思わぬつむじ風に、揺らぐサクラは……

文字数 3,755文字

第六話 捻じ曲がる真実
 ここはどこだ。戦前の日本、田舎の風景。田圃に畦道、家の前の庭でも自給の野菜、穀物を植えている。遠くには低い丘がみえる。
 うーん、しかしよーく見ると変だ。田圃のあちこちに大穴があいている。また、空には白煙が拡がる。
 ブーン、ブォー 
 飛行機のプロペラ音だ。両親に戦時下での空襲の惨事はよく聞かされていた。米軍B-29戦略爆撃機。絨毯爆撃がはじまった。無差別の殺戮行為。轟く破裂音。

 ドーン ドーン
 すると裸足、半ズボン、上半身裸の少年が何やら引きずって来る。相当に重いようだ。よく見ると引きずっているものは人間だが、腰から下がちぎれて無い。臓物を落しながらも必死に髪の毛を握って家に引っ張る。亡骸の眼(まなこ)は見開き、一瞬何が起こったのかが理解出来ていない面持ち。おそらく砲弾の直撃を受けての即死だ。
 家では母親らしき女性が泣きわめいている。どうやら少年の父親のようだ。少女も家から出て来た。死体を見て呆然としている。頭上にはUH-1ヘリコプターが低空で旋回し、爆撃後の生存者に向って機銃掃射する。
 危ない! 栄作は必死に叫ぶ。三人は父親の遺体を放置し防空壕替わりの縦穴にすべり込み鉄板で穴を塞ぐ。間一髪、ヘリはすり抜けて行った。
 彼らはどこからどう見ても民間人。ベトコンではない。なのになぜ??

 小林栄作はようやくいたたまれない夢から逃れることが出来た。パジャマ替わりの肌着は汗で皮膚にへばりついていた。敷布団まで濡れている。肌着を脱ぎ捨て、タバコを咥えた。
 大きく溜息をつく。しばらくは布団の上で胡坐をかき茫然とする。項垂れて、汗で重くなった長髪が顔を覆う。柱時計は朝八時を回っていた。九時には捜査会議が開かれることになっていた。
 栄作はようやく身支度を整えはじめる。身体が重たく、なかなか言うことを聞いてくれない。時計は五十分を廻っている。同じ建物内でも会議室までは五分はかかる。五分前には所定の位置にが大原則の世界。とにかく急いで部屋のドアを開ける。
 出て行った部屋の壁には、沙也加から貰った子供の絵が画鋲で止められていた。

 さて、その日は〇大潜入捜査官の全体会議が行われる。二十名の捜査官が着席する。女性も二人居る。前方の黒板は最新の画像投影機器のための白幕に覆われている。第二公安捜査部第三、第四係を統括する園部審議官が口を開く。 
「諸君ご苦労である。新たな情報筋により、潜入捜査を大きくシフトチェンジする。我々が主に捜査していた革共連、青社連よりも遥かに社会に影響力のある人物が現れた。その情報筋では、いずれ〇大で大規模の動乱が行われると憶測している」
 審議官は投影技師に指示する。電気が消され、一枚の写真が白幕に映し出される。栄作は唖然とする。これは、
「赤井沙也加、〇大文学部二年、二十歳、現住所新宿区戸山〇×、本籍地長崎県壱岐郡〇×、一年ほど前から反戦プラカードを持ち、キャンパス内に出没。現在は首謀者として定期的に反戦集会を開き、……」
 しかも彼女の持つプラカードには、「ベトナム戦争を引き起こす米軍を糾弾、断固阻止!」と書かれていた。そんなはずは。
 また、他に二名の人物の写真も投影された。ひとりは女性で同じ寮に居住するベトナム人、ユン・アンバパーリー、外国籍により目下情報照会中。また三人目、羽田正孝、〇大文学部三年、蹴球部主将、居住地並びに本籍江東区深川〇×。解説は十分ほどで終了した。
「写真による解説は以上である。捜査会議に入る前になにか質問がある者は?」
 即座に栄作は手を挙げた。
「自分は、一週間前の捜査リストにより赤井沙也加に接触を試みました。その結果として彼女は革命の戦士とはほど遠く、プラカードにも、『ベトナム人民に平和を!』としか書かれていませんでした。大それた人物にはとても思えません」
「革命の戦士は、私は革命を起こします、なんて名札をぶら提げているのか?」
 それでみなが笑った。栄作はなおも喰らいつく。
「それに男、羽田は蹴球部主将であるということは全体連に所属してるはず。全体連が革命を推すなんてありえない」
 映像技師は一枚の写真を写し出した。それは集会で羽田がギターを演奏している場面。ご丁寧にカモフラージュの毛糸の帽子と伊達メガネを外した時のものだった。
「写真に偽りはない」
 園部審議官はそう断定し、
「では、今後の捜査方針を個別に指示する……」
 栄作は納得出来ない。何者かが意図的に捜査を捻じ曲げようとしている。翌々日の晩に情報収集技官をしている警察学校の同期生と新宿ゴールデン街で待ち合わせをした。
「悪いな。忙しいところ。内務規範違反だしな」
 この内務規定とは公安内部の人間はつるんで外で酒を飲むなというもの。情報漏洩を念頭に置いている。他にバーやクラブのホステスとの会話も禁止されている。女スパイや女を介在させた情報収集活動から身を護るもの。
 お世辞にも清潔、綺麗とは言い難い居酒屋のテーブルには、冷奴ともつ煮、ビールが並ぶ。習慣から食卓と椅子の下を手で触れる。盗聴マイクの有無を確認している。
「例の件、何か分かったかい?」
「ああ、一回貸しな。オレがヘマしたらフォロー頼むな」
「リョーカイでーす!」
「あれは米国大使館から、つまりCIAの情報だ。アメさん、世界からの非難潰しに躍起になっているからな。不都合な真実はぶっ潰ーす」
 CIAとは戦後鳴り物入りで米国政府に誕生したスパイ組織(諜報機関)のこと。
 同期はタダ酒だと思ってペースが速い。ビールをコップに立て続けにつぐ。
「でも、どうして彼女が」
「だな。そこはよく分からない。でも、アメさんのジェノサイドの証拠を握っているんじゃないかな……」
 栄作は、ベトナムの子供のクレヨン画を想い浮かべる。紛れもない集団殺戮の証拠になる。沙也加にはそれを入手する伝手があるのだ。

「……何処の誰だなんて関係ない。米国に楯突くヤツは許さない。お前も、首突っ込まない方が身のためだぞ。それとも、あーあ、彼女に惚れたってやつか、うん?」
 栄作が口ごもると、
「当たらずとも遠からずってか。とにかく用心しろよ! 諜報機関の連中は肌身は離さずM38(殺傷力を高めた拳銃)を持ってやがる。国家防衛のためなら殺人も難なくするぞ」

 実際の潜入捜査にあたっては、栄作は面が割れてるため、沙也加の監視は二人の女子捜査官があたる。栄作の担当は蹴球部の主将。
 手筈では、女子捜査官が思想に共感して集会に参加し監視活動を続ける。栄作は羽田正孝の行動を近くで見張る。いずれも相手が動乱に繋がるような極端な行動に出ればその場で捕縛する。
 女子捜査官は例のスロープに座って沙也加と話し込んでいる。順調そうだ。栄作の方は難航した。羽田の姿が見当たらない。授業にも出ていない。仕方なく蹴球部の部室前で待つことに。
 部員が次々と部室に集まって来る。練習が始まっても姿を見せないので部員のひとりに確認した。心理学科の同級生を装う。
「羽田を探しるんだけど、授業にも来ないんだ」
「ああ、キャプテンなら病院すよ。空手部の奴らにボコボコにされて」
 耳よりの情報だった。
「なんでまた?」
「全体連のもめ事じゃないすか。キャプテンは幹事ですから。詳しい事はよく分かりません」
 本当に事情は知らなそうだった。栄作は病院の名前だけ聞いて部室をあとに。直接病院には行けない。本当の同級生ではないから。
 栄作は駐車場に戻って車内で濃紺のスーツに着替える。ボサボサのロングヘアーもヘアーオイルで整える。黒い伊達メガネもつける。目的は空手部に刑事として事情聴取するためだ。暴行事件が起きたのは確か。でも所轄警察の情報はすべて報告されるようになっている。なので事件としては扱われていない。
 ホイヤー、ソリャー
 部室からは異様な声が響き渡る。栄作も有段者なので経験はある。
 警察手帳を片手に新宿署の刑事だと名乗ると、対応に出た部員は動揺した。こいつは事件に関与してるか、聞いているかのどちらかだ。
「逮捕はしない。被害届は出てないからな。でも、暴行事件はほってはおけない。話してくれるかい? 悪いようにはしない、オレも空手有段者だよ」
 栄作は右手の拳を見せた。指の関節付近にマメが肥大化している。空手部員はさらに緊張し姿勢を正す。よしいい子だ。
「押忍、先輩! 相手は全体連の幹事で、蹴球部の主将であります。理由は、全体連の代表のくせに反戦運動の組したからであります。オッス!」
 その辺の事情はよく理解できる。
「確かに蹴球部主将はギターを弾いていたな。それ以外になにか証拠はあるのか?」
「いえ、ありません。たまたま部員がこの前の異様に盛り上がった反戦集会で、ギター片手に英雄きどりのアイツを見たからであります」
 「ソンミ村虐殺」報道のあとの集会のことだ。栄作もその場に居た。♪「Let it be 」の大合唱でまるでコンサート会場のようだった。栄作もなぜか心を揺るがされた。何の意味もなく平穏な日常が、巨大国家権力によって突如として奪われる。在ってはならないことだ。住民は彼らの意思でそれまでの日常を送るべき。誰かが干渉してはならない。
 栄作は再び、いたたまれない夢の中に居た。
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