第1話 弁当箱
文字数 3,414文字
あの赤黒い色と鼻をつく臭いは、おそらく一生忘れられないと思う。少しだけ回り道をするけれど、どうぞ付き合ってもらいたい。
僕は小学5年の時に転校をすると、成績が一気によくなった。頭がよくなったわけではない。勉強に力を入れているA市から、比較的のんびりしたB市に移ったせいだ。漢字や算数のテストで、簡単に百点をとれるようになった。
A市の時は虫取りとスポーツが得意なタイプだったが、B市に移るとガリ勉タイプ優等生というキャラづけがなされた。僕自身は変わっていない。クラス内での立ち位置が変わったのである。
クラスの男子ではサッカーが流行っていて、昼休みになると皆グラウンドに飛び出て行く。僕はサッカーが得意ではなかったけど、勇気を出して仲間に入れてもらった。スポーツもそこそこいけるキャラづけを狙ったのである。
しかし、完全に裏目に出た。ゴールキーパーを任されたのだが、リーダー格のシュートをまともに顔面に受けたのだ。鼻血が吹き出して、頭がクラクラした。保健室で手当てを受けてクラスに戻ると、「ダッセぇ」と罵られ、すっかりクラスの笑いものだった。
サッカーではなく得意な野球だったらよかったのだが、後で悔やんでも仕方がない。僕のガリ勉タイプの優等生キャラは決定的になってしまった。
男の子は残酷だ。「ダサい奴とは遊ばねぇ」という不文律があり、僕はまんまとその犠牲になってしまった。春に進級するまで、キャラづけの見直しは期待できない。
僕は仕方なく、壁打ちという一人遊びに励んだ。テニスではなく、野球のそれだ。団地の巨大な壁面や児童公園の銅像の台座に軟球を放り投げては、跳ね返ってきたところをグラブでキャッチする。ただ、それを繰り返すだけである。
ただ、団地では組合長さんから「音がうるさいので他所でやって」と言われ、児童公園では管理人さんから「銅像に当たって壊れたら弁償しないといけないよ。君に支払える?」と脅された。
だから、壁打ちをするには、自転車にまたがって、小学校の校庭に行かねばならなかった。プールの側面にあたる壁は高さが2mしかないけれど、校務員さんに見つかっても、怒られることはなかった。
投げては捕り、投げては捕る。リズミカルに繰り返していた。声をかけられたのは、そんな時だった。
「お兄ちゃん、うまいなぁ。すごいなぁ」
振り返ると、男の子が笑顔で立っていた。背丈が僕の肩ぐらいしかない。二年生か三年生だろう、と思った。僕は無言で壁打ちを続けた。背中に視線を感じたので、さりげなく振り向いた。やはり男の子がジッと僕を見ていた。
「キャッチボールをしようか?」
声をかけると、仔犬のようにすっ飛んできた。男の子にグローブを貸してやり、ゆっくり下からボールを投げてやった。なかなかキャッチできなかったけど、うまくグラブの中におさまると飛び上がって喜んだ。弾けるような笑顔だった。
僕も笑顔だったはずだ。男の子と遊べて本当に楽しかった。気がつくと、陽が傾いて空が茜色に染まりかけていた。
「もう、そろそろ終わりにしようか?」
「やだ。お兄ちゃん、もっと遊ぼうよ」
男の子の投げたボールが大きくそれて、見当違いの方向に転がっていった。僕は慌てて追いかけた。ボールは思いの外、コロコロと転がっていく。男の子が投げたにしては、信じられない速さだった。
たちまち、校庭の反対側にある雑木林にまぎれこんでしまった。長年放置されているせいか、木々の枝の伸び方は無秩序で、青々とした雑草が生い茂っている。雑木林というより、森に近いかもしれない。
中に入ってみると、薄暗くてひんやりしていた。湿気を含んだ空気が肌にまとわりついた。
「お兄ちゃん、ボールあったぁ?」
「今さがしてる。たぶん、大丈夫」
そう言いつつ、こいつは手こずりそうだ、と思った。5分ほど探していると、太い木の根元に光るものがあった。白いボールが夕陽を受けて光っているのか、と思ったけれど、それはボールではなかった。
アルマイト製の弁当箱だった。なぜか、地べたに放置されている。どうして、こんなところに弁当箱があるのだろう。誰かの忘れ物だろうか?
何気なく蓋を開けたら、ひどい臭いとともに、気味の悪いものが眼に飛び込んできた。ビニール袋に入った血まみれの生肉が、びっしりと弁当箱に詰め込まれていたのだ。臭いからして間違いなく腐っていたはずだ。
毒々しい赤とむせかえるような悪臭は、今でもしっかり覚えている。
僕は慌てて、弁当箱に蓋をした。ひどい臭いの粒子が、手や顔にこびりついたような気がした。最悪な気分だ。校庭を横切って水飲み場に行くと、丁寧に洗った。人心地がつくまで、男の子のことをすっかり忘れていた。
夕暮れに染まった校庭に、男の子の姿はなかった。きっと待ちくたびれて帰ってしまったのだろう。
弁当箱に入っていた生肉の件は気持ち悪かったけれど、子供のことなので物事を深くは考えていない。日々の雑多な情報に埋もれて、時間の経過とともに、やがては忘れるはずだった。だが、大人になった僕の脳裏には、生肉の赤黒さと臭いが焼き付いている。
その訳について述べようと思う。
当時、僕は怪獣や星人と戦う特撮ヒーロー物が大好きだったのだが、時折り、残酷でショッキングなシーンがあった。本来負けるはずがないヒーローが、悪者に殺されて、無残にもバラバラにされるのだ。頭部や手足が胴体から切り離され、文字通りバラバラになっていた。
現代ではありえないことだが、そんな映像が昭和期にはブラウン管に流されていた。もちろん、ヒーローは復活して悪者を倒すのだが、バラバラになった身体の映像は鮮明に眼に焼き付いている。制作スタッフは新鮮な刺激を求めて、バラバラ殺人を特撮番組に引用したのだろうか?
人間を殺害してバラバラにする。そんな不道徳で悪魔的な行為を、もしかしたら僕は目の当たりにしたのかもしれない。弁当箱に詰められていた生肉は、牛や豚ではなく人間の肉ではなかったのか?
人間の肉は不味 くて臭いらしい。そんな噂を学生時代に耳にした。同族を食べるというタブーを防ぐため、不味くて臭いらしい。ちなみに、その臭いとは、使い古しの紙幣を燃やした時のそれに近いとか。
バラバラ殺人が起こる度、新聞やテレビで報じられる度、赤黒い生肉は人間のそれなのだ、という思いが強まっていった。それは今や、確信に近くなっている。
時計の針を小学5年の夏に戻そう。
翌日、おそるおそる雑木林に行ってみたが、あの弁当箱は見つからなかった。誰かが持ち去ったのだろうか。
もう一つ、不思議なことがあった。キャッチボールをした男の子についてである。あれ以来、低学年のクラスを見て回ったのだが、どこにも見当たらないのだ。あの男の子には二度と会うことができなかった。確かに、よその小学校の子かもしれないし、親戚の家を訪ねてきた遠くの子なのかもしれない。
ただ、僕の中では一つの物語ができあがっている。
あの男の子は何者かに殺されて、無残にもバラバラにされた。その肉はビニールでパックされ、なぜか弁当箱に詰め込まれた。男の子は誰かに見つけてもらいたかったのだろう。たまたま、近くに居合わせた僕が発見者に選ばれた、というわけだ。
我ながら穴だらけの推理かもしれない。夢でも見たのではないか、と思われたことだろう。その通りなのだ。
あれ以来、今でも時折り、男の子は夢の中に出てくる。僕と楽しそうにキャッチボールをして、あの時と同じように仔犬のようにはしゃぎまわるのだ。
でも、気が付くと、男の子は血まみれの姿になっている。あちらこちらから、血がポタポタと滴り落ちていた。右腕が肩のあたりからボロリと落ちた。左腕は肘のあたりから。
男の子は小首を傾げたまま、首から上がズルリとずれて、ゴロンと転がり落ちた。なのに、表情は笑顔のままなのだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」生首が屈託なく笑っている。
まさに、悪夢だ。本当なら、こんなことは、すっかり忘れてしまいたい。でも、どうしても無理なのだ。
あの赤黒い色と鼻をつく臭いは、おそらく一生忘れられない。
僕は小学5年の時に転校をすると、成績が一気によくなった。頭がよくなったわけではない。勉強に力を入れているA市から、比較的のんびりしたB市に移ったせいだ。漢字や算数のテストで、簡単に百点をとれるようになった。
A市の時は虫取りとスポーツが得意なタイプだったが、B市に移るとガリ勉タイプ優等生というキャラづけがなされた。僕自身は変わっていない。クラス内での立ち位置が変わったのである。
クラスの男子ではサッカーが流行っていて、昼休みになると皆グラウンドに飛び出て行く。僕はサッカーが得意ではなかったけど、勇気を出して仲間に入れてもらった。スポーツもそこそこいけるキャラづけを狙ったのである。
しかし、完全に裏目に出た。ゴールキーパーを任されたのだが、リーダー格のシュートをまともに顔面に受けたのだ。鼻血が吹き出して、頭がクラクラした。保健室で手当てを受けてクラスに戻ると、「ダッセぇ」と罵られ、すっかりクラスの笑いものだった。
サッカーではなく得意な野球だったらよかったのだが、後で悔やんでも仕方がない。僕のガリ勉タイプの優等生キャラは決定的になってしまった。
男の子は残酷だ。「ダサい奴とは遊ばねぇ」という不文律があり、僕はまんまとその犠牲になってしまった。春に進級するまで、キャラづけの見直しは期待できない。
僕は仕方なく、壁打ちという一人遊びに励んだ。テニスではなく、野球のそれだ。団地の巨大な壁面や児童公園の銅像の台座に軟球を放り投げては、跳ね返ってきたところをグラブでキャッチする。ただ、それを繰り返すだけである。
ただ、団地では組合長さんから「音がうるさいので他所でやって」と言われ、児童公園では管理人さんから「銅像に当たって壊れたら弁償しないといけないよ。君に支払える?」と脅された。
だから、壁打ちをするには、自転車にまたがって、小学校の校庭に行かねばならなかった。プールの側面にあたる壁は高さが2mしかないけれど、校務員さんに見つかっても、怒られることはなかった。
投げては捕り、投げては捕る。リズミカルに繰り返していた。声をかけられたのは、そんな時だった。
「お兄ちゃん、うまいなぁ。すごいなぁ」
振り返ると、男の子が笑顔で立っていた。背丈が僕の肩ぐらいしかない。二年生か三年生だろう、と思った。僕は無言で壁打ちを続けた。背中に視線を感じたので、さりげなく振り向いた。やはり男の子がジッと僕を見ていた。
「キャッチボールをしようか?」
声をかけると、仔犬のようにすっ飛んできた。男の子にグローブを貸してやり、ゆっくり下からボールを投げてやった。なかなかキャッチできなかったけど、うまくグラブの中におさまると飛び上がって喜んだ。弾けるような笑顔だった。
僕も笑顔だったはずだ。男の子と遊べて本当に楽しかった。気がつくと、陽が傾いて空が茜色に染まりかけていた。
「もう、そろそろ終わりにしようか?」
「やだ。お兄ちゃん、もっと遊ぼうよ」
男の子の投げたボールが大きくそれて、見当違いの方向に転がっていった。僕は慌てて追いかけた。ボールは思いの外、コロコロと転がっていく。男の子が投げたにしては、信じられない速さだった。
たちまち、校庭の反対側にある雑木林にまぎれこんでしまった。長年放置されているせいか、木々の枝の伸び方は無秩序で、青々とした雑草が生い茂っている。雑木林というより、森に近いかもしれない。
中に入ってみると、薄暗くてひんやりしていた。湿気を含んだ空気が肌にまとわりついた。
「お兄ちゃん、ボールあったぁ?」
「今さがしてる。たぶん、大丈夫」
そう言いつつ、こいつは手こずりそうだ、と思った。5分ほど探していると、太い木の根元に光るものがあった。白いボールが夕陽を受けて光っているのか、と思ったけれど、それはボールではなかった。
アルマイト製の弁当箱だった。なぜか、地べたに放置されている。どうして、こんなところに弁当箱があるのだろう。誰かの忘れ物だろうか?
何気なく蓋を開けたら、ひどい臭いとともに、気味の悪いものが眼に飛び込んできた。ビニール袋に入った血まみれの生肉が、びっしりと弁当箱に詰め込まれていたのだ。臭いからして間違いなく腐っていたはずだ。
毒々しい赤とむせかえるような悪臭は、今でもしっかり覚えている。
僕は慌てて、弁当箱に蓋をした。ひどい臭いの粒子が、手や顔にこびりついたような気がした。最悪な気分だ。校庭を横切って水飲み場に行くと、丁寧に洗った。人心地がつくまで、男の子のことをすっかり忘れていた。
夕暮れに染まった校庭に、男の子の姿はなかった。きっと待ちくたびれて帰ってしまったのだろう。
弁当箱に入っていた生肉の件は気持ち悪かったけれど、子供のことなので物事を深くは考えていない。日々の雑多な情報に埋もれて、時間の経過とともに、やがては忘れるはずだった。だが、大人になった僕の脳裏には、生肉の赤黒さと臭いが焼き付いている。
その訳について述べようと思う。
当時、僕は怪獣や星人と戦う特撮ヒーロー物が大好きだったのだが、時折り、残酷でショッキングなシーンがあった。本来負けるはずがないヒーローが、悪者に殺されて、無残にもバラバラにされるのだ。頭部や手足が胴体から切り離され、文字通りバラバラになっていた。
現代ではありえないことだが、そんな映像が昭和期にはブラウン管に流されていた。もちろん、ヒーローは復活して悪者を倒すのだが、バラバラになった身体の映像は鮮明に眼に焼き付いている。制作スタッフは新鮮な刺激を求めて、バラバラ殺人を特撮番組に引用したのだろうか?
人間を殺害してバラバラにする。そんな不道徳で悪魔的な行為を、もしかしたら僕は目の当たりにしたのかもしれない。弁当箱に詰められていた生肉は、牛や豚ではなく人間の肉ではなかったのか?
人間の肉は
バラバラ殺人が起こる度、新聞やテレビで報じられる度、赤黒い生肉は人間のそれなのだ、という思いが強まっていった。それは今や、確信に近くなっている。
時計の針を小学5年の夏に戻そう。
翌日、おそるおそる雑木林に行ってみたが、あの弁当箱は見つからなかった。誰かが持ち去ったのだろうか。
もう一つ、不思議なことがあった。キャッチボールをした男の子についてである。あれ以来、低学年のクラスを見て回ったのだが、どこにも見当たらないのだ。あの男の子には二度と会うことができなかった。確かに、よその小学校の子かもしれないし、親戚の家を訪ねてきた遠くの子なのかもしれない。
ただ、僕の中では一つの物語ができあがっている。
あの男の子は何者かに殺されて、無残にもバラバラにされた。その肉はビニールでパックされ、なぜか弁当箱に詰め込まれた。男の子は誰かに見つけてもらいたかったのだろう。たまたま、近くに居合わせた僕が発見者に選ばれた、というわけだ。
我ながら穴だらけの推理かもしれない。夢でも見たのではないか、と思われたことだろう。その通りなのだ。
あれ以来、今でも時折り、男の子は夢の中に出てくる。僕と楽しそうにキャッチボールをして、あの時と同じように仔犬のようにはしゃぎまわるのだ。
でも、気が付くと、男の子は血まみれの姿になっている。あちらこちらから、血がポタポタと滴り落ちていた。右腕が肩のあたりからボロリと落ちた。左腕は肘のあたりから。
男の子は小首を傾げたまま、首から上がズルリとずれて、ゴロンと転がり落ちた。なのに、表情は笑顔のままなのだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」生首が屈託なく笑っている。
まさに、悪夢だ。本当なら、こんなことは、すっかり忘れてしまいたい。でも、どうしても無理なのだ。
あの赤黒い色と鼻をつく臭いは、おそらく一生忘れられない。