Eyes wide shut

文字数 2,000文字

 「やっぱり見るのはよそう。」
九十歳の大往生を迎えた佳子の三人の子供達は、テーブルの上にあるタブレットをじっと見ている。
 「でも、母さん、それずっと見ていたよね。」
 長男の和人は母、佳子が何を見ていたのかずっと気になっていた。長女の奈緒は見るのをためらっている。死んだ母のプライバシーに立ち入るのは良くない。
 「だったら、私が持って帰る。形見にする。」
 次女の恵がタブレットに手を伸ばす。見るか見ないかの議論なのに、それを欲しいからとものにしようとする恵に奈緒はイラっとして、和人は声を上げる。
 「恵、お前はいつもそうだ。自分の事ばっかり。だから、熟年離婚される側になったんだ。」
 「そうよ恵、そこは兄さんの言う通り。」
 「私が独り者になったから、母ちゃんの最後の面倒を見れたのよ。二人とも社会的には立派な人かもしれないけど母ちゃん放ったらかしで、そうよ、人でなしじゃないの!」
 辛辣な恵の指摘に和人と奈緒は一瞬黙り込んだが、妹に負けてはならないと声を上げる。
 「恵、お前は住むところがないから母さんのところへ居座っただけだろう!それもたった一年だけじゃないか!何もかもしたように威張るな!」
 「そうよ、恵が住んでる実家のことは兄さんが見ていたし、恵が帰って来る前には私だって、母さんのところに行っていたのよ。あんたがいるから、邪魔しちゃダメだと思って行かなかったのよ。」
 三人が自分だけはちゃんとしていたと、不毛な主張を繰り返す醜い言い合いを始めた。誰も望まない七十歳を頭とする高齢者兄弟喧嘩。
 「とにかく、兄ちゃん姉ちゃんは母ちゃんの動画を見れないの!」
 「お前にそんな権利はない!決めるのは長男の俺だ!」
 「・・ちょっと、恵、動画ってなによ!あんた、見たことあるの!」
 「無いわよ。でも、確かに母ちゃんが見ていたのは動画だったと思う。ちょっと覗いたことがあって、母ちゃんが真っ赤な顔して誤魔化そうとしていたの。でもね、見えてなかったから、それ言うと安心して、でもタブレットはずっと手放さなかった。私、気になっているの。あれ見ている時、母ちゃん幸せそうな顔してたし。」
 母親である佳子は決して平坦な道を歩んでいなかった。夫は子供達が十代になる頃には亡くなっており、佳子は女手一つで三人を育て上げた。朝も昼も夜も何かしら働き、子供達の世話をした。いつも穏やかな顔をしていたが、それは子供達にとって痛々しいまでの穏やかな顔だった。だけど、たまに本当に穏やかな顔をしているのを三人は知っていた。その母は一人で夜遅くとか、子供達がいない時とか、そんな時に何かを見て元気になっていた。
 「母さんは、この動画を見て頑張っていれたんだと思う。たぶん初めはタブレットじゃなくて、昔のビデオテープに入れていて、それをDVDに移し替えて、最後にタブレットに移したんだと思う。私が高校生の頃、夜遅くに母さんがビデオを見てて、私が部屋に入って来るなり消していた。リモコン片手に見ていたから、たぶん、すぐに消してしまえるようにしていたんだと思う。」
 「それなら俺も知っている。嫁と離婚する相談をしに家に電話せずに行った時に、慌ててDVDのコンセント引っ張り抜いてた。まあ、あんときは離婚せずに済んだけど。」
 恵と奈緒が顔を見合わせて鼻で笑う。
 「たぶん、そのタブレットに入ってる。データ変換とかのやり方書いたチラシの裏紙があったもん。最後の頃はずっと見てたのよ。で、なんか、ずっと照れたような顔してたの。見せてよって言ったら、母ちゃんが生きている間は見てはいけないって笑って言ったのよ。」
 「なら、もう見ていいよね。死んじゃったんだから。」
 長女の奈緒が結論づける。恵は奈緒に決められたことが癪に触ったが、一人で見るのも少し怖かったので姉に従うことにする。和人は見たくて仕方がない。
 
 タブレットを覗き込む三人。「見てはいけない」と題名が書いた動画を待ちきれないように和人がクリックする。再生が始まる。殺風景な部屋にはふとんが敷いてあって、自分たちの子供よりも若い女が座っている。若い頃の佳子だった。そこに和人によく似た男が画面端から現れた。若い頃の父親だった。おそらくカメラをセットしたのだろう。自分たちの息子たちより若い頃の父と母がカメラに向かって照れ笑いをする。三人は嫌な予感しかしなかった。
 若い二人が、何もない部屋で、お互いだけを情愛のこもった目で見つめ合っている。二人は、お互いの存在がこの世にあるだけで嬉しいように、それを確かめるように触り合っている。表情は明るく輝き、春先に生まれたばかりの子熊がじゃれ合っているように、本当に楽しそうに事を始めた。裸で抱き合い、何度も顔を見合わせる若い父と母の様子を見て、三人は肘でお互いを小突き合いながら、何も言えず、ただ、嬉し恥ずかしな照れ笑いを浮かべるしかなかった。
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