第1話

文字数 2,040文字

 あいつの目はどこか死んでいて、だけど心までは死んでいなかった。
 そこがよかった。
 わたしたちは、簡単に通じ合った。

「おれ、リュウ」
「わたし、サキ」
「高校生?」
「中学生。リュウは?」
「十七」

 わたしたちは汚い町の汚いホテルでセックスをした。
 全部終わると二人でコーラを飲んだ。
「サキは学校に行ってるの?」
「行ってない。わたしは昼が嫌い」
「俺も。夜はいろいろな顔をくれるけど、昼は一つしかくれない」
「どういう意味?」
「……」
「リュウにはいくつ顔があるの?」
「五個。でも本当の顔は、ない」
「わたしも」
「顔がない人間は、顔がない人間を使って生き延びようとする」
「よくわかんない」
 リュウはわたしをゆっくり押し倒して、じっと見つめた。
「お前、なんていうか、怖くない?」
「何が?」
「その、ひとりで」
「別に」
「俺と、結婚とか、しない?」
「……しないよ」
「そっか」
 リュウは起き上がって、服を着始めた。
「どうしたの?」
「……またな」
 そのまま部屋を出て行ってしまった。
 わたしはしばらく横たわって天井を見ていた。なんかだんだんイライラしてきた。
 五分も経っただろうか。
 急にドアが開いて、リュウが戻ってきた。
 わたしはオナニーをしていたから、びっくりして変な声を出してしまった。
「何、してんの?」
「……余韻を味わってた」
「お前馬鹿?」
「わたし、馬鹿。リュウはどうしたの?」
「敵がいて、出られないんだ」
「ゲームみたいだね」
 ベッドの上にずしっという重みを感じた。拳銃だった。
「どうしたの?」
「拾った。俺、もう寝る」
 そしてあっという間に眠ってしまった。そんなリュウを見ているうちにわたしも眠くなってきた。わたしたちは寄り添って寝た。

 雨の音で目が覚めると、リュウはいなかった。
 代わりにバスルームから水音が聞こえてきた。
 わたしは顔をこすって起き上がり、バスルームへと向かった。リュウの死体がそこにあるんじゃないかと思ったけど、そんなものはなくてかわりに灰色の子猫が一匹、横たわっていた。子猫は下半身から血を流していた。真っ赤なそれは細い川のように排水溝へと注いでいくのだった。
 死んでいる。
 そう思った。
 しかし子猫は苦しげな鳴き声を上げてこっちを向いた。
 わたしは子猫に近寄り、シャワーを止めた。

 寒い?
 寒くない。
 痛い?
 痛い。

 わたしたちは会話ができた。
 わたしはタオルをかき集めて猫に掛けた。
 猫はにゃあ、とわたしを見つめて鳴いた。
 死ぬのかな?
 
 死なないよ。簡単に殺すなよ。

 タオルで頭や顔を拭いてやる。猫はされるがままにしていた。

 お母さんみたいだな。
 お母さん?
 お前、俺のお母さんな。
 やだよ。あんたリュウなの?

 猫は無言で目を閉じた。わたしはそっと頭を撫でた。猫が言った。

 助けてくれよ。
 
 わたしは近くの動物病院を調べて電話した。
「あの、猫が苦しそうなんですけど」
「出血してますか」
「はい」
「どのあたり?」
「えーと、おちんちんのあたり」
「結石かもしれませんね」
「結石?」
「最近おしっこが出てなかったんじゃないですか?」
「さあ。いま、出会ったばかりなので」
「それじゃあ野良猫ですね」
「野良猫?」
「野良猫なんて放っておきなさい」
「いいから、診てください!」
「……じゃあ連れてきてください」

 小さな動物病院だった。中に入ると痩せた医師が立っていた。
「こちらへ」
 案内された診察室はとても暗かった。
「ああ、やっぱり尿路結石ですね」
 頭に白いものが混じった医師は、どこかがらんどうな感じでそう言った。
「これ、けっこうでかいみたい。……大変だな。やりますか?」
「やらないと死ぬんでしょ?」
「はい」
 医師は渋々といった感じで手術の準備にとりかかった。
「では外でお待ちください」
 廊下の白い壁を見つめて三十分が経った。
 ふいに診察室のドアがぱたっと開き、中から医師と猫が出てきた。
「いやあ大変だった。こんなにでっかいのが入ってたんだ。見る?」
「けっこうです」
 わたしは医師の手から猫を受け取った。結石を取ったという猫は、少し軽くなっていた。
「これ、軽くなってないですか?」
 医師の顔に緊張の色が浮かんだ。
「……そんなことは」
「軽くなってますよね」
「そんなことないですよ。さあお会計をどうぞ」
 医師は瞼をぴくつかせてわたしを促した。
「やはりわたしが払うんですか?」
「あなたの猫じゃないんですか?」
 猫を見る。

 お前、お母さん。

「わたしの子どもだと言ってます」
「は」
「わたしの猫じゃありません。でもお金は払います」
 医師は満足そうな顔で頷いた。そして聞いた。
「もしかして、お父さんが必要なんじゃありませんか?」
「は」
「私で良かったらなりますよ。……実はそういう顔がほしかった」
 わたしは首を振った。
「いえ、結構です」
「でも、」
「免許、見せてもらえますか?」
「え?」
「医師免許を」
 彼の顔がみるみる赤くなっていく。
 やがて医師は言った。
「……私は、私は、猫を救いました」

 猫がにゃあと鳴いた。

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