第29話:初出勤

文字数 4,956文字

「ガスの元栓ヨシ! 電気の消し忘れ無し! あっ、二階の窓閉めたかしら?」
 乙女走りで二階に駆けあがっていったガスターは窓のチェックをし終えると、いそいそと階段を下りてきた。
「茉莉ちゃん、お弁当持った? ハンカチは?」
「どっちも持ったよ。とりあえず落ち着いてガスターさん」
 朝からソワソワ落ち着きのないガスターの背を、茉莉はやんわりと撫でる。なぜこんなに落ち着きがないのか。それは今日、あの逃げ出してきた忌まわしい研究所へ初出勤する日であるからだ。
 灰色悪鬼こと薬師寺大二郎に見つかったのが三日前。それからあれよあれよと話は進み、結局茉莉共々あの研究所へ“出勤”することに決まったガスター達。勤怠時間は9時から17時まで。そのうち12時から13時は昼休憩だ。土日祝日の他、夏休みと年末年始の休みも十二分にとれる。もちろん年次有給休暇も発生する。まるで普通のホワイト企業のようだが、業務内容は一風変わっていた。
 ガスター達ロボットはありとあらゆる実験に付き合わされ、茉莉は彼らが不安にならないようサポート役としてマネージャーのような仕事をこなす。ロボット達が嫌がる実験にはノーと言え、中止させる権限も持つということであった。
 たった三日でそうも簡単に転職が出来るものなのか。通常であれば、退職の意志を示してから最低でも二週間は引き継ぎやら何やらで辞められないと思うが、そこは天下の薬師寺財閥。大二郎の鶴の一声で転職はすんなりと決まった。普段しかめっ面の上司が『引継ぎやマニュアル作成もしなくてよいです。薬師寺様へよろしくお伝えください』と媚びへつらう笑顔で告げたとき、この世は所詮金と権力がものをいうのだなと茉莉はしみじみ感じていた。
「そ、そうね。ごめんなさい茉莉ちゃん」
「お主が心配する気持ち、よく分かるぞ。だがそう案ずるでない」
「大丈夫……。茉莉が、ついている……」
 落ち着きはらったボルタとロキソの言葉に、ガスターは俯いていた顔をハッとあげた。
「そうだったわ! 私たちには茉莉ちゃんが付いているんですものね! 何があっても大丈夫よね!」
「お任せください。パワハラ・セクハラ・スメハラ等のハラスメント行為、平均残業時間を超えた長時間労働、そもそも残業代を支払わない、“給料のために仕事をするんじゃない、やりがいのために仕事をするんだ”とか意味の分からない精神論を振りかざす、そんな悪徳企業は労働基準局にサクッと報告いたします」
 茉莉の口からスラスラと出てくる穏やかではない言葉の数々にガスターは目を丸くした。
「なんだか随分と場馴れして見えるけど……」
「人生山あり谷あり。酸いも甘いも色々ありました」
「苦労したのね、茉莉ちゃん……」
 清々しい笑顔で答えた茉莉に、ガスターはとても悲し気な目を向けた。

「さあ、それじゃあ行きましょうか!」
 心機一転、晴れ晴れとしたガスターの一声にロボット達は一斉にミニ化。そのまま茉莉のショルダーバッグの中に飛び込んでいく。研究所へは茉莉の自家用車で通勤するため、その道中人目に晒されることのないようミニ化していこうと皆で話し合った結果である。隣家に住む大二郎は茉莉達を自ら送迎すると意気込んだが、その案は茉莉達と武田に即刻却下されていた。
 ガスター達をバッグに収納した茉莉は玄関を出て施錠。自宅駐車場に止めてある自家用車へ足を運ぶと、その門柱の上には小さな先客が一人佇んでいた。
「おはようドンちゃん」
「んみゃ~」
 茉莉が差し出した手に頭や顔を擦り付けていくドン。ゴロゴロの爆音付きだ。
「それじゃあ行ってくるね。お留守番お願いします」
「みゃっ」
 任せろとでも言っているのか、ひと鳴きしたドンは再び門柱の上に香箱座りをし、茉莉が車に乗り込むのを見送った。ドンに見送られながら何事もなく走り出した車内では、ロボット達がバッグ越しに茉莉と他愛のない世間話に花を咲かせ、朝の緊張など微塵も感じさせない楽しげな雰囲気。
 そして程なく到着した研究所の門前。先日は大二郎の運転する車で来たため自動で開いたが、今日は固く閉ざされたまま。警備員もいないそこをどう通ればよいのかと思案したが、その答えが出る前に重厚な門は音も立てずに左右へ開き、茉莉の車を迎え入れた。
「うわぁ、なんだかホラー映画みたい」
「いかにも。このまま建物の奥に進むも人っ子一人おらず、やっと見つけた人間は歩く死人に変じている――という陳腐な物語が見えるぞ」
「あー、あるある」
 すっかりB級ゾンビ映画通になったボルタの解説に、茉莉は激しく同意した。
「そうなっても安心召されよ。我ら3人、死人に噛まれようとも変じることはないゆえ、茉莉殿をお守り致すぞ」
「果たしてそう言い切れるかな?」
「何奴!?」
 背後から突如声をかけられ驚いたボルタは人間サイズへと変じ、茉莉を守るように立ちはだかる。ボルタを驚かせた声の主は、したり顔の薬師寺大二郎であった。
「――刺す」
「刺しちゃダメ」
 同じく人間サイズへと変じたロキソが苦無を構えると、茉莉は真顔で静止した。このサイズで刺したならば、いくら大二郎だとはいえ命の危険があるからだ。茉莉に逆らうことなどするはずのないロキソは、すんなりと得物をしまう。良く訓練された忍者である。
「ゾンビウイルスが未知の生命体である諸君らに化学反応を起こし、メカにも感染可能なものへと進化。それに蝕まれてしまうかもしれんぞ? ククク……」
 三文芝居役者のような振舞いで、大二郎は嬉々として言葉を紡いだ。
「薬師寺さんもホラー映画お好きですか?」
「うむ。まあホラーというよりは、SFのほうが好みではあるがね」
「だからこんなSFオタクが喜びそうな研究所を作ったのね」
 呆れ顔で言われたガスターの皮肉にも、大二郎は不敵な笑みを浮かべる。
「そう――私の幼いころからの夢、“巨大ロボで世界平和を守る正義の司令官”が、この研究所と君達3人のおかげで間もなく叶うのだ! フハハハハハ痛っ!?」
 高らかに悪役笑いをする大二郎の左頬に何かが飛来しペチンと当たる。茉莉が床に落ちた飛来物を拾い上げると、それは至って普通の輪ゴムであった。
「ボスは正義の司令官というよりも、邪悪なマッドサイエンティストですよ。しかもポンコツの」
 そう言いつつ白衣のポケットから取り出した輪ゴムを指鉄砲で飛ばしてくる武田。それを今度は額のど真ん中で受け止めた大二郎は、再度『痛っ』と小さな悲鳴をあげた。

 * * * * *

「皆さん、いい人ばかりですね」
「そう言ってもらえて安心しました」
 武田に案内され研究所内をひとしきり見て回った茉莉達。各部屋に配属されている研究者達と三者三様な挨拶を交わしたが、皆一様にロボット達の帰還を喜んでいるように見て取れた。中にはそれよりも『若い女子と一緒に働ける!』とはしゃぐ浮かれ者もいたが、武田の無言の圧力により茉莉へちょっかいをかけることはしなかった。
「騙されちゃダメよ茉莉ちゃん。今は善人面してても、そのうち化けの皮が剝がれて痛い目にあうわよ!」
「散々な言われようだね」
 必死に茉莉を言い含めるガスターに、武田は苦笑いを浮かべる。
「ガスターさん達は一体どんな拷問に……」
「うーん、あれが拷問になるのかなぁ。よかったら実験記録の映像見てみます?」
「お手数でなければお願いします」
「承知。ではこちらへ」
 茉莉達は武田に促され、彼の持ち場である一室へやってきた。ここは大型モニターが壁一面を覆い、現代科学の粋を集結した機器が立ち並ぶ、研究施設のメインルームであった。武田はスタッフの一人に、いくつかの実験中の映像を流すよう指示を出した。
「あぁ……、あの悪夢の日々が流れるのね……」
「ガスターさん達はバッグの中に隠れていて」
 絶望のオーラを発しているガスターに、茉莉は自分のバッグの口を広げてみせた。
「大丈夫よ! 茉莉ちゃんだけに嫌な思いをさせやしないわ!」
「左様」
「死なば、もろとも……」
 決死な覚悟のロボット達に武田はやれやれと肩をすくめ、映像が流れ始めたモニターに視線を移した。実験の記録映像画面は4分割されており、上段は実験室全体を俯瞰から、下段は均等に三分割され、それぞれのロボット達をアップで映していた。

『――次はコレだ』
 白衣を纏った研究者らしき男から手渡されたコップを、ロボット達は渋々口へ運び一気に飲み干した。
『にっがい! ナニコレ!?』
『青汁。野菜不足の救世主だぞ。健康にとても良い』
『こんなんでアタシ達ロボットの健康は補えないわよ!』
 しれっと答えた研究者に食って掛かるガスター。その隣ではボルタが青汁を飲み干したコップを己の顔の前に掲げていた。
『マズイ、もう一杯!』
『正気なのボルタ!?』
『いや、何となく、こう言っておかねばならぬかと』
 ガスターの問いに答えたボルタは、青汁の苦さに動じていないように見えた。ロキソは眉間に深い皺を刻みながらコップを見つめている。どうやら苦さに耐えているようであった。
『検体ナンバー2、往年のCMを無意識に再現――。では次はコレだ』
『また苦いんじゃないでしょうね?』
『苦くないさ。――ただ、』
 研究者の言葉が言い終わる前に新しい液体を口に含んだロボット達は、それをブフォっと一斉に噴き出した。その噴出物は霧状になり、小さな虹が一瞬架かった。
『ただ、ちょっと酸っぱいけどな』
『言うのが遅いわよ! ちょっとどころの酸っぱさじゃないわよ!』
『まあお酢だから』
 悪びれなく答えた研究者に、ガスターのこめかみへビキビキと青筋が浮かんだ。
『アンタバカじゃないのーーー!? お酢は飲み物じゃないでしょーーー!』
『健康にいいって飲んでるヤツもいるぞ。あと体が柔らかくなるかもって作用もあったりなかったり』
『健康とかもういいから! それにロボットが体の硬さ気にしてどーすんのよ!?』
『――グニャグニャになったら、色々……変身できる……』
『検体ナンバー3、丁‐1000に憧れを示す――』
 実験結果を真顔でボイスレコーダーに吹き込む研究者。ちなみに“丁-1000”とは、全世界で大ヒットしたSF映画に出てくる液体金属の敵である。

「もう止めてーーー! これ以上耐えられないわ!!」
 ガスターはよほど辛かったのか、己の両耳を両手で塞ぎしゃがみ込む。どんな拷問を受けたのかと身構えていたが、予想外の映像内容にポカンと見ていた茉莉は、ガスターの悲痛な叫びにハッと我に返った。
「確かに色んな意味で大変だったね。よく耐えたね、偉いねガスターさん」
「茉莉ちゃん……」
 優しく背を撫でてくれる茉莉にガスターは涙目で縋りついた。茉莉はガスターをあやしながら武田を見上げた。
「この実験って、“魔法の水”を探すためにしていたんですよね?」
「おや、そんなことまで知っているんですか。そうですね、それさえ見つければ、こんな実験しなくても済みますよ」
「私達、魔法の水、見つけました」
「は?」
 サラッと告げた茉莉に、武田は間の抜けた声を漏らす。
「なんと! それはめでたい! 今日は津村さんの歓迎会とロボット達の帰還祝い、それに魔法の水発見祝いだー!」
「「「「「おーーーーー!!」」」」」
 茉莉を案内している最中、いつの間にやら姿を消していた大二郎が、浮かれたパーティーグッズを身にまとい現れた。彼がクラッカーを盛大にならすと、どこからか同じような浮かれた格好をした研究者達がワラワラと集結し、テーブルやら御馳走やら飲み物やらを手際よくセッティングしていった。あっという間にメインルームは華やかなパーティー会場へと変じ、我も我もとやってきた研究者達でごった返す。
「今日は無礼講だぞ武田君!」
「ボスはいつも無礼ですよね」
「こんな時も辛辣!」
 そう言うもハハハと笑いながら武田の肩を叩く大二郎。武田もハァと諦めの溜息を一つ吐き、呆気にとられている茉莉に視線を向けた。
「とまあ、こんな感じで訳の分からないところですが、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 フッと疲れたように微笑んだ武田に、茉莉は背筋を正してペコリとお辞儀をした。どんなに酷いところなのかと警戒していたが、存外悪くないのではと思いながら。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み