パンケーキとラストレター
文字数 3,727文字
くそ暑いなか、漬物石を背負っているような気分で帰ってきた。
「ただいま」
と言ったところで出迎えるのは漫画本が敷き詰められた1DK。
物心ついた時から母に「帰ってきたらただいま、でしょ」と教えられてきた。
その母の葬式から、いま帰ってきた。
急変の知らせを聞いて田舎へは急いで帰ったが、母はすでに冷たくなっていた。
間に合わなかったという事実に目の奥がツーンと痛み出したとき、最期を看取った親父がいきなりデカイ声で泣き出した。
そこからはもう、親父どうしちゃったの? というくらい泣き止まなくて、使い物にならなくて。
結果、葬儀屋との葬儀のグレードと値段の打ち合わせ、会ったこともないような親戚とのあいさつ、近所の人たちの「あらまぁ大きくなって」という言葉(ちなみにおれが上京したのは高校卒業してからだ。5年もたっていない)。高校時代のご学友たちの「東京駅から晴海埠頭まで歩いた」という昭和の同人誌即売会の話。住職との穏やかな語らい。エトセトラ、エトセトラ。
「疲労しか残ってない」
違う意味で泣けている。ほぼほぼおれが喪主だった。親父のお姉さんや従姉妹の姉ちゃんがいなかったら、いま頃おれのたましいの葬式がなされていただろう。
「疲れた、甘い物食いてぇ」
パンケーキとかいいよね。ホイップクリームが頂のように乗っているやつ。
アメーバーに成り下がった脳細胞と体がスイーツを欲している。おれは結構な甘い物好きなんだ。
「なんかなかったかな」
冷蔵庫を開ける。状況が状況だっただけに買い置きがない。プリンすら入っていない。
ピンポ~ン「速達です」
そんなとき、帰宅を待ってましたとばかりの呼び鈴。
ピンポ~ン「速達です」
「あー、チクショウ」
よっぽど無視したかったが、速達じゃ、結局いつかは受け取らないといけないから、いま出ないとあとが面倒臭い。
冷蔵庫の扉を穏やかに閉めて。
「はいはい」
覗き穴で外にいるのが郵便配達であることを確認する。
物騒な世の中で、オートロックでもない築40年のアパートの1階なのだから用心しなさい。とは入院前にこの部屋を訪れた母の言いつけだ。
おれは身の安全より、家賃の安さと編集部への行きやすさを優先したんだ。
アルバイトもしないと生活できない身の上なのに、ここだけ金のかかったロボットの操縦席みたい。と言って笑った母。
漫画はデジタルの時代なんだよ。と言ったら、私が若い頃は袖口にスクリーントーンがついているのが勲章だったのに。同人誌の入稿も今ではデータなのね。……私の頃は即売会は晴海埠頭だったのよ。あなた知らないでしょ、晴海埠頭。バスが満員で乗れないから東京から晴海まで歩いたのよ。
としみじみしていた。母も結構な漫画好きだった。
「速達です」
郵便配達員は原稿が入るサイズの封筒を渡したら早々に帰って行った。送り主は。
「病院の看護師さん」
母がお世話になった看護師さんだ。
封を切ると中から水色の封筒と看護師さんが書いた手紙が入っていた。
【お母様から頼まれました。葬儀が済んだらあなたに送って欲しいと……】
水色の手紙を見ると、おれ宛の名前が書いてある。
「……」
深呼吸をして、手紙を広げた。
これを読んでいるということは、私はもうこの世にはいないということですね(一度言ってみたかった)。
お疲れ様でした。きっとお父さんは使い物にならなかったと思う。あなたが喪主を務めたようなものだったでしょう。目に浮かぶようです(もう死んでいるけれど)。
実は、この部屋にプレゼントを隠しました。お母さんからのビックリドッキリメカです(あなたの世代じゃわからないわね)。メカじゃないわよ。
ヒントを出すから、みつけてみなさい。
母は入院する前にこの部屋に一泊した。なにか仕込むとしたら、おれが深夜バイトで部屋を空けたあの時間だ。
昭和ギャグはスルーして、手紙を読み進めることにする。
※ヒント1 ドラマでやっているの、たまたま見たことあるやつだわ。テレ※の深夜ってなかなかマニアックなのやるわよね。
解説 お父さんが不倫なんてするわけないでしょ。私がいるんだから。
本棚に目をやり。見つけた漫画を手にした。
「フ※※※※※(※※U※・著)、1巻かな。ドラマはまって原作買ったんだよな」
第一話、同盟が結成されたページに紙切れが挟まっていた。
「イ? なんだそれ」
次、いってみよう。
※ヒント2 国分寺! 懐かしいわ~。学生の頃よく遊んだわ。再開発はもう終わったの? こんなもの出土したら中断よね。
解説 あなたがこの漫画を買ったのは、同じ沿線に住んでいてコンビニでバイトしているから?
「いやいや、好きなんだよ単純に」
本棚からフ※※※(W※※※・著)の1巻を出し、パラパラめくると紙が落ちた。
「ン」
※ヒント3 カバー絵につられて手にしちゃった。イケメン尊いww。ジェットコースター並みにハラハラする展開。嫌いじゃないわ。
解説 3巻までステラだと思ってたわ。美味しいクッキーがずっと浮かんでいたけれど、テスラだったとは、やられたわ。
「ただの勘違いだろ」
母がカバー絵で手に取りそうなの。デ※※※※(※※J・著)2巻。
「ラ」
※ヒント4 お父さんと付き合ってた頃のこと思い出しちゃって涙でてきた。お父さんのこと、頼むわよ。
解説 唐揚げ食べたくなったわ。コンビニ勤務おわったら買ってきてもらえば良かった。ビールと一緒に。
「金のカバー巻だな。金箔好きだから」
よ※※※※※※※※(※※K※※・著)2巻でビンゴ。
「パ」
※ラストヒント いい女ね〜。私も無駄にお酒が強かったから肝臓にきちゃったのかな。
解説 あなたの作風とは違うみたいだけど、吸収できるところはとことん盗みなさいね。こんなイケてる女は描けないだろうけど。
「ベテランとおれを比べんなよ」
これは一発では見つからなかった。男を手玉にとりながらの飲みシーンをかたっぱしから探したら、13巻の後ろの方だった。※・※※※ル(※K※・著)
「フ」
たくさんの漫画に囲まれて大好きな漫画が描ける。私の子育て間違ってなかったね。あなたを産めてよかった。よくやった私。
残念なのは、ご近所や友達にあなたのコミックスを布教できなかったこと。お父さんにやってもらってね。きっと喜んでやってくれるから。
5文字の並べ替え済んだ? あなたのことだから料理なんかしないでしょ。気付かれない自信が100パーあるわよ。
「その通りです」
流しの扉の下で、眠らせているフライパン。一人暮らしはじめて5年になろうかというのに。
鍋ひとつのラーメンはやるけど、あとはバイト先のコンビニ飯。フライパンは宝のもちぐされだった。蓋までしたまんま。
なんの変哲もないフライパン。蓋をあけたら。そこにあったのは。
「パンケーキミックスだ」
ちっちゃい頃から大仕事のあとは甘い物だったものね。食べたくなってるでしょ。フライパンも使えるし、一石二鳥。
「一石二鳥って、こういうときに使うんだっけ? あー、でもさすがに出来上がったホイップクリームはないよな」
卵と牛乳は買うとして。ケーキ屋いったらわけてくれるのかな。
「手紙終わってないぞ」
大好きなホイップクリームはね、さすがに用意できなかった。だから、物足りないと思ったら、青空に浮かぶ白い雲がそれだと思って、ついでにお母さんのこと思い出して。ポロポロ涙こぼしながら食べてね。
疲れたから寝ます。じゃね。頑張れ。
「終わり?」
手紙の裏側とか封筒の中身をくまなく確認するが、種も仕掛けもないようになにもでてこない。
親から子への最後の手紙っていったら、最後は涙があふれて止まらないラストなんじゃないのか。
「パンケーキミックスまではいい演出だったのに。変な終わりかた」
時計をみればまだ夜には早い。
卵と牛乳を買いに行こう。おれは甘いものが食べたかったんだ。
「夕飯はパンケーキだな」
さきほど開けたばかりの扉をもういっかい開けて外に出る。
熱風が上昇気流に乗ってアッパーカットをくらわせてくる。まだまだ暑い。
「あっつ……」
アッパーが見事に決まって嫌でもアゴが上に向けられてしまう。見れば太陽が夕日になろうとしていた。
空が、青い部分とオレンジ色の部分とに分かれていた。
日が沈むから下の部分がオレンジ色が濃くって、太陽がなんとか照らしている上の部分がまだ青空で。
ブラインドを指で押し下げるような青い隙間に白い雲がモクモク立ち上っているのが見えてしまった。
上に向いてしまったアゴを戻すまでの、ほんの一瞬。母が泡立ててくれるホイップクリームがそこに見えた。
手を伸ばしてみたけれど掴めない。
「なんで」
これからパンケーキ作るのに、なんで掴めない。
「なんでだ」
おれは玄関先でしゃがみこんだ。
「なんでだよ」
やっと涙をポロポロこぼすことができたと思う。
「ただいま」
と言ったところで出迎えるのは漫画本が敷き詰められた1DK。
物心ついた時から母に「帰ってきたらただいま、でしょ」と教えられてきた。
その母の葬式から、いま帰ってきた。
急変の知らせを聞いて田舎へは急いで帰ったが、母はすでに冷たくなっていた。
間に合わなかったという事実に目の奥がツーンと痛み出したとき、最期を看取った親父がいきなりデカイ声で泣き出した。
そこからはもう、親父どうしちゃったの? というくらい泣き止まなくて、使い物にならなくて。
結果、葬儀屋との葬儀のグレードと値段の打ち合わせ、会ったこともないような親戚とのあいさつ、近所の人たちの「あらまぁ大きくなって」という言葉(ちなみにおれが上京したのは高校卒業してからだ。5年もたっていない)。高校時代のご学友たちの「東京駅から晴海埠頭まで歩いた」という昭和の同人誌即売会の話。住職との穏やかな語らい。エトセトラ、エトセトラ。
「疲労しか残ってない」
違う意味で泣けている。ほぼほぼおれが喪主だった。親父のお姉さんや従姉妹の姉ちゃんがいなかったら、いま頃おれのたましいの葬式がなされていただろう。
「疲れた、甘い物食いてぇ」
パンケーキとかいいよね。ホイップクリームが頂のように乗っているやつ。
アメーバーに成り下がった脳細胞と体がスイーツを欲している。おれは結構な甘い物好きなんだ。
「なんかなかったかな」
冷蔵庫を開ける。状況が状況だっただけに買い置きがない。プリンすら入っていない。
ピンポ~ン「速達です」
そんなとき、帰宅を待ってましたとばかりの呼び鈴。
ピンポ~ン「速達です」
「あー、チクショウ」
よっぽど無視したかったが、速達じゃ、結局いつかは受け取らないといけないから、いま出ないとあとが面倒臭い。
冷蔵庫の扉を穏やかに閉めて。
「はいはい」
覗き穴で外にいるのが郵便配達であることを確認する。
物騒な世の中で、オートロックでもない築40年のアパートの1階なのだから用心しなさい。とは入院前にこの部屋を訪れた母の言いつけだ。
おれは身の安全より、家賃の安さと編集部への行きやすさを優先したんだ。
アルバイトもしないと生活できない身の上なのに、ここだけ金のかかったロボットの操縦席みたい。と言って笑った母。
漫画はデジタルの時代なんだよ。と言ったら、私が若い頃は袖口にスクリーントーンがついているのが勲章だったのに。同人誌の入稿も今ではデータなのね。……私の頃は即売会は晴海埠頭だったのよ。あなた知らないでしょ、晴海埠頭。バスが満員で乗れないから東京から晴海まで歩いたのよ。
としみじみしていた。母も結構な漫画好きだった。
「速達です」
郵便配達員は原稿が入るサイズの封筒を渡したら早々に帰って行った。送り主は。
「病院の看護師さん」
母がお世話になった看護師さんだ。
封を切ると中から水色の封筒と看護師さんが書いた手紙が入っていた。
【お母様から頼まれました。葬儀が済んだらあなたに送って欲しいと……】
水色の手紙を見ると、おれ宛の名前が書いてある。
「……」
深呼吸をして、手紙を広げた。
これを読んでいるということは、私はもうこの世にはいないということですね(一度言ってみたかった)。
お疲れ様でした。きっとお父さんは使い物にならなかったと思う。あなたが喪主を務めたようなものだったでしょう。目に浮かぶようです(もう死んでいるけれど)。
実は、この部屋にプレゼントを隠しました。お母さんからのビックリドッキリメカです(あなたの世代じゃわからないわね)。メカじゃないわよ。
ヒントを出すから、みつけてみなさい。
母は入院する前にこの部屋に一泊した。なにか仕込むとしたら、おれが深夜バイトで部屋を空けたあの時間だ。
昭和ギャグはスルーして、手紙を読み進めることにする。
※ヒント1 ドラマでやっているの、たまたま見たことあるやつだわ。テレ※の深夜ってなかなかマニアックなのやるわよね。
解説 お父さんが不倫なんてするわけないでしょ。私がいるんだから。
本棚に目をやり。見つけた漫画を手にした。
「フ※※※※※(※※U※・著)、1巻かな。ドラマはまって原作買ったんだよな」
第一話、同盟が結成されたページに紙切れが挟まっていた。
「イ? なんだそれ」
次、いってみよう。
※ヒント2 国分寺! 懐かしいわ~。学生の頃よく遊んだわ。再開発はもう終わったの? こんなもの出土したら中断よね。
解説 あなたがこの漫画を買ったのは、同じ沿線に住んでいてコンビニでバイトしているから?
「いやいや、好きなんだよ単純に」
本棚からフ※※※(W※※※・著)の1巻を出し、パラパラめくると紙が落ちた。
「ン」
※ヒント3 カバー絵につられて手にしちゃった。イケメン尊いww。ジェットコースター並みにハラハラする展開。嫌いじゃないわ。
解説 3巻までステラだと思ってたわ。美味しいクッキーがずっと浮かんでいたけれど、テスラだったとは、やられたわ。
「ただの勘違いだろ」
母がカバー絵で手に取りそうなの。デ※※※※(※※J・著)2巻。
「ラ」
※ヒント4 お父さんと付き合ってた頃のこと思い出しちゃって涙でてきた。お父さんのこと、頼むわよ。
解説 唐揚げ食べたくなったわ。コンビニ勤務おわったら買ってきてもらえば良かった。ビールと一緒に。
「金のカバー巻だな。金箔好きだから」
よ※※※※※※※※(※※K※※・著)2巻でビンゴ。
「パ」
※ラストヒント いい女ね〜。私も無駄にお酒が強かったから肝臓にきちゃったのかな。
解説 あなたの作風とは違うみたいだけど、吸収できるところはとことん盗みなさいね。こんなイケてる女は描けないだろうけど。
「ベテランとおれを比べんなよ」
これは一発では見つからなかった。男を手玉にとりながらの飲みシーンをかたっぱしから探したら、13巻の後ろの方だった。※・※※※ル(※K※・著)
「フ」
たくさんの漫画に囲まれて大好きな漫画が描ける。私の子育て間違ってなかったね。あなたを産めてよかった。よくやった私。
残念なのは、ご近所や友達にあなたのコミックスを布教できなかったこと。お父さんにやってもらってね。きっと喜んでやってくれるから。
5文字の並べ替え済んだ? あなたのことだから料理なんかしないでしょ。気付かれない自信が100パーあるわよ。
「その通りです」
流しの扉の下で、眠らせているフライパン。一人暮らしはじめて5年になろうかというのに。
鍋ひとつのラーメンはやるけど、あとはバイト先のコンビニ飯。フライパンは宝のもちぐされだった。蓋までしたまんま。
なんの変哲もないフライパン。蓋をあけたら。そこにあったのは。
「パンケーキミックスだ」
ちっちゃい頃から大仕事のあとは甘い物だったものね。食べたくなってるでしょ。フライパンも使えるし、一石二鳥。
「一石二鳥って、こういうときに使うんだっけ? あー、でもさすがに出来上がったホイップクリームはないよな」
卵と牛乳は買うとして。ケーキ屋いったらわけてくれるのかな。
「手紙終わってないぞ」
大好きなホイップクリームはね、さすがに用意できなかった。だから、物足りないと思ったら、青空に浮かぶ白い雲がそれだと思って、ついでにお母さんのこと思い出して。ポロポロ涙こぼしながら食べてね。
疲れたから寝ます。じゃね。頑張れ。
「終わり?」
手紙の裏側とか封筒の中身をくまなく確認するが、種も仕掛けもないようになにもでてこない。
親から子への最後の手紙っていったら、最後は涙があふれて止まらないラストなんじゃないのか。
「パンケーキミックスまではいい演出だったのに。変な終わりかた」
時計をみればまだ夜には早い。
卵と牛乳を買いに行こう。おれは甘いものが食べたかったんだ。
「夕飯はパンケーキだな」
さきほど開けたばかりの扉をもういっかい開けて外に出る。
熱風が上昇気流に乗ってアッパーカットをくらわせてくる。まだまだ暑い。
「あっつ……」
アッパーが見事に決まって嫌でもアゴが上に向けられてしまう。見れば太陽が夕日になろうとしていた。
空が、青い部分とオレンジ色の部分とに分かれていた。
日が沈むから下の部分がオレンジ色が濃くって、太陽がなんとか照らしている上の部分がまだ青空で。
ブラインドを指で押し下げるような青い隙間に白い雲がモクモク立ち上っているのが見えてしまった。
上に向いてしまったアゴを戻すまでの、ほんの一瞬。母が泡立ててくれるホイップクリームがそこに見えた。
手を伸ばしてみたけれど掴めない。
「なんで」
これからパンケーキ作るのに、なんで掴めない。
「なんでだ」
おれは玄関先でしゃがみこんだ。
「なんでだよ」
やっと涙をポロポロこぼすことができたと思う。