62. 悪魔の時間を終わらせる

文字数 2,428文字

慧子はオペレーション・ルームに追跡部隊員が一人も残っていないのを確かめてから、アオイとミツキに声をかける。
アオイ、ミツキ、二人とも出てきていいわ。
アオイとミツキがカモフラージュに積まれた死体の下から這い出して来る。
うまくやり過ごせた! さすが、慧子は「切れ者」だ。


うっ、慧子、ケガしてるじゃないか。

すぐに血を止めないと。
ミツキが自分のスカートを引き裂き、包帯代わりに慧子の傷に巻こうとする。

ミツキ、動脈は切れていない。急いで止血しなくても大丈夫。それより、早く上の階に逃げましょう。30分でCIAの回収部隊がやってくる。

本当に、大丈夫ですか……
大丈夫。私は、製造施設に入った追跡部隊が戻ってこられないよう、扉をロックする。二人は、先に廊下に出て、待っていて。
慧子が大丈夫だと言うなら、大丈夫だ。ミツキ、ここから出るぞ。
はい!
慧子とミツキが廊下に出たとたんに、うしろで扉が閉まり始める。
あれ、博士が。
アオイが扉の隙間から部屋に飛び込む。

慧子が拳銃を自分のこめかみにあてる。

慧子、なにやってんだ!

アオイ、廊下に戻りなさい。さもないと、私はこの引き金を引く。

慧子、やめろ!
アオイが慧子に駆け寄ろうとする。

慧子が銃を自分の左腕に向けて発砲する。

アオイ、廊下に戻りなさい。さもないと、私は、今度こそ頭を撃つ。
慧子、どうしてだ? なんで、こんなことになる?
私は、リケルメに囚われても奴の兵器開発に使われないため、致死性の毒を飲んできた。国防総省に解毒剤があるが、あそこに戻るつもりはない。死ぬ覚悟だ。だが、死ぬ前にやっておくことがある。
博士、脱出すれば治療を受けられる可能性があります。一緒に逃げましょう。
ありがとう、ミツキ。

でも、本当に私のためを思うなら、二人とも廊下に出てちょうだい。

アオイが首を振りながら廊下に出る。扉が閉まる。

すぐに、扉の向こうから銃声が聞こえ始めた。

ミツキの顔から、見る見る血の気が引いていく。

慧子が、生き残りの人たちを殺している!
博士、止めてください! もう、私たちは、大勢の人を殺しました。これ以上の人殺しは、止めてください!
慧子! バカなことは止めろ。

あたし達は、銃を向けられたら先に撃つ。だが、無抵抗の人間を殺すのは、あたし達の流儀じゃない!

廊下のスピーカーから慧子の声が流れ始める。
こいつらは、あなた達二人の存在を知っている。
あたしたちは、強い。襲われたら、また、撃退する。
では、伸一君は、どうするの? こいつらは、伸一君を人質に取ってあなた達をおびき寄せた。こいつらを生かしておいたら、同じことをしでかすに違いない。
室内で銃声が続く。
博士、待ってください。

そこにいる人たちを殺しても、製造施設に逃げ込んだ人がいます。あの人たちが国防総省に捕まらず逃げ切ったら、同じ事をするかもしれません。

国防総省が逃げた連中を捕まえても、同じだ。武器商人から伸一君を人質にしたことを訊きだして、同じことをするかもしれない。
危険の芽を完全には摘みきれない。そんな事は、わかっている。


だからこそ、目の前にあって摘める芽だけでも、完全に根っこから排除する。

慧子、伸一君が人質に取られたのは、あたしという人間兵器が存在したからだ。あたしがいる限り、フリースクールの他の仲間だって、いつ人質にされるか分からない。

いや、あたしの知り合いでもない誰かを人質にとって、あたしをおびき寄せることだって、できるんだ。

殺すなら、私達を殺してください。そうすれば、伸一君のような巻き添えを100パーセント防ぐことができます。
ミツキ、イイことを言うぞ。私達がいなければ、何も問題は起こらなかった。

うん? ちょっと待て。やっぱ、その考えはダメだ。あたしは、死にたくない!

あなた達が死ぬなんて、この私が絶対に許さない!


私は……私は……あなた達の、母親だ。あなた達がどう思おうと、私は、自分があなた達の母親だと思っている。大切な娘達を守るためなら、悪魔にだってなる。

母親が悪魔になることを、娘たちが望むと思いますか?
アオイたちの後ろで、落ち着いた男性の声がした。


アオイとミツキが振り向くと、そこに幸田が立っていた。

幸田、来てくれたのか!


だけど、早すぎるぞ。伸一君は、ちゃんと家まで送り届けたのか?

伸一君はMに任せて、戻ってきた。
幸田さん、博士を止めてください。


私は、博士に、私たちのためにこれ以上人殺しをしてほしくありません。

幸田が扉を叩いてから、大声を出す。
博士、私達は、人を殺します。最低限の道徳に反することをするのです。


「私達に危害を加える意志と能力を持った相手との果し合いだった」それが、私達の唯一、最後の言い訳です。


しかし、戦意を失った相手や戦闘能力を失った人間を殺したら、この言い訳すら使えなくなる。私達は、人間ではなくなるのです。


伸一君のような巻き添えを出さない方法は、これから皆で知恵を絞って考えます。だから、あなたは「人間」でいてください。

慧子、あたしは、伸一君のような巻き添えを防ぐ方法を知ってる。


慧子が、アメリカ国防総省がやったことを、世界中にバラすんだ。あたしのことを言ってもいい。

私も、アオイさんと同じ考えです。私の名前も出してください。


これ以上人の血を流すくらいなら、アメリカ国防総省がしたことの全てを打ち明けてください。

私がアメリカ国防総省の人間兵器プログラムを暴露するとしても、アオイとミツキには触れない。日本政府が二人を捕らえて利用しようとするに違いない。

博士、アオイとミツキは、私が全力で守ります。

相手がアメリカ政府だろうと日本政府だろうと、二人を利用しようとする連中の手には、決して渡さない。それが、私の務めです。

扉が開いた。顔面蒼白で悄然とした慧子が中から現れた。もう、銃は手にしていない。


アオイとミツキが慧子に駆け寄り、抱き着く。

慧子!
博士!
慧子がこみあげてくるものに耐えられず、泣き出す。


アオイ、ミツキ、慧子の鳴き声が廊下を満たした。

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登場人物紹介

山科アオイ(17歳) 

両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。生き残ったアオイは、瀕死の状態でICUに運び込まれるが、何者かの手でそこから拉致され、アメリカ国防総省が日本に設置した人体改造研究所で、放電能力を持ち人間兵器に改造される。

謎のテロリスト集団に襲撃されて混乱に陥った人体改造研究所から、傷を負いながらも脱出。幸田と名乗る正体不明の男に助けられる。

幸田の力を借りてCIAの追っ手を振り切りながら、アオイは、自分をCIAに売り渡した謎の組織を突き止めようとする。

幸田(下の名前は不明、年齢40歳前後)

C人体改造研究所の近くで負傷しアオイを助けた謎の男。

英語に堪能、銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

無職。アオイをCIAに売り渡した組織の正体を突き止めることに対して、何者かから報酬を得ているようである。

田之上ミツキ(17歳)

東京郊外X市の公園で不良に暴行されかけているところを、アオイに救われる。

その後、アオイと同じフリースクールに通い始め、アオイと親しくなっていく。

実は、アメリカ国防総省ががアオイを倒すために送り込んだ刺客。ターゲットの自律神経系を一瞬にしてマヒさせ、生命維持機能を失わせる力を持っている。

細田真一(9歳)

アオイが通うフリースクールの仲間。小学校で、ひどいイジメにあって、フリースクールに移ってきた。天才的な絵の才能を持っている。

フリースクールの他の子ども達がアオイを恐がったり、煙たがったりする中で、一人だけアオイになついていて、アオイからも可愛がられている。

太一先生(20代後半、独身)

アオイが通うフリースクールのまとめ役であり、教師でもある。

温かい愛情で小学校低学年から高校生までの生徒たちを見守っている。

いざとなれば、肚の座った、芯の強い人間。

アオイに、高卒認定試験を受けて、大学進学することを勧めている。

レノックス・慧子(37歳、独身)

アメリカ国防総省(ペンタゴン)で人間兵器を開発してきた科学者。放電能力を持つ2018シリーズ5基と、ターゲットの自律神経系を破壊する脳波を発する2019シリーズ1基を開発した。

職人気質で、組織との折り合いは悪い。

CIAから、山科アオイの逃亡を助けたのではないかと、疑われている。

田之上ミツキを使って山科アオイを抹殺する密命を帯びて日本で活動しているが、CIAのパトリック・マスムラに監視されている。

日本人の両親のもとで17歳まで日本で過ごした。母親がアメリカ人と再婚したためレノックス姓となったが、日本風にレノックス・慧子と呼ばれることを好む。

パトリック・マスムラ(55歳、日系四世のアメリカ人)

CIAのベテラン工作員。アジア諸言語に堪能なため、過去20年間、アジアでの工作活動に従事してきた。眠りが浅いと、自分が殺害してきた多くの人間が夢に現れるので、睡眠薬が手放せない。

田之上カスミ(霊魂)

田之上ミツキの妹。

ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で、死亡する。

しかし、その魂がミツキに受け継がれ、ミツキと二人きりの時に、話しかけてくる。

ミツキが忘れてしまった出来事、ミツキが気づいていないミツキの心の葛藤に気づいている。

ミツキを深く愛している一方で、クールでニヒルな一面を備えている。

川野メグミ(年齢不詳)

フリースクールの高学年生徒に英語と数学を教えているボランティアの大学院生。

実は、アオイとミツキを監視するために送り込まれたCIA工作員。

カレン・ブラックマン(35歳、独身、離婚歴あり)

アメリカ国防総省の科学者。

山科アカネ逃亡事件の責任を問われて失脚したレノックス慧子に代わって、人間兵器開発チームのリーダーになる。

バランスの取れた組織人で、感情に流されることはない。人間として許せないと感じることでも、組織の決定には従う。

レノックス・慧子を尊敬しているが、目の上のタンコブとも感じている。

エル・リケルメ(おそらく偽名。年齢、国籍不明)

国際的な武器商人。

暗殺用人間兵器を、ブラックマーケットで売って、巨万の富を得ようとしている。

しかし、実態は、金の亡者というより、ニヒリストの変種。


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