第66話 救世主を名のる男
文字数 4,532文字
予想はしていたが、実際に目にすると軽いめまいを覚えた。
失われ、二度と見ることはないだろうと思っていた。震える指先を柄 へと伸ばし、愛おしむように撫でる。剣首と剣格の真鍮は冷たく、刻まれた草木模様の凹凸 がなつかしい。
もう二度と剣など握るまい――そう考えていたはずなのに。
気がつけば握った柄をわずかに引いて、鞘から剣身を抜いていた。痩せて肉の落ちた腕に、柄はずっしりと重い。白刃に刻まれた龍と北斗は、なに一つ変わることなく、午後の春めく日差しに輝いていた。
「警邏の人が拾って保管してくれていたの。いろいろ面倒な手続きがあったけれど、ようやく戻ってきたわ。これもね……」
愛紗の手が油紙に触れた。
「警邏の人たちもどうしたらいいのか、困っていたみたい。本来ならなかを検めるのだけど、あのような現場に落ちていたものだからと、腫れ物に触るような扱いを受けていたそうよ。結局このまま、天星羅と一緒に倉庫に放り込まれていたのですって」
柄を放した手でそれを取った。紐にこびりついた血は誰のものなのか。由真の喜ぶ顔が見られぬまま、この手鏡だけが残されてしまったのだ。あの屈託のない笑顔を映すことなく――。
喉の奥に熱いものがこみ上げ、胸にかき抱いてうつむいた。
(ごめん、由真。こんなことになってしまって、本当にごめん……)
声を上げて泣きたいのに、潰れた喉からは、かすれた息しか出てこない。柄も握れない役立たずの自分が、なぜ生き残ってしまったのか。できるなら萬和 に願って、この命と引換えに由真を生き返らせてほしかった。
肩を震わせ涙を流す藍那に、
「実は伝えたいことは、これだけではないの」
ふくらんだ腹をかばうように立ち上がると、愛紗は椅子に座り直し、姿勢を正す。
「藍那も知っていると思うけど、旦那さまは工房で使う染料を、大陸のあちこちから仕入れているわ。奥尔罕 だけじゃない、華羅や、遠くは黒曜大陸からもね。
いい染料を仕入れるには、産地の政治的事情が大きくものをいうの。治世が乱れると、買い占めが起こって価格が高騰する。だから旦那さまは、あちこちの港や大きな街に密偵を忍ばせて、定期的に土地の情報を得ている。争いの火種を、誰よりも早く見つけるためにね」
涙で濡れた顔を上げる。懐から出した手巾で藍那の頬を拭い、愛紗は言葉を継いだ。
「染料のなかで一番貴重なのが、紫貝から取れる皇紫 。この紫貝は白海 の沿岸で採れるけど、一番質の良いものは、海を渡った向こう、嘉南 で採れるの。
あの辺りで取れた紫貝は、いちど明呉 の街に集められて、そこから帝都へ運ばれる。当然、そこにも旦那さまの密偵がいるのだけど、ここ数月 前から妙な噂が流れているらしいわ」
なぜこんな話をするのか――。
そんな疑問が《嘉南》という言葉を聞いた途端、ある確信に変わった。眠りに慣れすぎてぼやけた頭が、徐々に覚醒してくる。
嘉南 の地。すなわちそれは夷修羅人の……。
「聞けば慧焔都 で、救い主を名乗っている男がいるとか。自分は神の子で、自分の言葉を信じれば、永遠の命を与えられるそうよ。もちろん、そんな詐欺師みたいなのは今までも腐るほどいた。
でも彼がそんな連中と違うのは、神から与えられた奇跡の力で、病人やけが人を治しているというの。医者にも見放された重い病が、彼の手に触れて治ったとか。もちろんお金も取らない。そんな話が明呉 まで伝わってきて、なかには治してもらおうと、病を押して慧焔都へ旅立つ人もいるみたい」
触れただけで怪我や病気を治せる。荒唐無稽に思えるが、武術の世界では知られた話だ。内功を極めれば、自然の気を己に取り込み、発勁して他者を治癒することができると聞いた。
もっとも、そんな達人には今までお目にかかったことはないが。
「彼の名前は安慰 、まだ二十歳そこそこの若い男で、容姿はかなり端麗。そしてね」
愛紗はそこで言葉を切り、一瞬の間をおいてから言った。
「目が紫色なのですって」
***
炉炭の爆ぜる音がした。
藍那は握りしめていた油紙を膝の上に置き、じっと眺める。結わえたままの紐の端が、ほつれかけていた。ふいに思い出が走馬灯のように駆け巡る。これを買った《大市場 》のことを、あの賑わいを、そして《彼》のことを。
「もっとも、紫色の瞳は珍しいけど、この世に二つとない――というわけでもない。その報告を受けたのが一昨日の昼すぎだったけど、旦那さまはその男の素性を洗い出すよう、密偵へ書簡をしたためたの。顔がはっきりと分かる姿絵も描くように――ってね。
鳩を飛ばしても、向こうに届くのはかなり先になるわ。密偵が素性やらなにやら調べ上げて、報告をよこすのに、ふた月か三 月はかかるかもしれない。ねえ藍那、もしもよ、もしその安慰 が紫園だったら……あなたどうする?」
藍那はうつむき、油紙へ視線を落としたまま考えた。
もしその安慰 とやらが《彼》だとしたら、自分はどうする?
どうしたらいい?
愛紗の手のひらが、藍那のそれにそっと重なる。
「本当はこのことを伝えようか、ずいぶんと迷ったの。旦那さまは反対なさった。話すことも、剣の柄を握ることも出来ない。そんなあなたに、不確かな噂話など話すべきではないと。でもね藍那、考えてほしいの。あなたが本当は、これからどうしたいのかを」
愛紗の視線が、油紙から天星羅の鞘へと転じる。
「秧真 はまだ現実を受け入れられていない。自分の殻に閉じこもって、目をそらし続けているわ。それでも本人が望むなら、そんな人生もありかもしれないわね。
ねえ藍那、あなたが一生をこの病室で過ごしたいのなら、私は一向に構わないわ。でも己の心に問いかけて、これからなすべきことを考える時が、いいかげん来たのじゃないのかしら」
口調は物柔らかだが、言葉には突き放すような厳しさがある。寝起きの顔に冷水を浴びせられたような気がして、藍那は唇を固く結んだ。
「どんな答えであれ、私はあなたを受け入れる。それとね、旦那さまとも話し合ったのだけど、もしお腹の子が女の子なら、あなたの名前をつけたいわ。強運なあなたにあやかってね。無事に生まれたら、この子の叔母として抱いてやってほしいのよ」
驚いて顔を上げ、愛紗の顔を凝視する。微笑んだ表情にかすかな疲労が見られた。腹を抱えながらゆっくりと立ち上がり、再び薄物で顔を覆う。
「長居したわね。近いうち、また来るわ」
扉が静かに開いて閉まる。同時に、藍那の手から油紙の包みが滑って床へと転がった。すかさず手を伸ばすと、寝台からはみ出た身体がぐらりと倒れる。体勢を立て直せないまま掛布ごと落ちた。
身体を起こそうとして手足の重さに愕然とする。食事や排泄は起きてしていたが、いつも杏奈の助けがあった。自分はもはや、介助なしに立つことすら出来なくなってしまったのだ。
廊下を走る音がして扉が開く。杏奈が必死で起き上がろうとする藍那を見て、慌てて駆け寄った。藍那を助け起こして寝台へ横たわらせてから、床に落ちた天星羅と油紙を、素早く拾い上げる。
「いきなりは無理ですよ。少しずつ力を取り戻さなくちゃいけません」
天井を見上げる藍那に、いたわる口調で告げた。また炉炭が爆ぜる。空気を震わせる乾いた音に、藍那はきつく唇を噛んだ。
***
その夜、藍那は眠れずにいた。
愛紗から告げられた噂話が、頭のなかでぐるぐると渦を巻く。どれだけ考えても出口の見つからない思考は、藍那に何度も空虚な寝返りを打たせた。
慧焔都 で救世主を名乗る男、安慰 。人々を癒す奇跡の力、永遠の命を与えるという言葉、そして……。
(紫色の目……)
花蓮 の言葉が記憶の底から浮かび上がる。
――紫の瞳は凶兆とされておる。古い文献では紫の瞳をもつものは、乱世の梟雄の星の下に生まれておるそうじゃ。つまり国が乱れる予兆じゃな。
ふと鼓動が早くなり、呼吸を乱した己に落ち着けと言い聞かせる。
なにも《彼》だけが紫色の目を持つわけでもない。世界は広いのだ。それがたまたま同じような年頃で、端正な顔立ちだとしても、この目で確かめない限り、当人と断定することは出来ない。
だから……。
――ねえ藍那、もしもよ、その安慰 が紫園だったら、あなたはどうする?
どうすればいい? もしその救世主とやらが《あれ》なのだとしたら。
瞳の奥に地獄の業火を宿した、人ならざるもの。もしそんなものが救世主を名乗り、のうのうと人々を騙しているのだとしたら――。
鳩尾が詰まったように苦しくなり、吐き気を覚えた。上体を折り曲げ、嘔吐に必死で抗いながら、こみ上げる激しい怒りに全身を震わせる。
(巫山戯 るな)
多くの人々を、罪のない人たちを殺しておいて、救世主を名乗るのか。
自ら築き上げた屍の山に立ち、その口で永遠の命とやらを語るのか。
(巫山戯 るな)
喘ぎながら上体を起こし、勢いをつけて床へと転がり落ちる。暗闇のなかを這いつくばり、寝台の下に置かれた布包みを手繰り寄せた。
こわばった指先で天星羅を取り出す。柄を握りしめ、鞘からわずかに引き抜いて、剣身に目を凝らした。
鎧戸を閉められた室内は、光のささぬ水底に似ている。その水底に沈み、醒めない夢を見続けた女と、今このとき決別しよう。
刃を左の手のひらにあて、思い切って引く。鋭い痛みが奔 って、かすかな血の匂いを嗅いだ。
由真という光を失った。
暗闇のなか、もう二度と歩けないと膝を抱えていた。
だが今このときから、自分が己を導く光となる。そして必ず真実を突き止め、無念を晴らしてみせる。由真や杷萬、亜慈……。殺された金亀楼の人々のために。そしてなにより、己の尊厳のために。
――だから天星羅 、力を貸してほしい。もう一度剣を握るために。
藍那の願いに呼応するかのように、鞘から覗いた白刃 が、青白い光を帯びはじめる。息を呑み、鞘から全て抜いてかざしてみた。かすかな儚い光ではあったが、それは天星羅からの確かな応え。
すかさず仰向けに転がり、刃を喉にあてた。天星羅の光は剣身の傷を修復する。剣身の傷を治すなら、もしかして人の傷も……。
必死の思いで奇跡を願う。どうかもう一度声が出ますように。
光は冷たい青白さを帯びていたが、喉には微弱な熱を感じた。その温かみに触れていくうちに、藍那はある確信を持った。
これは持ち主の強い意思に応えるのだ――。
やがて大きく息を吐いて、閉じた目を開いた。
「必ず、《あれ》を斬る」
久しぶりに聞いた自分の声は、凛と力強かった。
失われ、二度と見ることはないだろうと思っていた。震える指先を
もう二度と剣など握るまい――そう考えていたはずなのに。
気がつけば握った柄をわずかに引いて、鞘から剣身を抜いていた。痩せて肉の落ちた腕に、柄はずっしりと重い。白刃に刻まれた龍と北斗は、なに一つ変わることなく、午後の春めく日差しに輝いていた。
「警邏の人が拾って保管してくれていたの。いろいろ面倒な手続きがあったけれど、ようやく戻ってきたわ。これもね……」
愛紗の手が油紙に触れた。
「警邏の人たちもどうしたらいいのか、困っていたみたい。本来ならなかを検めるのだけど、あのような現場に落ちていたものだからと、腫れ物に触るような扱いを受けていたそうよ。結局このまま、天星羅と一緒に倉庫に放り込まれていたのですって」
柄を放した手でそれを取った。紐にこびりついた血は誰のものなのか。由真の喜ぶ顔が見られぬまま、この手鏡だけが残されてしまったのだ。あの屈託のない笑顔を映すことなく――。
喉の奥に熱いものがこみ上げ、胸にかき抱いてうつむいた。
(ごめん、由真。こんなことになってしまって、本当にごめん……)
声を上げて泣きたいのに、潰れた喉からは、かすれた息しか出てこない。柄も握れない役立たずの自分が、なぜ生き残ってしまったのか。できるなら
肩を震わせ涙を流す藍那に、
「実は伝えたいことは、これだけではないの」
ふくらんだ腹をかばうように立ち上がると、愛紗は椅子に座り直し、姿勢を正す。
「藍那も知っていると思うけど、旦那さまは工房で使う染料を、大陸のあちこちから仕入れているわ。
いい染料を仕入れるには、産地の政治的事情が大きくものをいうの。治世が乱れると、買い占めが起こって価格が高騰する。だから旦那さまは、あちこちの港や大きな街に密偵を忍ばせて、定期的に土地の情報を得ている。争いの火種を、誰よりも早く見つけるためにね」
涙で濡れた顔を上げる。懐から出した手巾で藍那の頬を拭い、愛紗は言葉を継いだ。
「染料のなかで一番貴重なのが、紫貝から取れる
あの辺りで取れた紫貝は、いちど
なぜこんな話をするのか――。
そんな疑問が《嘉南》という言葉を聞いた途端、ある確信に変わった。眠りに慣れすぎてぼやけた頭が、徐々に覚醒してくる。
「聞けば
でも彼がそんな連中と違うのは、神から与えられた奇跡の力で、病人やけが人を治しているというの。医者にも見放された重い病が、彼の手に触れて治ったとか。もちろんお金も取らない。そんな話が
触れただけで怪我や病気を治せる。荒唐無稽に思えるが、武術の世界では知られた話だ。内功を極めれば、自然の気を己に取り込み、発勁して他者を治癒することができると聞いた。
もっとも、そんな達人には今までお目にかかったことはないが。
「彼の名前は
愛紗はそこで言葉を切り、一瞬の間をおいてから言った。
「目が紫色なのですって」
***
炉炭の爆ぜる音がした。
藍那は握りしめていた油紙を膝の上に置き、じっと眺める。結わえたままの紐の端が、ほつれかけていた。ふいに思い出が走馬灯のように駆け巡る。これを買った《
「もっとも、紫色の瞳は珍しいけど、この世に二つとない――というわけでもない。その報告を受けたのが一昨日の昼すぎだったけど、旦那さまはその男の素性を洗い出すよう、密偵へ書簡をしたためたの。顔がはっきりと分かる姿絵も描くように――ってね。
鳩を飛ばしても、向こうに届くのはかなり先になるわ。密偵が素性やらなにやら調べ上げて、報告をよこすのに、ふた月か
藍那はうつむき、油紙へ視線を落としたまま考えた。
もしその
どうしたらいい?
愛紗の手のひらが、藍那のそれにそっと重なる。
「本当はこのことを伝えようか、ずいぶんと迷ったの。旦那さまは反対なさった。話すことも、剣の柄を握ることも出来ない。そんなあなたに、不確かな噂話など話すべきではないと。でもね藍那、考えてほしいの。あなたが本当は、これからどうしたいのかを」
愛紗の視線が、油紙から天星羅の鞘へと転じる。
「
ねえ藍那、あなたが一生をこの病室で過ごしたいのなら、私は一向に構わないわ。でも己の心に問いかけて、これからなすべきことを考える時が、いいかげん来たのじゃないのかしら」
口調は物柔らかだが、言葉には突き放すような厳しさがある。寝起きの顔に冷水を浴びせられたような気がして、藍那は唇を固く結んだ。
「どんな答えであれ、私はあなたを受け入れる。それとね、旦那さまとも話し合ったのだけど、もしお腹の子が女の子なら、あなたの名前をつけたいわ。強運なあなたにあやかってね。無事に生まれたら、この子の叔母として抱いてやってほしいのよ」
驚いて顔を上げ、愛紗の顔を凝視する。微笑んだ表情にかすかな疲労が見られた。腹を抱えながらゆっくりと立ち上がり、再び薄物で顔を覆う。
「長居したわね。近いうち、また来るわ」
扉が静かに開いて閉まる。同時に、藍那の手から油紙の包みが滑って床へと転がった。すかさず手を伸ばすと、寝台からはみ出た身体がぐらりと倒れる。体勢を立て直せないまま掛布ごと落ちた。
身体を起こそうとして手足の重さに愕然とする。食事や排泄は起きてしていたが、いつも杏奈の助けがあった。自分はもはや、介助なしに立つことすら出来なくなってしまったのだ。
廊下を走る音がして扉が開く。杏奈が必死で起き上がろうとする藍那を見て、慌てて駆け寄った。藍那を助け起こして寝台へ横たわらせてから、床に落ちた天星羅と油紙を、素早く拾い上げる。
「いきなりは無理ですよ。少しずつ力を取り戻さなくちゃいけません」
天井を見上げる藍那に、いたわる口調で告げた。また炉炭が爆ぜる。空気を震わせる乾いた音に、藍那はきつく唇を噛んだ。
***
その夜、藍那は眠れずにいた。
愛紗から告げられた噂話が、頭のなかでぐるぐると渦を巻く。どれだけ考えても出口の見つからない思考は、藍那に何度も空虚な寝返りを打たせた。
(紫色の目……)
――紫の瞳は凶兆とされておる。古い文献では紫の瞳をもつものは、乱世の梟雄の星の下に生まれておるそうじゃ。つまり国が乱れる予兆じゃな。
ふと鼓動が早くなり、呼吸を乱した己に落ち着けと言い聞かせる。
なにも《彼》だけが紫色の目を持つわけでもない。世界は広いのだ。それがたまたま同じような年頃で、端正な顔立ちだとしても、この目で確かめない限り、当人と断定することは出来ない。
だから……。
――ねえ藍那、もしもよ、その
どうすればいい? もしその救世主とやらが《あれ》なのだとしたら。
瞳の奥に地獄の業火を宿した、人ならざるもの。もしそんなものが救世主を名乗り、のうのうと人々を騙しているのだとしたら――。
鳩尾が詰まったように苦しくなり、吐き気を覚えた。上体を折り曲げ、嘔吐に必死で抗いながら、こみ上げる激しい怒りに全身を震わせる。
(
多くの人々を、罪のない人たちを殺しておいて、救世主を名乗るのか。
自ら築き上げた屍の山に立ち、その口で永遠の命とやらを語るのか。
(
喘ぎながら上体を起こし、勢いをつけて床へと転がり落ちる。暗闇のなかを這いつくばり、寝台の下に置かれた布包みを手繰り寄せた。
こわばった指先で天星羅を取り出す。柄を握りしめ、鞘からわずかに引き抜いて、剣身に目を凝らした。
鎧戸を閉められた室内は、光のささぬ水底に似ている。その水底に沈み、醒めない夢を見続けた女と、今このとき決別しよう。
刃を左の手のひらにあて、思い切って引く。鋭い痛みが
由真という光を失った。
暗闇のなか、もう二度と歩けないと膝を抱えていた。
だが今このときから、自分が己を導く光となる。そして必ず真実を突き止め、無念を晴らしてみせる。由真や杷萬、亜慈……。殺された金亀楼の人々のために。そしてなにより、己の尊厳のために。
――だから
藍那の願いに呼応するかのように、鞘から覗いた
すかさず仰向けに転がり、刃を喉にあてた。天星羅の光は剣身の傷を修復する。剣身の傷を治すなら、もしかして人の傷も……。
必死の思いで奇跡を願う。どうかもう一度声が出ますように。
光は冷たい青白さを帯びていたが、喉には微弱な熱を感じた。その温かみに触れていくうちに、藍那はある確信を持った。
これは持ち主の強い意思に応えるのだ――。
やがて大きく息を吐いて、閉じた目を開いた。
「必ず、《あれ》を斬る」
久しぶりに聞いた自分の声は、凛と力強かった。