文月(四)両家食事会

文字数 2,644文字

 政興とのディナーを楽しんだ由紀子は、また日を置かずに食事会に出席することになった。今度は、直樹との婚約祝を兼ねた水沢家と真中家の親睦会だった。
 場所は二駅ほど先のターミナル駅の近くにある、ホテルのレストランの個室。セミフォーマルの装いで集まった家族の中には、驚いたことに、浩一の身重の妻、多恵の姿もあった。
「お兄さん、お義姉さんまで来てもらえるとは思わなかった。うれしいわ」
 浩一と二人だけになった時、由紀子が小声で囁いた。
「あれからすっかり気持ちを切り替えることができたよ。今では多恵の家族も、自分の家族と思えるようになったしな。そうしたら、多恵の方から今日は行くって言ってくれたんだ。体調もよくなったし」
 そして、もっと驚いたことに、美沙子は黒木を同伴してきた。何もこの席で内縁関係を公にすることはないのではないか、と由紀子は正直違和感を覚えた。
 
 全員が顔を揃えたところで、会が始まった。
「ええ、今日はみんな、直樹君と由紀子の婚約を祝いに集ってくれてありがとう。内々ということで、楽しく食べて語らいましょう。
 初顔合わせの人もいるようなので、軽く自己紹介でもしましょうか。
 では、頭数の多い私どもの方から始めさせてもらいます。由紀子の父、真中和孝です」
「由紀子の母、保子です。よろしくお願いします」
「由紀子の兄の浩一です」
「妻の多恵です。由紀子ちゃん、よかったわね」
「由紀子です。今日はみなさんありがとうございます」
「妹の早紀子です。よろしくです」
 一呼吸置いて、直樹が立ち上がった。
「水沢直樹です、今日はみなさん、私たちのためにお集まりいただきありがとうございます。由紀子さんのご家族と、僕の身内とのお付き合いが始まるという大切な日を迎えられて、とてもうれしく思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「直樹の母、美沙子です。由紀子さんという大変すばらしいお嬢さんとご縁が結ばれたこと、とても喜んでおります。そして、ここにいるみなさまとご親戚になるということで、今日は、お知らせさせていただきたいことがございます」
 一同は、えっ、という表情で美沙子の方を注目した。
「二人の婚約が整いましたので、こちらの黒木さんと私は、事実婚という形をとることにいたしました。
 私どものことは、先日、由紀子さんにお話しいたしましたが、その時はまだどのような形をとるか決めていませんでした。
 由紀子さん、そういうことで直樹はひとりになりますので、直樹のこと、よろしくお願いします」
 思いもよらぬ挨拶に、微妙な空気が流れたその時だった。
「おめでとうございま~す!」
 早紀子が拍手をしたので、つられるようにみんなも拍手をした。そして、それにこたえるように黒木が立ち上がった。
「みなさまありがとうございます、そして、直樹君、由紀子さん、おめでとうございます。
 私は黒木譲二と申します。由紀子さんとは以前一度お目にかかり、大変素敵なお嬢さんで、直樹君とはとてもお似合いだと感じました。
 また、私事で恐縮ですが、ただいま美沙子さんが話された通り、これからの人生を美沙子さんとともに歩むことにいたしました。
 直樹君と由紀子さんが主役の席をお借りして、このような報告をさせていただくのは大変厚かましいことかと思いますが、どうぞご理解いただき、これから、皆さまのお仲間に入れていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」
 黒木はそう言うと、頭を下げた。
「さあ、堅苦しい挨拶はこれくらいにして、食事にするとしましょうか」
 和孝の音頭で祝宴が始まった。
 お酒がまわってくると、堅かった場の空気も次第に和やかになり、あちこちで笑い声が起こるようになった。
 
「お姉さん、黒木さんて、名前は忘れたけどよく見る俳優に似ていると思わない?」
「名前を言ってくれなきゃわからないわ」
「だから、思い出せないのよ、とにかく、ロマンスグレーの素敵な俳優よ。黒木さん、歳は幾つくらいなのかしらね?」
「さあ、直樹さんのお母さんより少し上だとして、ウチのお父さんくらいじゃないかしら」
「ふ~ん。ずいぶんと違うもんだわね~」
「だって直樹さんのお母さんのお相手ですもの」
「あら、私たちって、ずいぶんと自分の親たちに失礼なこと言っているんじゃない?」
「たしかに」
 
「由紀子ちゃんおめでとう。やさしそうで素敵なフィアンセね」
「お義姉さんありがとう。お腹の赤ちゃんは順調なんでしょ?」
「ええ、もう安定期に入ったから、こうして出歩けて楽しいわ」
「三人目という余裕なんでしょうね」
「上の二人がまだ小さいし、大変には大変だけど、パパが最近協力的で、戦力になってくれて助かってるのよ」
「それはよかった、兄も三人のパパになるんですもの、張り切っているんですね」
「ところで、由紀子ちゃん、ずいぶんと素敵なお舅さんね。あの俳優に似てない? なんて言ったかしら、あの素敵な人」
「早紀子もそんなことを言ってましたよ。誰かしら?」
「うちの父と同じくらいの年齢なんでしょうけど、とてもそうは見えないわ」
「それも、早紀子が言ってました」
「まあ」
 
 和やかな食事会が二時間ほど続いた。
 最初、会場の入り口で黒木の姿を見た時は、この場には異質ではないかと感じた由紀子だった。しかし、今ではすっかり周囲に溶け込んでいる黒木と美沙子の二人の様子に、内縁関係の相手をどうしてこの場に? と思った最初の疑問は消えていた。むしろ、堂々と黒木との事実婚を伝える美沙子の凛とした美しさに、由紀子は感動すら覚えた。
 多恵や早紀子たち女性陣は、黒木の方に関心がいっていたようだが、由紀子は美沙子に憧れに似た感情を抱いた。
 そして、思い浮かんだのは、舅を尊敬していたからその娘を、という政興のことだった。美沙子より先に直樹を好きになれてよかった……ばかげたことかもしれないが、もし、美沙子の息子だから直樹を、などということになっていたら……そう思うとぞっとする由紀子だった。伯父と自分は似ているところがあるので、あり得ないことでもない気がしたからだ。
 
 ここにいる人たちは、みな心から信頼できる人ばかりだ。この人たちに祝ってもらえれば、もうそれでいい。いや、まだ大切な人がいた。そうだ、金沢の祖父母だ。早く、この幸せを報告しに行かなければ、と由紀子は思った。

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