?)
なんだかさっきより、奴らの鼻息が荒い気がする?
ブフゥー、ブフゥー、ブフゥー…
(なんだ? もしかして興奮しているのか?)
馬鹿な奴らめ…普段は威張っていても、オツムの具合は所詮その程度。焦り過ぎだろ、と当真は思わず鼻で笑ってしまう。その時、奴らの足音が激しさを増し、ドッドッドッ! という駆け足に変わる。
(ふふん、騙されているとも知らずに…)
でも、これはこれで好都合だ。焦っているなら注意力が散漫になり、足元が疎かになるだろう。
ドッドッドッドッドッ!
(つまり、落とし穴に落ちる確率が上がる…)

ドッドッドッドッドッドッ!

当真は地面に伏せた状態で、草むらに隠れて事の成り行きを見守った。
(よしっ、いけっ!)

ドスンッ! ドスンッ! ドスンッ!

大きな音と共に、カムフラージュ用に被せて置いた葉っぱが派手に舞い上がる。
「グォッー!?」
「グェッー!?」
「グギャー!?」
そして、驚きと悲鳴がない混ぜになった声が当真の耳に届いた。
「よっしゃあっ!」
そう叫ぶと、当真は素早く草むらから飛び出す。そして、両手で引き摺るようにポリタンクを持って、落とし穴へと駆け寄っていった。
「んっ! おぉ~っ、喰らいやがれっー!!」
落とし穴へ向けて、用意したポリタンク内の液体を一気にぶち撒ける。更に両腕で容器をしっかりと抱えると、穴の中心を目掛けて思いっきり回し掛けてやった。
バッシャッ! バッシャッ! バッシャッ!…
重いポリタンクを持ち上げながら、当真は、これでもかと中身の液体を奴らに浴びせてやる。
「どうだっ! 俺の小便の味はっ!?」
そう言ってやると落とし穴の中から、
「グググエェーッ!」
という苦しそうな悲鳴が聞こえてきた。
「アッハッハッハー! くせーだろっ!? こいつは3ヶ月濃縮ブレンドもんだぞっ!」
「グエッ! グエッ! グエッ!」
奴らの苦しむ声が聞こえてくる。当真は良い気味だと笑って、空になったポリタンクを真後ろへ放り投げた。
「おらぁっ!」
そして当真は、準備をしておいた竹槍を持つと狙いも付けず、落とし穴へ突き入れる。
「オラオラ オラオラ オラオラーッ! 榛名春奈先生のおっぱいは、俺のものだっー!」
内部をかき混ぜる感じで、メチャクチャに竹槍を振り回す。ゴツゴツ! ゴツゴツ! ゴツゴツ! と穴の中で、何度も固いものを打つ感触がする。だがそれに構わず、当真は竹槍を振るい続けた。
「オラオラ オラオラ オラオラーッ! わかったかーっ! このクソ野郎っ!!」
当初の計画とはだいぶ違うが、これは仕方がない。当真の中にある怒りと、榛名春奈先生への熱い想い。
「こんのっ、エログチがぁー! よくも今までやりやがったなー!」
この二つの感情が、自分でも制御出来ないくらいに、当真の中で大きくなっていたのだ。
「いつまでも、調子に乗ってんじゃねぇーぞ! オラァー!」
更なる一撃を加えようと、当真が竹槍を大きく振り上げた次の瞬間、落とし穴の内部で凄まじい怒号が響いた。
「ゴオオオオォー!!!」
「うわぁっ!?」
その声に驚いて一歩後ずさる当真。
「な、なんて声出しやがる」
彼がそう言うのと同時に、落とし穴の中からズルリ…という重たい物を引き摺るような音が聞こえてきた。
「え?」
得体の知れない何かが、落し穴から這い上がってくる。その事にまだ当真は気付いていない。
「グッギャアー!」
そして、唐突に悲鳴を上げながら姿を見せたのは、奴ら三人の内の誰でもなかった。
「!?」
いやそもそもソイツは、人間の格好をしてはいなかったのだ。 
「ええー!? なんだよっ! これぇー!?」
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