萌香のいない日に(4)
文字数 1,467文字
湯本隊員は、刀掛けから木刀を1本取ると、再び道場の中央に戻って正座し、木刀を左脇に置いた。正面には師範席。今は父が座っていないので、奥の掛け軸だけが偉そうに踏ん反り返っている。
彼が宗家である父親と最後に言葉を交わしたのは、この場所であった。その後、別に話す機会が無かったと云う訳でもないのだが、何となく間が悪いと感じ、食事時なども、声を掛ける気にはならなかったのだ。
あの時は……、そう、湯本隊員が、異星人討伐隊への入隊を決意した、そのことを師範の座に座る父親に伝えた時であった。
「父さん、僕は異星人討伐隊に入隊したいと思ってる!」
「学校はどうするのだ?」
「学校の勉強は続けるよ。非常勤となるから、休日の出勤だけで構わないんだ」
「休日とな……。では、湯本流剣術の稽古はどうするのだ? 高校の授業との両立すらも簡単な事ではないと思うのだが……」
「稽古は暫く休みにさせて貰うよ。湯本流剣術は万人の為の剣術。だったら、稽古ばかりしていても意味ないだろう? 実戦の場で、人の為に尽くしてこそ、湯本流剣術を習う意味があるってものじゃないか!」
「そうか……」
湯本隊員の父は、敢えて彼を止める事をせず、彼の望むままに剣術修行を休ませ、異星人討伐隊で働くことに同意してくれた。それは正直、湯本隊員にしても、少々拍子抜けの感があった。
湯本隊員は木刀を左手に持つと、徐に立ち上がった。そして正眼に構え、今まで習い覚えてきた湯本流の型を、次々と繰り返していく。
湯本隊員は湯本流の免許皆伝である。ただ、免許皆伝と言っても、湯本流では別段大したものでは無い。それは単に、湯本流に伝わる全ての型を教わったと云う証明に過ぎない。型や呼吸は同じでも、遣い手に依って速度も威力も異なる。その熟達は、日々の努力で鍛えられるものであり、それこそが湯本流の真の修行に他ならなかった。
彼が通しで一連の型を3度繰り返した頃、やっと朝日が登って来て、鳥の囀りが聞こえてくる。もう間も無く、朝飯前にひと汗掻こうと、住み込みの弟子がやって来るに違いない。
だが、意外にも、今日最初に道場に現れたのは、彼の父、宗家湯本須雲だった……。
湯本須雲は武道家とは思えない程に線が細く、ウェーブの掛かった髪に口髭を生やした一見文人風の男であった。その姿はどことなく、千円札になった野口英世の肖像画を思わせる。
こうして見ると、親子だけあって、この2人の雰囲気は、どことなく似通っているところがある。2人とも眼鏡を外し、今はコンタクトをしているからかも知れない。
「父さん……」
「珍しいな……。と、言うか、休んでいるのだから、道場にいることの方が、不思議なのかも知れんな……」
「勝手なことをしてしまって、ご免……」
「構わん……。お前は宗家の血筋なのだ。常に鍛錬する気持ちを持っているのは、別に悪い事ではない。それに、お前は休んでいただけで、辞めた訳でもなければ、稽古を禁止されている訳でもないからな……」
「……」
「で、どうしたのだ?」
湯本隊員は、父の質問に直ぐには答えなかった。答えが思い付かなかった訳ではない。だが、それを説明するのが憚られたのだ。
湯本須雲は彼の返事を待たず、師範の座へと歩んで、そこに座った。
「父さん、折角だから、少し、稽古を付けて貰えないか?」
息子の表情が気になった須雲は、一言、「うむ」と言った以外何も言わず、立ち上が有、壁の刀掛けに近づいて、木刀を1つ選んでから片手で軽く振って塩梅を確かめる。
そして湯本隊員の方に向き直って、「来い」とだけ言い放った。
彼が宗家である父親と最後に言葉を交わしたのは、この場所であった。その後、別に話す機会が無かったと云う訳でもないのだが、何となく間が悪いと感じ、食事時なども、声を掛ける気にはならなかったのだ。
あの時は……、そう、湯本隊員が、異星人討伐隊への入隊を決意した、そのことを師範の座に座る父親に伝えた時であった。
「父さん、僕は異星人討伐隊に入隊したいと思ってる!」
「学校はどうするのだ?」
「学校の勉強は続けるよ。非常勤となるから、休日の出勤だけで構わないんだ」
「休日とな……。では、湯本流剣術の稽古はどうするのだ? 高校の授業との両立すらも簡単な事ではないと思うのだが……」
「稽古は暫く休みにさせて貰うよ。湯本流剣術は万人の為の剣術。だったら、稽古ばかりしていても意味ないだろう? 実戦の場で、人の為に尽くしてこそ、湯本流剣術を習う意味があるってものじゃないか!」
「そうか……」
湯本隊員の父は、敢えて彼を止める事をせず、彼の望むままに剣術修行を休ませ、異星人討伐隊で働くことに同意してくれた。それは正直、湯本隊員にしても、少々拍子抜けの感があった。
湯本隊員は木刀を左手に持つと、徐に立ち上がった。そして正眼に構え、今まで習い覚えてきた湯本流の型を、次々と繰り返していく。
湯本隊員は湯本流の免許皆伝である。ただ、免許皆伝と言っても、湯本流では別段大したものでは無い。それは単に、湯本流に伝わる全ての型を教わったと云う証明に過ぎない。型や呼吸は同じでも、遣い手に依って速度も威力も異なる。その熟達は、日々の努力で鍛えられるものであり、それこそが湯本流の真の修行に他ならなかった。
彼が通しで一連の型を3度繰り返した頃、やっと朝日が登って来て、鳥の囀りが聞こえてくる。もう間も無く、朝飯前にひと汗掻こうと、住み込みの弟子がやって来るに違いない。
だが、意外にも、今日最初に道場に現れたのは、彼の父、宗家湯本須雲だった……。
湯本須雲は武道家とは思えない程に線が細く、ウェーブの掛かった髪に口髭を生やした一見文人風の男であった。その姿はどことなく、千円札になった野口英世の肖像画を思わせる。
こうして見ると、親子だけあって、この2人の雰囲気は、どことなく似通っているところがある。2人とも眼鏡を外し、今はコンタクトをしているからかも知れない。
「父さん……」
「珍しいな……。と、言うか、休んでいるのだから、道場にいることの方が、不思議なのかも知れんな……」
「勝手なことをしてしまって、ご免……」
「構わん……。お前は宗家の血筋なのだ。常に鍛錬する気持ちを持っているのは、別に悪い事ではない。それに、お前は休んでいただけで、辞めた訳でもなければ、稽古を禁止されている訳でもないからな……」
「……」
「で、どうしたのだ?」
湯本隊員は、父の質問に直ぐには答えなかった。答えが思い付かなかった訳ではない。だが、それを説明するのが憚られたのだ。
湯本須雲は彼の返事を待たず、師範の座へと歩んで、そこに座った。
「父さん、折角だから、少し、稽古を付けて貰えないか?」
息子の表情が気になった須雲は、一言、「うむ」と言った以外何も言わず、立ち上が有、壁の刀掛けに近づいて、木刀を1つ選んでから片手で軽く振って塩梅を確かめる。
そして湯本隊員の方に向き直って、「来い」とだけ言い放った。