霧中

文字数 1,080文字

 グラスをぶつけ合う音や、にぎやかな笑い声。
「こっち、ビール追加ねー!」
「はーい」
「おにーさん、オーダー!えっとねぇ」
 受けた注文を胸で繰り返してから、厨房に怒鳴った。
「3卓、生中三つ。5卓、焼き鳥盛り合わせとシャキシャキサラダ」
「あいよ!」
 威勢のいい返事とともに、厨房から叔父さんの顔がのぞく。
(わたる)、今日はもういいぞ」
「いえ、ラストまでいます。今日、すごい混んでるから」
「ここじゃ大将って呼べって」
 すっかり「大将」が板についている叔父さんは、元商社マンと聞いてもピンとこない。
 バリバリ仕事をしていたのに、奥さんの実家の居酒屋が傾きかけていると知ったとたんに、未練もなく転職を決めたそうだ。

 高校卒業してからは、「居酒屋の手伝い」という身分で住まわせてもらっている。
 「家族と同様に」と叔父さんは言ってくれるけど、そういうわけにはいかない。
 食費分くらいは働かないと。

 (まかな)いの昼ご飯を食べ終えた、ふたりのパートさんがお茶を()れている。
(わたる)ちゃんも、お饅頭食べない?」
「あとで、いただきます。ありがとうございます」
「おなかいっぱい?」
「はい」
「ああ、そんなのこっちで洗うわよ」
「いえ、ついでなんで」
 パートさんの食器も片付けながら、ぺこりと頭を下げた。

 食器を洗う水音にまぎれて、パートさんたちの話し声が切れ切れに聞こえてくる。
 子育てや、夫へのちょっとした愚痴。面白かったこと。休みの予定。
 パートさんたちの笑顔からは、温かい家庭が透けて見えるようだ。
 別にうらやましくはない。
 だって、別世界のことだから。

「もう食べ終わったのか?」
 商店会に呼ばれていた叔父さんが、戻ってきた。
「オレの分は自分でやるから、少し休め」
「大丈夫。若いから」
 ふざけて笑ってみたけど、上手くいかなかったらしい。
 微妙な顔をする叔父さんに、(まかな)いが乗ったトレイを指さした。
「早く食べちゃって。今日、二組も予約が入ってるよ」
「わかった、わかった。……(わたる)
 顔を上げると、怖いくらい真剣な顔をした叔父さんと目が合う。
「あのこと、ちゃんと考えておいてくれよ」
 な、と念押しをして、叔父さんは姿を消した。

 洗い物が終わったら、個室の掃除をしよう。
 それが終わったら、食材の在庫確認をして……。
 耳にこびりついた

を忘れたくて、これからやる仕事のことだけを考えた。

「そろそろ、

進路を決めような」
 今まで、何度か冗談交じりに言われてきたけれど、昨夜の叔父さんは目が本気だった。

 だけど、叔父さん。
 進む道なんか、わかんないよ。
 ここにいちゃいけないの?
 ここも、追い出されるの?
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