その3 「ちょうど必要なだけの数の音符でございます、陛下」

文字数 2,151文字

(2020/01/19)

 タイトルのこの台詞、ご存知の方も多いかもしれないが、モーツァルトが言ったという言葉だ。映画『アマデウス』でも使われている。皇帝ヨーゼフ二世が彼のオペラに対して「美しいが、音符が多すぎる」と感想をもらしたことに対する返答だ。
 カッコいい。カッコいいぞ、モーツァルト。

 戯曲を書きはじめたばかりの頃、書いたものを、尊敬する俳優さんに読んでいただいたことがある。かりにMさんとさせていただく。かつて一世を風靡した劇団の看板役者だった方だ。もちろん、いまも現役で活躍中だ。
 感想をつづったていねいな手紙が送られてきた。未熟な原稿に、少しでも良いところがないか辛抱強く探し、言葉を選んではげましてくださっていた。
 末尾に――「少し言葉が多すぎるような気がします」、とあった。

 天才モーツァルトとオタンチン皇帝の場合とは逆で、それまで芝居など書いたこともなかった青二才と大ベテランだ。Mさんのほうが正しいに決まっている。
 正しいとわかっているからこそ、しょげた。
 しょげたとはいえ、この指摘は、その後現在にいたるまで、私のいちばん大事な指針となることになった。
 言葉が多すぎる。どういう意味なんだろう。

 もっと「スキ」(「好き」じゃない「隙」)があったほうが、役者としてはやりがいがあります、というのが、Mさんのアドバイスだった。
 俳優の経験もなく、無手勝流で書きはじめた戯曲だ。「役者のやりがい」のことなんて、思い浮かびさえしなかった。
 台本の「スキ」(くどいが「隙」)って、何だろう。
 そこから私の、長い長い書き直しが始まった。

 同じ指摘は、別の女優さんからももらった。彼女(Aさんとしておく)は具体的に、気になる個所をあげてくれた。たいてい、ト書きだった。
 登場人物たちが動いたり話したりする様子を、なるべくくわしく思い浮かべながら書いた。それで、つい細かいしぐさまで書いてしまっていた。それは演出家と俳優が考えればいいことだから、と彼女は言う。
 ああ、なるほどね。

 映画のシナリオはちがう。ト書きは具体的で、繊細なもののほうがいいらしい。
 でも、戯曲は、いろいろな人の手で上演されることを前提に書かれる。少なくとも、それを夢見て書かれる。
 だから、ありとあらゆる可能性に対して、開かれていなければいけないんだね。

「激しく首を振る」などというト書きを書いてしまったことがある。俳優さん(Bくんとしておく)は、そっと二、三度、かぶりを振っただけだった。そのほうが、はるかによかった。「激しく」なんていう指定は、よけいなお世話だった。

 『ブンナよ、木から下りてこい』を脚色された小松幹生先生が、書いておられた。ト書きに「蛇登場」と書く。どんな蛇がどう出てくるのか、そんなことはいっさい説明しない。ただ、「蛇登場」。その筆致は、なんとも楽しそうだった。
「蛇登場」。
 なるほど。それでいいのか。

 そうなると、ト書きだけでなく、台詞そのものも気になり出した。
 ある日、バレエを見た帰り道に、ふと思った。私の戯曲がバレエ化されたら、どうなるんだろう?
 恋人どうしが出会う。結ばれるには、越えられない壁がある。思いはつのるばかりだ。誤解と絶望。和解と希望。『白鳥の湖』に、台詞はない。
 台詞が一つもなくても、ドラマは成立している。そのことに思い当ったとき、衝撃が走った。私の書く台詞なんて、どれもこれも、ただのむだ口なのかもしれない!

 そうでない台詞だけを、書かなければ。ターンのひとつ、ジャンプのひとつに相当する台詞だけを、書かなければ。

 私の台本の「ダイエット」は、だんだん凄惨を極めてきた(ちょっとおおげさ)。体のダイエットと同じで、台本のダイエットも、自分の口に甘いものから切っていくのが鉄則だ。気に入っている台詞にかぎって、足を引っぱっていることが多い。
 いったん書きはじめると、私は文字どおり寝食を忘れる。台所に出しっぱなしの皿の上にパンくずを見て、そういえばトーストを食べたような気もする、とぼんやり考える。三日三晩、主食が柿ピーだったこともある。こういうときはつくづく、家族がいなくてよかったと思う。こんな妻や母を持つなんて気の毒すぎる。

 書き直しては、行数を数える。体重計の目盛りを見るのと同じだ。今日は何行削った!と満足感にひたる。量の問題じゃないでしょうと言われるかもしれないが、量の問題なのだ。
 だって、百回生まれ変わったって、モーツァルトにはなれない。質がダメならせめて量で、理想をめざす。しか、ないでしょ?

 けっきょく、決定稿が完成するまで、2年かかった。
 それが、シアターユニット・サラの旗揚げ公演となった『沈める町』だ。
 https://novel.daysneo.com/works/53da01a61445ff9feae68e22aa6432ca.html

(付記:その後、2020年10月と2021年5月にも徹底改稿して、現在に至ります。)

 Mさん、Aさん、Bくんには、本当に感謝している。私の船出のとき、決定的に大切なことを教えてもらった。

 いまも舞台に立つときは、客席に向かって、心の中で言っている私だ。
「ちょうど必要なだけの数の台詞でございます、陛下」。

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