7章―1
文字数 4,123文字
月明かりに照らされた『檻』の中。この『檻』に照明はないが、天井付近に窓がついており、月がよく見える。
調度品は壁際のデスクと事務椅子、そして中央のダブルベッドのみ。『檻』の右側には、鉄格子の外側に入口と同じ扉があり、浴室へと続く。
窓から見える月を眺めながら、ラウロは鼻歌を口ずさんでいた。昔ミルド島の路上で見かけた歌手が歌っていた、思い出の曲。同じ人物がつい最近、目の前で演奏してくれたことが遠い昔のように感じる。彼女は元気だろうか。そして[家族]は皆、無事だろうか。
思い出に浸る中、アビニアの予言が突如脳裏に響いた。
――君は暗い部屋の中にいる。天井付近の窓から、月の光が入ってきてわりと明るいな
声が震えて歪み、曲が途切れた。自分は今、予言に出てきた部屋にいる。つまり、『未来』は変えられなかったのだ。
――君はベッドに座っているようだね。下の方にも誰かいるみたいだけど、この位置からは見えないな。ん? 手首に何か巻かれている。赤い糸? いや、鎖か?
うなだれた直後、予言の続きが再生された。ラウロは勢い良く頭を上げ、辺りを見渡す。確かにベッドに座っており、手首は丈夫な鎖で拘束されているが、この『檻』には自分以外誰もいない。
捕まるまでの行動を思い返す。公園で『蛇』の気配を感じ、逃げる途中で道に迷い、行き止まりまで追い詰められ、一緒にいたアースを川に落とし……
「(そうか。アースだったんだ……)」
ラウロは再度うなだれた。あの時は『蛇』に捕らわれる『未来』を回避しようと必死だった。行き止まりに当たり、ショックで崩れ落ちたアースを見て「何とかしよう」と逃げ道を探した。その結果、今までの道になかった水路を発見出来た訳だ。
アースの[潜在能力]は、『酸素がなくても呼吸出来る』こと。水泳が得意な彼なら、『蛇』に見つかる前に逃げられる。と、咄嗟に思ったのだが。
もし水路を見落としていたら。また、アースを急いで逃がさなかったら。今頃この『檻』の中には。
ラウロは窓を見上げ、僅かに笑った。
涙が一筋流れ落ちる。『未来』はきっと、変えられた。そう思いたかった。
「(大切な[家族]を守ることが出来た。それだけで、もう充分じゃねぇか)」
――おや、部屋の入口から誰か入ってきたみたいだ。あれは……青い、……蛇?
予言の締めくくりが聞こえた瞬間、『檻』の扉が開いた。
ラウロは体を震わせ、入口を見る。月明かりに照らされた人影。青い『蛇』フィードが、こちらを真っ直ぐ睨んでいた。
ラウロは後退る。にじり寄るように迫るその姿は、予言に出てきた『蛇』そのものだった。
――――
ラウロが失踪した翌日。[家族]は彼を取り戻すために、銀色のキャンピングカーを飛ばしていた。
普段賑やかな車内は、静まり返っている。皆、ラウロを失ったショックが続いているのだ。アースは流れゆく景色を眺めながら、昨日の出来事を思い返していた。
――
ラウロを救出するためにRC本社に行く、と宣言し、ナタルはカルク島の地図をテーブルに広げた。彼女は中央より南東に離れた位置に、右手の人差し指を置く。
「今私達がいる場所は、大体この辺り。RC本社はこの場所よ」
ナタルは左手の人差し指を、地図のど真ん中に置いた。ノレインは眉間に皺を寄せ、口髭を弄る。
「ここからだと車でも一週間はかかるな……」
「あら、元々沿岸部に行く予定だったじゃない。その寄り道って考えればなんとかなるでしょ!」
メイラは北東の海沿いを指差した。ここが本来の目的地だ。距離はかかるが、このルートが一番良さそうだ。
「よし。RC本社に行ってラウロを助けて、そのまま沿岸部に直行する作戦にしよう。場合によっては、カルク島を出ることも考えないとな」
ノレインの言葉に皆無言で俯く。相手は執念深い『蛇』なのだ。ラウロを助けたとしても、また追ってくる可能性が高い。
「私も賛成です。でも[島]を出るのなら、なるべく早く移動した方が良いと思う」
ナタルが意見を出すと、メイラがは苦しげに首を横に振った。
「海を渡るにしても、資金が足りなくて移動出来ないわ。だから目的地に着いたら、まず資金調達が必要よ」
「だったら私、働きます!」
「ぉ、俺も!」
ナタルがすかさず返答すると、モレノも涙ながらに続く。二人を見かね、ノレインはメイラの肩を優しく叩いた。
「皆で頑張れば何とかなるんじゃないか?」
「えぇ、そうよね! そうと決まれば一刻も早く……」
「ま、待って!」
周りが腰を上げると、ナタルは慌てて呼び止めた。
「ラウロを助ける前に、現地に着いてから作戦を立てるべきです! 本社には防犯カメラがついてると思うし」
[家族]はカルク島中央部を訪れたことはなく、ナタルも逃げ出す際しか街を出歩いていない。ノレインは口髭を弄りながら宙を見上げた。
「そうだな。本社から離れた場所に車を停めて、徒歩で探索するしかない。デラ、ドリ、ここは頼むぞ」
「うん、まかせて♪」
双子は同じポーズで胸を叩いた。ドリの[潜在能力]は近くの人に対し、姿が見えないよう錯覚させられるらしい。これなら怪しまれずに偵察出来る。
ナタルは頷き、複雑そうにテーブル上の地図を見下ろした。
「ラウロには悪いけど、万全な状態で臨まなきゃ私達も危ないわ。移動と準備を含めて必要な時間は……少なくても一ヶ月」
――
アースの脳裏に、『蛇』がラウロに噛みつく光景が再びフラッシュバックした。あまりの恐怖にぎゅっと瞼を閉じる。
今すぐにでも助け出したいが、RC本社はまだ遠い。何も出来ないこの時間は耐え難く、もどかしかった。
移動を始めて約二週間後、カルク島中央部に到着した。
ノレインは到着まで一週間と予測したが、銀色のキャンピングカーが長距離移動に耐えられず、何度か故障しかけたのだ。ノレインが元自動車整備士でなければ、到着は更に遅れただろう。
RC本社は見渡す限りのビル群の中で、頭一つ飛び出た巨大なビルだった。二キロメートルほど離れた小さな公園に停車したが、そこからでもはっきり見える。
屋上にはヘリポートがあるらしく、時々ヘリコプターが離着陸する。その様子を眺めているうちに、アースはラウロが攫われた日、上空をヘリコプターが横切ったことを思い出した。
もしそれがRCの物で、ラウロを乗せていたとしたら。恐らく、早くても一日以内で到着出来るに違いない。
[家族]は打ち合わせ通り、辺りをくまなく探索した。人通り、車の停車場所、防犯カメラの有無、逃げるためのルート。本社のすぐ近くだけではなく、出来るだけ広い範囲の情報を[家族]全員で調べ上げた。
そして、ラウロが攫われてから一ヶ月。遂に行動に移す日が来た。
――――
高層ビルが立ち並ぶ大都会でも、深夜二時を過ぎると次第に静まってゆく。小さな街灯と、三日月のうっすらとした月明かりのみが辺りを照らす。
銀色のキャンピングカーは、RC本社から五百メートル離れた細い裏道に停車した。ここは他のビルが死角となり、RC本社側から見えにくい。どのビルの窓からも照明は見えず、この時間まで残業する人はいないようだ。
ノレインはエンジンを切り、暗い車内に向かって囁いた。
「いいか、タイムリミットは朝四時。夜が明けるまでには戻って来るんだぞ」
玄関に立つのは、ナタル、デラとドリ、シャープとフラット。ナタルは[家族]の不安げな視線を受け、自信に溢れた笑みを返した。
「大丈夫。必ず、ラウロを助け出してみせる!」
双子、二匹の従者と頷き合う。ナタル達はドアを静かに開け、一気に飛び出した。
音もなく、迷うこともなく駆けてゆく。念のため、ビルの色に合わせたフードつきの服を身に纏っているが、人影は全くない。
『ここまでは順調だね』
心の奥で、ドリが呟いた。[潜在能力]を使って話しかけられたのだ。ナタルは声に出さずに「そうね」と返した。計画を立てるために何度も議論を重ねたが、その甲斐はあったようだ。
周りの人通りを考えると、出撃可能な時間帯は深夜から夜明けまで。本社の抜け道を知り尽くしたナタルをメインに、万が一のために双子と従者達が同行する。
ラウロを救出したら人型フラットが彼を背負い、抜け道を通って戻る。そしてすぐに出発し、沿岸部に向かう。この計画通り進めばいいのだが、いくつか疑問が残る。
そもそも、ラウロはRC本社にいるのか。
それについては[家族]全員、根拠のない自信を持っていた。ここまで到着し、本社ビルを見上げた瞬間、ラウロは間違いなくここにいる、と直感したのだ。
だが、問題はもうひとつある。ラウロの傍に、フィードがいたとしたら。
出撃が深夜になる以上、フィードがいる可能性は限りなく高い。更に、変装したナタルの正体がばれてしまったら、一緒に捕まるかもしれない。救出に成功しても、今後はラウロと共に追われる身となる。
[家族]はそのことを心配したが、ナタルは平気だった。もし襲われたら、返り討ちにすればいい。
「あった、ここよ」
細い裏道の真ん中で、ナタルは足を止めた。道幅は三人横並びで、ぎりぎり通れる程度。ナタルは上を指差し、双子と従者も見上げる。そこには、大きなダクトが下を向いていた。
「ここは、母さんと一緒にラウロを見送った場所。この辺りなら人目につかないし、きっと大丈夫」
双子はナタルの服の裾を引っ張り、そっと耳打ちした。
「ここからはみんなの頭の中に話すから、声は出しちゃだめだよ」
ナタルは頷き、肩に乗せたフラットに目配せする。
フラットはナタルに放り投げられ、ダクトの金網にしがみついた。金網を静かに外し、下に落とす。それをナタルがキャッチし、地面に置いたと同時にロープがするすると下りてくる。ダクトの中に入ったフラットが人型になり、全員を引き上げるのだ。
ナタルはシャープをパーカーの中に入れ、ロープを掴んだ。双子もそれを掴むと、ロープは上がり出した。
全員がダクト内部に入ったのを確認し、ナタルはペンライトを耳に挟んで前方に目を向けた。周りは暗い。埃に塗れた狭い通気口の中、一行は這うようにして進み始めた。
(ログインが必要です)