十八・ 発明家: 土岐真扉(とき・まさと)の救済。
文字数 1,345文字
パペル社『もしも寮』の子どもで、相次ぐ災害のうちに親を亡くしてとりあえず美味賜社長の仮養子の扱いとなり。孤児優先枠で『3PS』に運ばれた初期の数十人のうちの一人が土岐真扉(とき・まさと)であった。
彼は『3PS』内に設けられた新設『宇宙大学』を驚異的な速さでステップ進級して最初の卒業生となり。彼のためだけに(と誇大宣伝された)大学院が急いで開設された。という伝説が今も残る。
十代前半のうちから『 騎士世 彼方 』(きしよ・かなた)の名でSF同人活動に乱入して先達の大人たちから大いに可愛がられて引き立てられ、幅広い人脈を築く基盤となったというエピソードも、世に知られた話だが。
高校在学中からは家電や新素材の工夫発明家としても名を馳せ、旧パペル社系の若手人材と資金を引き継ぐ形で『銀河映遊 電設 』と称し学生起業したのが十七歳の時。
当初のヒット作は『NEO・CHEESE』(寝落ち椅子)など中型家電製品が主体であったが。
そもそもそれらを商品化して販路を開拓するための最初の立ち上げ資金は、『カコ母さん』から毎月『発明用の資材を買うのに使いなさい』と振りこまれていた『普通より少しばかり多めのお小遣い』を『こつこつ貯めておいて』だったという話。
やがて宇宙デブリに強い外郭構造の宇宙船舶や月面居住基地を安価かつ簡易に大量に製造可能とする『ニット工法』と『ジップアップ工法』の二種を相次いで発表し、巨額の特許料を手中に収めた。
そこからが、『第二次ネビュラ・ファンド』と誤解されているフシもあるが本質的には土岐真扉個人の発願による『地球上全生命救済サルベージ計画』快進撃の始まりだった。
『ニット工法』で月面にどんどん居住基地を建てては売り。
『ジップ工法』で軌道上に次々と居住基地を建てては売り。
新造船舶群を投入して基地間に定期航路を開設して船賃を徴収し。
潤沢な資金を次々と巧みに回転させて、
巨額の富を得て。
次には。
「自力で宇宙移住する経済力がなく、もはや締めきられた地下居住空間にも入れずに。
あてもなく地表をさまよっている、とりのこされた困窮生命たちをすべて。無償で。」
『 宇宙に御招待する! 』という計画案を…
呼びかけた。
後追い承認ではあるが、FIFSもパペルも豪田行も、その他の著名人も既存のNGO群も。
全面的に賛同支援した。
そこからは、確かに『第二次ネビュラ』現象と言っても良かった。
大量生産で急ピッチに簡易輸送船と安価だが安全な居住基地が作られ。
地球上各地から、とにかく大量の生存者が(無償で)宇宙に運ばれた。
数十万人単位で打ち止めになるかと思われていた宇宙居住者人口が、
いっきに百万人単位にまで、増えた。
「とりあえず、人類保全のための『遺伝的多様性』は担保できたよね?」
というのが、本人一番の喜びポイントだったらしいが。
月軌道上『L1』ポイントに位置する『3PS』と、『L4』ポイントの『月2』。
この二つの主要塞を中心に、人類居住基地は「連なる真珠の首飾りのように」
煌めいて、宇宙を賑わした。
宇宙開拓黄金時代の始まり。と、人々は賞揚し、奮起して辺境に挑んだ。