第8話 (最終話).家族のこと【Re.】
文字数 1,701文字
朽葉珈琲店。カウンター席に座った空美野涙子に、メダカはトレンチでお冷を持っていった。
「涙子さん。今日も麗しいお姿ですねっ!」
「ああ? メダカか。そっか。今日はうちの病院に入院患者がひとり、いるんだっけな」
メダカはお冷をカウンター席に置く。入院患者とは、隔離施設行きのキアラのことだ。
「で、だ。問いただしたいのはおまえのことなんだ、佐原メダカ」
「え? わたしですかー? 拷問プレイしちゃいますぅ?」
「はぁ。そういうことじゃなくてな。おまえ、今まで疑問に思わなかったのか」
「なにがです? 涙子さんへの、愛、とか?」
「そーじゃなくてな。おまえ、バイトしてるだろ」
「はい。この通り」
「でさ。おまえの〈家〉は、どこにあるんだ?」
首をかしげて考えるメダカ。なにも頭に浮かばない。
……なにも頭に浮かばない?
「変だろ。おまえの家族は?」
「さぁ?」
「でも、『お姉ちゃんだけは存在していて、殺された』んだよな?」
「…………」
「おまえはこの空美野市という力場……言い換えるなら〈トポス〉が生んだ、亡霊なんだよ。実体のないはずのものが、力場の〈力〉によって具現化したんだ。おまえという存在そのものがディスオーダー、〈病〉なんだ。空間や心を扱う異能、〈ディペンデンシー〉を〈体現〉した存在。異能力者じゃなくて、異能の結晶体。知らずに自然発動してる能力のその塊としておまえは、学校やバイト先なんかのポイントポイントには存在しているんだが、それ以外のところと時間帯によって〈掻き消える〉存在なんだ。フォークロアやネットロアみたいな存在。存在しない存在。普通の人間はおまえは最初からいる人間として扱うけど、実際は存在していない、人外の存在」
「あ……えっと? じゃあ、お姉ちゃんは」
「空間が歪んだのはいつの時点だかを考えてみろ。この街、オンナばかりだろ。お姉さまとか妹とか、王子様とお嬢様とか悪徳令嬢とか、そういう上下関係が至るところにはびこる下地ができている。が、それは『失うストーリー』がその大半を占める。お姉さまと妹が結ばれるストーリーは、いまだこの国じゃレアなんだ。だから、〈殺された〉。殺されたと認識した時点で〈歪んだ〉んだ。殺されたっていうのは、関係を引き裂かれたということの寓意で、大衆のよくある〈思い出の塊〉がかたちを変えたものだ。その〈ストーリー〉含めての、この街のフォークロアだったんだ。なんてことない。集団幻想だ」
朽葉コノコが、メダカのそばに来る。
涙子はコップのお冷を一口、飲んだ。
「ま、かたいことは気にしなくていいのだ」
コノコはにしし、と微笑む。
「朽葉もそう言ってるし、メダカ、おまえはチョコレート爆弾からあたしを救ってくれたしな」
「自分のことが一番わからないのが人間てものなのだ!」
「だとさ」
「わたし、人間じゃなかったんだ……」
「うにゃー。驚いたのかな?」
「全然」
「結構なのだ! 佐原メダカは人間なのだ! まずはバイト、働けー!」
コノコの一声ですべては決まった。人間に近づいた、とも言える。そう、「結構なのだ! 働けー!」なのである。
「結果として、わたし、生きてるもんね、実在してるし」
「実在少女! 生きてる人間なのだ」
「よっしゃー、働くぞー」
「働くのだー!」
「のだー!」
「この瞬間は、力場が生み出した幻だとしても、立派に『人間』だよ、佐原メダカ」
涙子はお冷を一気に飲み干す。
メダカは今、初めて自分にひかりが降り注いだかのような気がしたのだ。
この集団幻想に惑わされる庭に、ひかりは確かに降り注いだ。
〈わたしの人生を返してください〉とは、この街の集合的無意識の叫びだったのだ。
自分は代弁者に過ぎなかった。
だけど、これからは違う……といいなぁ、と思って働く佐原メダカなのだった。
〈了〉
「涙子さん。今日も麗しいお姿ですねっ!」
「ああ? メダカか。そっか。今日はうちの病院に入院患者がひとり、いるんだっけな」
メダカはお冷をカウンター席に置く。入院患者とは、隔離施設行きのキアラのことだ。
「で、だ。問いただしたいのはおまえのことなんだ、佐原メダカ」
「え? わたしですかー? 拷問プレイしちゃいますぅ?」
「はぁ。そういうことじゃなくてな。おまえ、今まで疑問に思わなかったのか」
「なにがです? 涙子さんへの、愛、とか?」
「そーじゃなくてな。おまえ、バイトしてるだろ」
「はい。この通り」
「でさ。おまえの〈家〉は、どこにあるんだ?」
首をかしげて考えるメダカ。なにも頭に浮かばない。
……なにも頭に浮かばない?
「変だろ。おまえの家族は?」
「さぁ?」
「でも、『お姉ちゃんだけは存在していて、殺された』んだよな?」
「…………」
「おまえはこの空美野市という力場……言い換えるなら〈トポス〉が生んだ、亡霊なんだよ。実体のないはずのものが、力場の〈力〉によって具現化したんだ。おまえという存在そのものがディスオーダー、〈病〉なんだ。空間や心を扱う異能、〈ディペンデンシー〉を〈体現〉した存在。異能力者じゃなくて、異能の結晶体。知らずに自然発動してる能力のその塊としておまえは、学校やバイト先なんかのポイントポイントには存在しているんだが、それ以外のところと時間帯によって〈掻き消える〉存在なんだ。フォークロアやネットロアみたいな存在。存在しない存在。普通の人間はおまえは最初からいる人間として扱うけど、実際は存在していない、人外の存在」
「あ……えっと? じゃあ、お姉ちゃんは」
「空間が歪んだのはいつの時点だかを考えてみろ。この街、オンナばかりだろ。お姉さまとか妹とか、王子様とお嬢様とか悪徳令嬢とか、そういう上下関係が至るところにはびこる下地ができている。が、それは『失うストーリー』がその大半を占める。お姉さまと妹が結ばれるストーリーは、いまだこの国じゃレアなんだ。だから、〈殺された〉。殺されたと認識した時点で〈歪んだ〉んだ。殺されたっていうのは、関係を引き裂かれたということの寓意で、大衆のよくある〈思い出の塊〉がかたちを変えたものだ。その〈ストーリー〉含めての、この街のフォークロアだったんだ。なんてことない。集団幻想だ」
朽葉コノコが、メダカのそばに来る。
涙子はコップのお冷を一口、飲んだ。
「ま、かたいことは気にしなくていいのだ」
コノコはにしし、と微笑む。
「朽葉もそう言ってるし、メダカ、おまえはチョコレート爆弾からあたしを救ってくれたしな」
「自分のことが一番わからないのが人間てものなのだ!」
「だとさ」
「わたし、人間じゃなかったんだ……」
「うにゃー。驚いたのかな?」
「全然」
「結構なのだ! 佐原メダカは人間なのだ! まずはバイト、働けー!」
コノコの一声ですべては決まった。人間に近づいた、とも言える。そう、「結構なのだ! 働けー!」なのである。
「結果として、わたし、生きてるもんね、実在してるし」
「実在少女! 生きてる人間なのだ」
「よっしゃー、働くぞー」
「働くのだー!」
「のだー!」
「この瞬間は、力場が生み出した幻だとしても、立派に『人間』だよ、佐原メダカ」
涙子はお冷を一気に飲み干す。
メダカは今、初めて自分にひかりが降り注いだかのような気がしたのだ。
この集団幻想に惑わされる庭に、ひかりは確かに降り注いだ。
〈わたしの人生を返してください〉とは、この街の集合的無意識の叫びだったのだ。
自分は代弁者に過ぎなかった。
だけど、これからは違う……といいなぁ、と思って働く佐原メダカなのだった。
〈了〉