高校の文化祭

文字数 2,987文字

 吹奏楽部の部長とは苦労が多い。圧倒的な威厳を保ちながらも、部員達から親しまれる愛嬌を持ちあわせなくてはならない仕事だ。
 今日は文化祭。ここは仮装パーティ。
 三百人ほどの生徒たちのなかから、管楽器パートの変人で名高い三名を探し出さなくてはならない。明日の演奏会のために、OGとOBが練習を見てくれるということで来校したのだ。卒業生とはいえ、先輩の顔を立てることは絶対だ。即座に、後輩たちを集めなくてはならない。
 大声で名前を呼べばわかるだろうが、吹奏楽部の名前に泥を塗っては部長として恥だ。
 生徒達は椅子に座り、歓談したり読書やプリントをながめたりしている。
「どうするべきか、困りましたね……」
 独り言をつぶやくと、どこからか声がする。
「習慣で見抜く。顔が見えないからこそよくわかるだろ」
 拍子抜けた声だが、着眼点は的確だ。
 部室では変人として知られる三人だが、クラスではおとなしい。というか、常に譜読みをしている場合が多い。静かにしている三人のグループがいくつかある。
 そして、椅子に浅く腰掛けるている生徒。この条件で絞り込むと、めぼしいのは二つのグループにしぼられた。おそらくあのどちらかだろう。
「待つんだ。決定的な証拠を見せて話しかけるんだ」
 またか。誰なんだろう。けれど目をそちらへ向ける余裕も、今はない。
「君たちだけの共通言語があるだろ。みんなは英語、君たちはドイツ語」
 
 ◆

 共通言語……。そんなものは日本語に決まっている。
 けれど、習慣から見抜くことがヒントだとその声は言っていた。するどい着眼点からして間違いではないだろう。考えを整理するために、ここまで解決したことを振り返ってみる。
 まず、椅子だ。
 吹奏楽部の部員達は普通の生徒と違った椅子の座り方をする。楽器を演奏する際には、腹式呼吸で楽器を鳴らすためだ。へその下あたりにある丹田という部分で、おなかを支えるようにして呼吸をする。腹式呼吸を意識すると、自然と背筋は伸び、足と腰で身体を支えようとする。椅子に深く腰をかけてしまうとこの姿勢は成立しない。楽器をよく響かせるために椅子に浅く腰掛けることが、普段から習慣になっているのだ。
 ただし吹奏楽部とひとくくりにできない例外として、打楽器パートがある。パーカッションと呼ばれる彼女ら・彼らは、椅子に浅く腰掛ける習慣が身についていない可能性もあるが、探している部員は三名とも管楽器パートだ。
 二つ目のおとなしそうにしている三人組に目をつけたこと。部内では"変人"と呼ばれている三名なので、おそらく教室でも、さわがしいみんなの人気者だと考えるのが普通だろう。吹奏楽部に所属している人間だけが知る、知られざる生態があるのだ。もちろん万人に当てはまるものではないが、なぜか部活動では変人として振る舞うにも関わらず、普段の授業や教室では"常識人"として知られており、その多くは"優秀"と思われているほどに勤勉なのだ。吹奏楽とは音楽を通した表現行為。普段の抑圧された人格が、音となり、美しいハーモニーとして発露されるのかもしれない……と思ったが、これは深読みのしすぎだな。単純に根は陰キャなだけかもしれない。
 しかし肝心な三つ目がわからない。
「アルファベットの読みかたがあるだろう」
 耳元で声がしたので、さすがに驚いた。
「いつから……そこに?」
「ずっといたよ」

 ◆

 彼の正体はよくわからないが、みんなが英語で僕たちがドイツ語というのは何か。
「えー、びー、しー、でぃー」
 あの拍子抜けた声で煽ってくる。先輩達をこれ以上、待たせてはいられないんだ。
 ん……まてよ、アルファベット。
「紙とペン、ありますか?」
「どうぞ」
 彼は待っていたかのように、返事をしながらメモの端切れとボールペンを渡してくれた。
 そこへアルファベットの"C"を書いた。
 近くの三人組の元へ足を運び、声をかける。
「すみません。これ、何と読みますか?」
 すると三人は顔を見合わせて、「シー」と答えた。
「会話のじゃまをして失礼しました。ありがとうございます」
 僕は三人組に会釈して、もう一つのグループへ足を運んだ。これで答えをつかんだのだ。

 ◆

「みんな、部室へ集まってくれないか?」
 僕の問いかけに仮装した三人組はうなづき、教室から出て行った。

 最初に話しかけた三人組は、吹奏楽部ではないと即座にわかった。その理由はアルファベットを見せた際の反応だ。吹奏楽はもちろん、オーケストラなどのクラシック音楽において、音階をドイツ語で読むという風習がある。日本語の音階は「イロハニホヘト」だが、ドイツ語での音階は「C」を「ツェー」、「D」を「デー」、「H」を「ハー」と読む。ちなみに一般的な音階として知られている「ドレミファ」はイタリア語の音名だ。余談だがインドの音階は「サレガマパダニサ」とまったく違う音の響きを持っている。このように地域によって音名は異なる。
 話を戻そう。最初に声をかけたグループが吹奏楽部員であれば、「シー」ではなく「ツェー」と答えたはずなのだ。吹奏楽部員であっても「シー」と答える可能性はもちろんあるが、僕自身は仮装をしていない。顔を見れば、すぐに吹奏楽部と連想して「ツェー」と答えるはずだ。

 ◆

「君の協力に感謝するよ」

 そう言って、僕が振り返ると、さっきまでと少し違う様子で彼が立っていた。

「失礼したね。事件を解決すると変身するクセがあるもので」
「ヘンシン……」
「意味がわからないと思ってるのだろう」
「いや、その……」
「なに、意味なんて気にかける必要はない。無意味こそがその意味だ。変化することに意味なんて元来不在だよ。誰だって時間の流れとともに人格や肉体が変化する。自然なことさ。」
「は、はぁ……」
「それより事件の話だ。もう一度、解決しなくては。心理の観点で、私たちは大切なことを見落としている」
 彼がいうには、吹奏楽部員に変人が多いという推測についてだ。彼がいつ、僕の心の声を読んだのか、実際に僕が独り言を口にしていたのか。その事実についてはわからない。けれど、人は音楽を聞くと、非道徳的になってしまうということがわかっているらしい。
 その根拠はフランスのブルターニュ・スッド大学が行った研究に基づくという。研究結果をまとめた論文によると、好きな音楽を聴いていると人間の道徳観はゆるんでしまうというのだ。悪徳商品の広告を見ても、それを受け入れてしまうほどに。
 吹奏楽部に所属する生徒たちは、常にある種の音楽を聴いている。それは部員同士が奏でる楽器の音なのだが、その音が嫌いであるとか、音楽ではないと認識している人はいないと思う。音楽にひたり続ける部活動中に変人となるのは、好きな音楽に触れ続けることにより非道徳的な行動をしているということか。つまりは、日中の常識人が本当の姿……。
「変人が吹奏楽部に多いのではない、吹奏楽部が変人を作るのだ」
「個人の見解ですよね」
「あぁ、科学的根拠を参考にした、推論だ」
 ひとまず、部員は集められた。部室へ戻って練習をはじめよう。
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