物理学の知りえない領域

文字数 3,002文字

 砂川は建物の影に消えていった。しばらくしてから、代わりに朝永が現れた。僕と朝永は屋上の影になっている場所で話し始めた。
「集団自殺について、いくつか聞きたいことがある。仮に僕の自説が正しいとして、自殺した人間のあいだに蓋然性の低い意識が共有されていたとする。そのとき、その意識を物理学によって記述することは可能か?」
「不可能だな。きみがときたま語る独自のコミュニケーション理論に人間が踏み込めない領域があるように、この世界には物理学が踏み込めない領域がある。量子力学が体系化される前の物理学者たちは理想主義者たちばかりだった。年代で言えば、1920年代よりも前の物理学者たちのことだ。ラプラスの悪魔は知っているな? ピエール=シモン・ラプラスが提唱した有名な仮説だ。物理学を齧った程度の人間でも知っている。ラプラスの悪魔は全宇宙に存在する原子の力と方向性を観測できるならば、この世界の未来はすべて予測できる、という仮説だ。過去のことはもちろん、未来のことも記述する、言い換えれば、宇宙の始まりから終わりまでを記述することは神の仕事に他ならない。量子論を知らなかった物理学者たちは神と論理を一体化しようとした。つまりこの世界のすべてを記述できると信じていた。しかしこの幻想は前期量子論の登場によって破壊される。古典力学、もしくは統計力学から量子力学の過渡にはきみも知っているだろう高名な物理学者たちが多く関わっている。具体例を挙げるならば、マックス・プランク、アルベルト・アインシュタイン、ニールス・ボーア、ド・ブロイ、ヴェルナー・ハイゼンベルク、エルヴィン・シュレディンガーあたりか。もっとも、この物理学におけるコペルニクス的転回に関わった人間はこれだけに留まらず、今挙げた偉人たちも全員が量子論に賛成を示したわけではないが。量子力学において、あらゆる現象は確率として表現されることはすでに教えたな。このことにより、原子の力と方向性はあらゆる可能性を持ち、ただ一つの数値に決定することはできず、よってラプラスの悪魔は否定された。それでも人類は確率という不確定性の形式で、世界を記述する偉業を成し遂げた。しかし世界とは人類の英知を上回ってくるもので、私たちが量子力学を生み出してもなお、記述できない領域がある。現代物理学によって記述できない領域の一つとして例を挙げるならば、変位が光速度を超える現象だ。人間に可能な観測を厳密に定義するならば、ある物体に対する光を当てたときの反応だ。現象とは変化だ。人間はその変化を光を媒体にして、理解する。ゆえに光速度を超える現象が起こったとき、私たちはその現象を観測することができない。量子力学の分野においては、その現象がたびたび起こる。例えば、シュレディンガーの波動関数が収束するときその速度は光速度を超える。ゆえに私たちは原子や電子が重ね合わせの状態にあるときから、一つの状態に決定するあいだに何が起きているか知ることはできない。また量子力学には量子化という前提がある。簡潔に言えば、ある現象は連続性ではなく、断絶した不連続性によって観測されることを証明したものだ。ボーアの原子模型において、原子核の周囲を回転する電子は特定の軌道しか取ることができない。定量化するならば、プランク定数や振動数条件や励起の説明をしなければならない。しかしここまで委悉に話すと、きみの当初の質問からは外れるな。要するにボーアの原子模型では電子の軌道が励起して、別の軌道を取る現象が起きる。このときの電子の遷移は光速度を超えるために、原子の性質が変化するときの経緯を私たちは知ることができない。具体例を出しながら長々と話したが、きみの質問に答えるならば、人間の意識は現代物理学において、踏み込むことのできない領域の一つだ」
「古典力学の唯物論的な観点から見れば、人間を構成する原子をすべて観測することで、その意識も数式として記述できるはずだった。しかし現代物理学では、人間においても観測される前のあらゆる現象は確率として記述され、さらには光速度を超える現象も起きている。ゆえに人間の精神は記号を超えた場所に存在するものだ。人間は言語、拡張すれば記号を用いて世界を理解する。しかしこの世界には確実に記号を超えた領域がある。その領域は人智を超えた領域と一致する。そして皮肉なことに人間の意識そのものが記号を超えた領域に属する」
「きみと私の信念を統合すれば、きみのまさに今言ったところに落ち着くのだろう。桑江は人と人のあいだには同じ意識によって経路が通じると信じている。しかし現代物理学ではその経路の距離や本数を記述することはできない。宗教や科学が万能と信じられていた時代があったのは事実だ。だが現代ではその二つの権威も失墜している。その根本的な原因はどちらもその表現を言語または記号に頼っていたことだ。この世界には人智が踏み込めない領域がある。その領域はきみの言ったとおり、記号を超えた領域であり、私たちは記号を介せずに世界を解釈する方法を確立する必要がある。それだけが人智を超えた領域に踏み込む方法だ。きみはその方法について尻尾くらいは掴んでいるのか?」
「まったくわからない。言語や記号を排除した上で、世界を理解する方法など存在するのか? もしかしたら存在するのかもしれない。しかしそれは言語や記号を媒介にして世界と向き合う人間に可能なことなのだろうか? もしもそれが可能ならば、人間を超越する必要があるのかもしれない。ところで、さっきは砂川と似たような話をしたんだ。つまり人間が踏み込むことのできない領域についての話だ。砂川にとって、人間が踏み込むことのできない領域は神が意図的に隠した領域と同等だ。砂川は人類がその領域に踏み込むには、黙示録のときを待つしかないと断言していた。新約聖書にはヨハネの黙示録によって、人間が世界の摂理、すなわち神の意図をすべて理解するときが来ると預言されている。だが僕は隠されたものを明かさないことは人道に反すると反駁した。僕は世界がどのような構造を持っているかなどという、マクロ的な視点は持ち合わせていない。ただ僕の言うコミュニケーション理論とは周囲にいる数人の人間と経路を繋ぐこと、ミクロ的なものだ。だが、一人の人間が世界の真理とは言わないまでも、周囲の人間にとって有益な意識を獲得したとき、その意識を共有しないことは人道に反するのではないのか? 僕たちの生活がより良い方向に進む意識を隠されたままにしておくことは非人道ではないか? その意識を獲得するために勤勉であることは人間にとって、法律や制度によっては定められていない本質的な義務ではないのか?」
「私は絹と人智を超えた領域について腹を割って話し合ったことはない。だからきみからの又聞きによってしか判断することしかできない。その上で自分の意見を言うならば、私はきみの方に加担するかな。私も絹が無知に甘んじていることは気がついている。きみは周りにいる数少ない人間と通ずる人道を説いた。しかし普遍性を重んじる物理学に従事する私としては、全人類にとって有益になることを人道と考える。そこにはマクロとミクロの差がある。だがその本質において、きみと私の意見は同じだ。私も無知は非人道だと考えている」
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登場人物紹介

桑江英(くわえはなぶさ)

「町」から精神的に欠落していると判断され、「学園」に収容されている青年。
自分の存在を確認するために設計上飛ぶことのできない滑空機の組立と解体を繰り返す。
物事を唯心論的な方面から解釈する癖がある。

朝永夏子(ともながなつこ)

「学園」の生徒の一人。
現代物理学に精通している。
量子力学が専門で、相対性理論と散逸構造論にはそこまで言及しない。

砂川絹(すなかわきぬ)

「町」を支配する教会の修道女。
「町」に対抗を試みる「学園」に人質として誘拐される。
宗派はカトリックで、特にトマス・アクィナスに傾倒している。

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