24時50分 海と月

文字数 798文字

 二十四時五十分、僕は誰も居ない海水浴場に居た。
 千葉の海沿いに住む僕は、今まで勤めていた水産加工場の仕事を辞めて、最後の勤務の後に地元の飲み屋で酒を飲み、酔いをさます為に海沿いを歩いて、真夜中の海水浴場の砂浜まで来たのだった。
 僕は浜の近くのコンクリートの護岸に腰掛けて、鈍くなった感覚のまま夜の海を見た。誰も居ない真夜中の海水浴場は、昼間の海水浴客の喧噪で聞こえにくい波音がより一層強調されて耳に入ってくる。力強くてどこかにおおらかさを感じさせる波音は、芋焼酎によって緩んでしまった僕の気持ちを次第に締め直し、意識をはっきりさせてくる。潮風に当たった自分の唇を舐めると仄かな塩味がして、調理前に塩を振られた魚のようで面白かった。
 そうして地元の海に味付けをされていると、夜空に欠けて楕円形になった月が浮かんでいる事に気付いた。月は尖った部分を妙に強調していて、陰の部分を強調し斜に構えているような刺々しさを感じる。その姿が仕事を辞めた僕に似ているような気がして、自分の心情が空に浮かんでいるような面白さを覚えた。
 その月から視線を下すと、穏やかな沖合の海面にその尖った月の光が浮かんでいた。映った月の明かりは波によって形があやふやになり、酒に酔ってまどろんでいる人間の心の様にも見える。
「尖った月も、湿ってしまえば形があやふやになるか」
 僕はそう思った。そして近くにある光は映った虚像で、本物は高くて遠い場所にある。生きる目的の縮図のようだと思うと、また余計に面白さが増してくる。久々の深酒で恐らく気分が良いのだろう。
「欠け始めた月は、時間は掛かるがやがて満月になる。この海も穏やかな波の海になり、昼になれば海水浴客でにぎわう」
 僕はその事実を心で呟いた後、もう一つ言い聞かせるように心で呟いた。
「だから仕事を辞めたくらいで、乱れたような自分にはなるな。満ち欠けは必ず起こることなのだ」


(了)
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