第2話  五月 

文字数 1,180文字

五月は好きだ。
いつが好きって、あの暮れない夕方が好き。

ぼんやりと明るい夕暮れ時、ふらふらと歩きたくなる。
桜の季節もいいが、青葉のこの時期は、なんとなく体から心がふわふわと抜け出してあたしの前を飛んでいるようで、それを追いかけながら、人込みに紛れて遠回りをして帰ったりする。
輪郭がぼんやりと滲んだ柔らかな月が空にあったらもっといい。冬の孤高の青い月もいいが、この時期の朧な優しい月が好きだ。

陸のことを考えながら、穏やかな気持ちで月を眺めることが出来るようになって、少し楽になったと思う。そしてやっぱり時が過ぎたのだと思う。

月に棲む陸は年を取らない。だからいつまでも24歳のままだ。

ただあの世界が本当は冷たい、寂しい死の世界だって事を思うと遣り切れない。
私の中のもう一人の私がクールに言う。
それなら、違う場所に住まわせればって。
月でひとりは寂しいし、何しろあそこは寒過ぎると思うよって。

こいつは一体何者だっていつも思う。いっそのこと名前でも付けようか。私の脳内秘書。むしろ私が秘書か。樹‘ ダッシュ。
「それじゃどこにしますかね。」
私はダッシュに尋ねる。
空は広すぎて、星は遠すぎて、風は頼りなさ過ぎる。
鳥は?鳥か・・・。

白い鳥が、青い空に吸い込まれるように飛び去ったのを見た。昔、病室の窓から。

胸が痛くなって、涙が止まらなかった。私の中にどんなにたくさんの水分があったのだろうと思う位、泣いて、泣いて、泣き続けた。
あの鳥は陸じゃない。分かっている。


 あの白い鳥を思い出すと今でもやばい。
すっかり固くなった何かの塊が喉から鳩尾あたりにぐうんと沈んでいく。
あの時の自分の声がよみがえり、あの青過ぎる空と小さな白い鳥が目の前に浮かんでくる。
涙が浮かんできて鼓動が速くなり、私は道路の端にスマホをチェックする振りをして、立ち止まる。


「いい加減、もう気持ち切り変えたら?」
茂木ちゃんの言葉が蘇る。
「もう4年も前の話だし。陸はいくら待っても帰ってこないから。」
うんうんと頷きながら秘書も一緒になって言う。
「三回忌も終わったし」

昔、鳥は魂を運ぶと思われていた。いや、鳥自体が亡くなった人達の霊なのかもって何かの本に書いてあって、ああ、私と同じように空を見上げてうんと泣いた人がいたんだろうなって、その時思った。

私と秘書はあれこれと陸の棲む適切な場所を考える。
暖かくて、寂しくなくて、私がいつも陸を見つけられる所。

そしてそんな場所を真剣に考えながら、混雑する駅までの道を歩いている自分に気付いて、心の中で苦笑する。
ホント、馬鹿みたい。
私は月を見上げて小さなため息をついた。
だからさ、優しい朧な光で私を騙してくれないかな。
陸は暖かい場所で私を見ているって。
私を待っているって。寂しくないって。

初夏の優しい風がふわりと木の葉を揺らす。
長い黄昏時が終わりいつもと変わらない夜がやって来る。

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