第一幕第六場
文字数 1,198文字
(淡々と)図書館は、いいですよ。本棚に、こう、きれいに並べられた背表紙をながめているだけで、何か豊かな気持ちになる。会社にいた頃は、ゆっくり行くひまもありませんでしたからね。長年の夢がやっとかなったわけです。それに、なんと言っても、エアコン完備でしょう。天国ですよ。体が、休まる。
――ええ、もちろん、夜は無理です、閉まってますから。だから昼間のうちに寝ておくんです。本棚の陰でね。
夜は環状線です。終電までずっと乗って、あとは深夜営業のファーストフードの店。百円で一品ね。朝になったら、公園。公園の水は無料[ただ]ですからね。ああ、たまにコインシャワーも浴びますよ。そうしないと屋根のある所には入れてもらえませんから。
帰る家がないというのは、やはり、不便ではありますね。
図書館の話でしたね。もちろん、本も読みましたよ。いつももたれている棚のところで、面白いのを見つけてね。イスという町をご存知ですか? フランスの、ブルターニュ地方のね。昔、一晩で水没したという、伝説の町なんですが。
その町は、今でも時々、海底から姿を現すというんです。
うろたえていると、とたんに町は揺らぎ、崩れ去り、あなたは一人、もとの浜辺に立っているんです。
この頃、道を歩いていると、何か、こう……、踏んでいるはずのアスファルトが、何メートルも下のほうにあるような感じがするんですよ。すれ違う人の顔が、遠くに見える。車の騒音も、遠くに聞こえる。足が、ゆっくりとしか、前に出せない。まるで、水の中にいるようなんです。
そう。
水の中です。
私だけじゃない。この町全体が。
(ふっと笑う)もののたとえですよ。そう考えると愉快じゃないですか。この町も、沈んでいるんです。誰も気づいていないだけなんだ。きっと、誰も空を見上げないからですよ。見上げれば、高層ビルの二十階、三十階のあたりに、水面が波打って光っているのが見えるはずです。
そして、気づいた人間だけが、溺れる。恐ろしさのあまり助けを求めて叫ぼうとすると、とたんに見えない水がどっと口の中に流れ込んできて、溺れる。気づかなければいいんだ、そうすれば、この国は美しい、平和だ、自由に息ができるなんて言っていられる。
自分たちがもう、死んでいるのも知らずにね。
ハツ、浮かび上がる。