女神
文字数 5,716文字
「………………」
道の真ん中に、緑色の巨大なカエルが仰向けにひっくり返って、大の字になって死んでいた。四足をべたりと伸ばして白い腹を見せ、口から長い舌をだらしなく垂らし、何かに踏み潰されのか、破裂した下半身からは、ぐちょぐちょに溢れたピンク色の内臓が四散していた。
「うげぇっ…………。これ、アニメ化されたら全部モザイクか? いや地上波は無理でもDVDなら……」
なんとなく現実逃避の言葉をぼやきながら、俺は大きく溜息をついた。
玄関を閉めて、三つ数えたら消えていないだろうか? もう、朝から全部やり直したい。こうなっては、今日一日、どんなに頑張ってもバッドエンドが確実な気分である。
おそらくは道路の少し先にある、ため池から這い出てきたカエルが、哀れにも車かトラックに轢かれてしまったのだろうか。しかしこれほど大きなカエルは見たことない……。食用カエルをさらに2回り大きくしたくらい、あるんじゃないだろうか。撒き散らした内臓のグロさも、頭が痛くなるほどの勢いだ。
そこへ、一台の車が通りかかった。運転席を見ると、通勤途中のサラリーマンがカエルの死体を凝視しながら、引きつった顔で運転している。車がカエルの上をさしかかると、最悪の事態を想像して、思わず目をそむけてしまった。だが、なんとか車は、うまくカエルをまたいで走り去った。
俺は無事(?)だったカエルの死体を見て、思わず、ほっと一息ついた。これ以上、内臓を公道に散乱させるのは、あまり気分のいいものではないだろう。俺にとっても運転手にとっても。なにより、もうすぐ通学途中の小学生が家の前を通るはずだ。小学生の心に朝からトラウマを作るのは、……ちょっと避けたい事態だよな。肩を落として、また一つ溜息をつく。
やれやれ……。しかたなしに、家の裏にまわって、物置の中からシャベルを引っ張り出すことにした。本物の死体でも埋められそうな、大きな工事用のシャベルだ。
いつ買ったのか、かなり錆びの入ったシャベルを引きずって、ゆっくりとカエルの死体へと近づく。泥くさい、なんとも言えない臭いが鼻につく。
しかし、よくよく見ると、とにかく巨大なカエルだ。見た感じ背中は緑色で、アマガエルかトノサマカエルに似ているが、大きさは30センチ以上はあるんじゃないだろうか? きっと外来種ってやつだろう。日本には元々いなくて、ペットとして持ち込まれて野生化したってたぐいだろうか。まったく、いったい何を食ってたら、こんなに大きくなるんだか? カブトムシとかでも一口で食ってしまえそうだ。
「きっと名のあるカエルであろう。なむなむ」
俺はシャベルをカエルの下に差し込むと、両手で、ずいっと押し込んで持ち上げた。
「うわっ、おっ重っ」
想像よりもかなり重い。両手でも力を入れてないと持ちきれないくらいだ。いったい何キロあるのだろうか。かろうじてシャベルいっぱいにカエルの死体は乗っかり、多少、ピンク色の何かがダラダラと空中にぶら下がっていたり、地面を引き摺ってはいたが……。まぁ問題はないだろう。
俺はカエルを乗せたシャベルを抱えながら、ゆっくりと道路を渡って、向かい側にある小さな池へと歩み寄る。池は昔からあるらしい農業用のため池で、向こう岸まで50mほどの小さな池だ。田んぼが続く中にぽつんとあって、水はいつも不気味によどみ、長く堆積した泥で、底なし沼と呼ばれる事も少なくない。このカエルはおそらく、ここから這い出したんだろう。
俺は草の茂っている1mほどの堤防を上がって、池の淵までくると「せーの」と、掛け声と同時にシャベルを大きく振り回し、「どりゃぁーーーー」と、思いっきり遠くに放りなげた。シャベルから飛び出したカエルは、ピンク色の名伏しがたき物を、彗星のように引きずりながら放物線を描き…………。
どぉぼっっぉぉぉぉぉん
と、巨大な波しぶきを上げて、池の中へと消えていった。
カエルの沈んだ後には巨大な波紋と共に、いくつかの小さな泡がプクプクと浮いては消えていった。
「ふぅーー」
俺は、また大きなため息を一つついて、ちゃぷちゃぷと打ち寄せる波を感慨深く見てたが…………、今見たことは無かった事にしようと、心の中でつぶやいた。
それからシャベルの先を池に突っ込み、ジャブジャブと洗いながら、さっさと立ち去ろうと思ったその時だ。
小さな泡が次第に増えていって、いつの間にか巨大な泡でいっぱいになっていた。
さらには池の水がザワザワと波打つと、いきなり小さな渦を巻いて、その中心が竜巻のようにまいあがった。あっという間に竜巻は3mほども水を巻き上がると、その先端から一気に弾けとんだ。
「ジャァーーーーーーン! 我こそは沼の女神!!」
竜巻の中からギリシャ風の白いローブを着た、やけに陽気なお姉さんが現れて、両手を広げて、にこやかに池の真ん中に立っていた。
ドシャ―――!!
少し遅れて沼の水が土砂降りのように降り注いだ。沼の泥くさい水が、余すところなく俺をずぶ濡れにする。
ジャバジャバジャバジャバ…………。
「………………」
「ふっふーーん、驚いた?」
自称女神は得意げに微笑んだ。
「はっ、はぁ、驚きました」
……て言うよりびしょ濡れで、……臭い。
だが、さらに驚愕したのは、そのギリシャチックなお姉さんが、テレビのタレントを遥かに上回るような超美人だからではない。また、池の上で何故か空中に浮かんでいる事でもない。問題は、その手にもっている不穏なものだ。右手には金色に輝く巨大なカエル。しかし下半身は破裂して、内臓がブラブラとぶら下がっている。ご丁寧に内臓まで金ピカだ。突然、金のカエルは、うつろな目でゲコと鳴いた。
――いっ生きて嫌がるっ!!! あまりの不気味さに慄然とする。
同じく左手には銀色の巨大なカエル。やはり内臓がはみ出して、悪趣味な宇宙人の創作物のように銀色に光ってブラブラと揺れていた。やはり、じっと俺を見るとゲコゲコと鳴く。
俺は猛烈に嫌な予感がした。超常現象にはいろいろあるだろうが、これは間違いなく悪い現象だ。悪い事が起こる。いやだ。関わってはいけない。最大限、全力をもって回避すべきだ。ゴーストが囁くまでもない、逃げなければ!
「ふっふーん、少年よ。お前が落としたのはこの金のカエルか? それともこの銀のカエルか?」
自称、沼の女神は、両の手のカエルを誇らしげに持ち上げた。
「ひぃぃぃっ」
予感が的中した。内臓がはみ出したこの不気味な金ピカのカエルを、この自称女神は押し付けるつもりに違いない。
「いっいや、どっちでも、ありません」
そう言って、ブルブルと首を振る。
「なっ、なんと、正直なっ! そんな正直な少年にはっ!!!」
しまった! 俺はもしかして最悪の回答をしてしまったのではないだろうか?
「ちょっ、ちょっと待った!!! ちょっと待って、まっまさか……正直に答えたら、両方やろうって言うんじゃないでしょうね?」
「むっ、そっそうだが……」
自称女神は、先に答えを言われてちょっと残念そうな顔をした。
「えっ遠慮しますっ!!! 絶対遠慮します!!! えぇ!絶対いりません!!!」
「なっ、なんと、正直な上に、遠慮深いとはっ!! 遠慮など必要ない、喜んで受け取るがよいっ!!」
女神はずいっと両手のカエルを突き出した。
「いっ、いや、そんな不気味な! なっ、内臓ぐちゃぐちゃの物を、わっ渡されても」
俺は強く首を振った。
「なにっ、不気味? こんなに可愛いではないかっ!」
そう言って女神は金の蛙に頬をすりすりと擦りつけた。カエルは嬉しそうにゲコっと答えた。
「ないないないない…………」
俺はさらに、ぶるぶると首を振る。
「むぅぅ、これでは不満だと申すか?」
「「ゲコゲコっ」」二匹のカエルも不満げに鳴いた。
「しかたない。やはりオーソドックスが好みか? たしかにワビサビってのは大事じゃが、若いのに渋いのぉ・・・・・・うん。では元のカエルを……」
女神がそう言うと金と銀のカエルはふっと消えて、代わりに池がぽぉっと光る。すると水面から元の緑色をした巨大なカエルが現れた。カエルは空中に、すーーと浮かび上がると女神の手の中にゆっくり納まった。やはりピンク色の内臓はブラブラと女神の手元で揺れている。しかもなぜかカエルは生き返っていて、嬉しげにゲコゲコと鳴いている。
「いっ、いりません!!」
俺は両手を広げ前に突き出し、拒絶の体制をとる。
こっ、これはカエルのゾンビ? いやだ!! いやすぎる!! 不気味すぎる!!!
俺はさらに両手を激しく振って、拒絶する。
もう、いざとなったら、隙をみて、すぐにでも逃げ出す覚悟だ。
「むぅ、正直ものには、何か褒美をやらねばならないのじゃがのぉ~」
女神は困ったような顔をして、やさしくカエルの頭を撫ぜた。
ゲコゲコと頷くようにカエルが鳴いた。
「なっ、なら現金で結構です」
俺は即答するが。
「それはダメじゃっ」
と女神も即答した。
「そおっすか……」
「池にカエルを落としたのだから、カエルを貰うのが決まりじゃっ」
そう言って女神はぐちゃぐちゃのカエルを消すと、両手を池にかざした。ぶくぶくと今度は池の中から、陶器でできた巨大なカエルの置物を取り出した。釉薬が茶色にテカテカ光って、見事にカエルのイボイボ感を表している。今にもいろんな油がにじみ出てきそうな臨場感である。おそらくは天下の名工の作であろう。ただし、大きさが軽自動車ほどもある。
「おっ、置くところがないっす」
「むむっ。ふーむ、ならもっと小さい物を……」
巨大なカエルの陶器がふっと消えると、今度は池からずいぶん小さい物が現れた。ちょっと大きめのガマグチの財布くらいの…………ガマグチの財布だった。しかも、作りが異常にリアルだ。ガマガエルのグニョグニョ感が忠実に再現されている。触ったらカエルのヌルヌル感も実感できそうなくらいだ。一体どんな技術が使われているのか分からないが、ハリウッドの特殊メイクも、かくありなんやと言うリアルさだ。
「どうじゃっ、きもかわじゃろっ、きもかわっ!!! 傑作じゃっ」
女神は自身たっぷりにガマ口を両手に持つと嬉しげに、ぐいっと差し出した。
「いっ、いや、それを使えと……」
「うむ、天才と呼ばれる職人が丹精込めて作った、またとない一品じゃ」
「…………」
「気に入らんか?」
「は、はぁ」
女神は、フーと困ったように溜息をつくと
「なら、どう言うのがいいのじゃ?」と訊いた。
「いや、いらないんですけど。なにも……」
「ダメじゃ」
女神は冷たく首を振った。
これって恩返しとか褒美とかじゃなくて、むしろトラップなんじゃ……?
「えー、なっ、なら、そんなリアルな物より、もっとデフォルメした、可愛い感じの方が…………」
「ふむっ。可愛い感じか? 可愛いのぉ……」
女神が手をかざすと次にでてきたのは、カエルの形をした緑色のマントの様なものが現れた。よく見ると、どうやらカエル形のカッパのようだ。
「これならどうじゃっ、かわいいぞっ、似合うぞっ」
女神はてへへへと楽しげに笑うと、さっと自分の体に纏って見せた。それからくるりとターンして二コリと笑った。
「どっ、どうだ? にっ似合うか?」
ギリシャ風の女神に、緑色のカエルのカッパ。微妙と言うか、なんとも言えない。
「はっ、はぁ。……けど、それを俺に着ろと?」
「うむ、学校で人気者間違いなしじゃっ」
人気者ってのは、ちょっと惹かれるが、これを着ていては到底無理だろう。
「えっ、遠慮します」
「むむっ、いいと思ったんだがなー、何が不満だ? やはり可愛すぎたか? もう少しリアルなのがいいか?」
「いっいや、可愛い方が好みですけど、俺ってカッパより傘派なんで、はははははははは」
「ぬぅ。傘か・・・・・・。傘はないのぉ。だが方向性はあっていたんだなっ」
「えっ、えぇぇぇ……」
俺はしぶしぶ、うなづく。
「よしっ、これならどうだっ!」
女神が手をかざすとカッパの次は、ちょうど手袋のような形をしたカエルの人形が出てきた。少し前にはやっていたウシとカエルのパペットによく似ている。ちゃんとデフォルメされていて、なかなか可愛い。これだったら小学生の従姉妹に見せたらきっと喜びそうだ。パペットネタをやってもいい。
やっと笑みの戻った俺の顔を見て、女神は
「ほぅ、気に入ったか、ならばこれをやろう」
「あっ、ありがとうございます」
「気に入ったのなら、それがそちの運命の縁(えにし)じゃ。これから苦しい戦いになるであろうが、頑張るがよいっ。では、さらばじゃぁ」
「苦しい戦い?」
「じゃっじゃっ、じゃーーーん」
女神が突然、一人何かを叫ぶと、一陣の風が池を吹きぬけた。
思わず目を閉じた俺が、再び目蓋を開けたときには、さっきあった事が全てウソのように池は元の静けさを取り戻していた。
「夢だった?」
だがいつの間にやら、俺の手には、さっき女神がくれると言っていたカエルのパペットが残っている。
「夢じゃない……?」
呆然と手元に残ったパペットを見てみる。
カエルのパペットは緑色の背中に白い腹。何故か緑の背中には可愛らしいデフォルメされた小さな羽があり、大きな赤い口には小さな舌が見えている。
……まぁこれならいいか。
試しにパペットを左手にはめてみて、パクパクとやってみた。
「これはアマガエルかな?」
「アマガエルではない。よく似てはいるが、私は大奄美蛙(おおあまみかえる)だなっ!」
「…………」
俺ではない、カエルのパペットが勝手に喋ったのだ。
だいたい、あの変な自称女神がくれるようなものが、普通だと考えている方が甘かった。どんよりとした気分で、俺はじっとカエルのパペット見つめる。
「よろしくなっ相棒。私の事は、大奄美蛙だからアマミ-と呼んでくれっ」
カエルのパペットは俺の意思とは別に、勝手に自己紹介した。