ペンタクルのエースは逃亡中
文字数 2,215文字
いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。
庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。
山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。
それに加えて、時に不思議な光景に遭遇する場所でもあるのです。
さて、今回、物語収穫人である私、佐藤美月が遭遇致しました不思議な光景は、こちらです。
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会社で仕事を終え、帰宅しようとした時のことです。
時刻は午後九時を幾らか過ぎていました。
辺りは夜の帳にすっぽりと包み込まれ、数種類の虫の鳴き声が、小さな楽団の演奏会のように響いていました。
いつものように駐車場まで歩いていき、愛車のルノーに乗り込もうとしました。
その時、東の空に、タツノオトシゴのような形をした、白銀色に妖しく光る雲が現れたのです。
全天は墨色に覆われていたので、ぽつんと現れたそれは、異様な存在感を放っていました。
てっきりその光る雲の裏側には、光源である月が隠れているのだろうと思っていましたが、どうやらそういうわけではなさそうでした。
それと言うのも、その光る雲が忍者のように姿を消した後、そこには墨色の夜空だけが残っていたからです。
雲自らが光を発するということが、果たしてあるのでしょうか。
狐につままれたような感じでしたが、とにかく愛車に乗り込み、一路自宅を目指しました。
すると、その道中でも、玉髄のような形をした白銀色に妖しく輝く雲が、再び出没したのです。
その雲は右手に見えるのですが、私はそちらをちらちらと見やりながら、運転を続けました。
妙に気になるのです。
そうこうしているうちに、その白銀色の雲の中から、くっきりと金色に輝く満月が、姿を覗かせました。
まるで金貨のように明るく光り輝いています。
予想通りの月の出現に安堵した一方で、少し残念にも感じながら、よそ見を止めて、運転に集中しようとしました。
ところが、そう思ったのも束の間、その光景に目が釘付けになることが起こったのです。
光り輝く満月の中に、五芒星がみるみるうちに浮き上がってきたかと思うと、今度は白銀色の雲の中から巨大な手が伸びてきて、満月をその掌の上に乗せたのです。
そうしてそのまま、玉髄のような形をした雲の中に、ゆっくりと戻っていきました。
それは、まるで珍妙な姿形をした怪物が、長い舌を伸ばして、獲物を絡め捕っていったかのようでした。
不意に起きた奇っ怪な出来事に呑み込まれ、唖然としてしまい、どこをどう運転して帰ったのか、全く覚えていません。
気が付いたら、自宅の庭先に辿り着いていました。
そんなことに遭遇してしまうと、自分が誰であるのか、分からなくなってくるものです。
人間というものは、蓄積された記憶によって自分自身を形作っているところがありますので、記憶の中に疑わしい部分がある場合、それだけ自分というものを把握出来なくなってくるわけです。
まるで迷子になった幼子のように、心許ない気持ちになりました。
それでも玄関に入り、灯りを点けると、漸く人心地がつきました。
何年も前から靴箱の上に飾ってある対の麒麟の置物が、いつものように出迎えてくれたからです。
ここは間違いなく、私の家のようでした。
ところが、続いて居間の灯りを点けた途端、私の背筋は凍り付きました。
朝には片付けて出掛けた筈のテーブルの上に、タロットのカードが散乱していたからです。
反射的に、泥棒が侵入した可能性を考えました。
すぐさま貴重品を幾つか確認してみましたが、盗まれた形跡はありませんでした。
記憶というのは不確かなものです。
もしかしたら、自分で出しっ放しにしたのかも知れません。
私は気を取り直し、散らかったタロットカードを取りまとめようとしました。
その時、一枚だけ、絵札が白いカードが目に付きました。
不審に思って調べてみると、ペンタクルのエースの絵柄が見当たりません。
それに気付いた時、私ははっとしました。
車中から目撃した光景は、正にペンタクルのエースの絵札を表したものでした。
何が気に入らなかったのか分かりませんが、それらはどうやら逃亡を図ったようでした。
そこで、あなたにお願いがあるのです。
今後、どこかで逃亡中のペンタクルのエースの絵柄を見掛けたら、私の許まで連絡して頂けないでしょうか。
タロットカードは、七十八枚の全てのカードが揃ってこそ、一つの世界を構築出来るのです。
そのうちのどれか一枚でも欠けてしまえば、世界の均衡と調和が崩れてしまいます。
タロットカードの世界が崩壊してしまう前に、取り戻さなくてはいけないのです。
どうかよろしくお願い致します。
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*参考書籍『はじめてでもよくわかるタロット占い入門』森村あこ監修
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