五 神無月/野狐①

文字数 2,137文字

 九尾の狐の尻尾が伸びて(かなで)を襲う。守護霊が立ち尽くす奏の腕を引っ張ると、

「逃げるよ!」
「逃がすか!」

 野狐(やこ)の猛追にあってしまう。
 奏はなんとか九尾の尻尾から走って逃げていた。が、尻尾に気を取られ過ぎていた。気付いたときには眼前に野狐(やこ)の顔がある。奏がしまった、と思った時、

団扇(うちわ)をよこせ!」
「馬鹿者!」

 短い唸りを上げた野狐(やこ)と奏の間に守護霊の老婆が割って入る。そして老婆が何かを短く呟くと当たり一面が眩しい光に包まれた。

「こっちだよ」

 老婆は奏にだけ聞こえる声でそう言うと、奏はその声に導かれるように眩しい白の世界を進む。奏はその白の世界の中で扉らしきものを押して外へと出ると突然、文化祭の喧騒が戻ってきた。
 奏が振り返ると、そこには守護霊の姿も野狐(やこ)の姿もなかった。押し開いたはずの扉も存在しない。あるのは文化祭の賑やかさだけだった。
 奏はしばらく呆然とそこに立っていたが、はっと気付く。

 あずさが危ない。

 奏は手近な生徒へと声を掛けていた。

「バスケ部の出し物は終わったのかしら?」

 奏の焦りに気圧されながらも、その生徒はおずおずと答える。

「はい、ついさっき……」
「ちっ」

 奏は思わず舌打ちすると、体育館の方向へと人波を逆走する。通り過ぎる生徒たちは奏の行動に迷惑そうな視線を投げているが、今の奏にはそれに構っている余裕はなかった。

「あずさちゃん! いる?」

 奏は体育館へと入ると同時に叫ぶ。すると奥からあずさの声が聞こえてきた。

「いるよ~」

 その声を聞いた奏はほっと胸をなでおろす。

「着替えたら出てきて頂戴」

 奥へと声をかける奏に、声だけであずさは、はーい、と返事をした。

「奏、どうしたの~? そんなに慌てて」

 着替えたあずさがパタパタと奏に近寄ってくる。奏はどこか話が出来るところ、知らない? と聞くと、あずさがついてきて、と答えてどこかへと足を向ける。あずさが連れてきたのは人気(ひとけ)の全く無い屋上だった。

「そんなに血相変えて、どうしたの? 奏」

 あずさに聞かれた奏は、先ほどまでの出来事をあずさに話した。

「吉田くんが、野狐(やこ)?」
「そうなのよ! あずさちゃん、団扇(うちわ)、持ってる?」
「うん」

 あずさが団扇(うちわ)をかばんから取り出す。それを見て、奏はほっと胸をなでおろした。しかしそこへ、

「見つけた」

 吉田結人(よしだゆいと)が姿を現してきた。

「まさか、あずささんの方が『教授』の方だったなんて。灯台下暗し、ですね」

 にっこりと微笑んで結人が言う。

「さぁ、それを僕に寄越してください」
「嵐を!」

 結人の手が伸びたとき、あずさが叫んで団扇(うちわ)を振った。すると辺りが一気に暗くなる。

「何をする気です?」

 結人は余裕の笑みを浮かべている。屋上の上には雨雲が集まり、突風が吹き荒れている。

「嵐を呼ぶだけが、その団扇(うちわ)の力だと思われては困りますね」

 結人の余裕の笑みは崩れない。また一歩、あずさと奏の元へと歩を進めてくる。

「あずさちゃん……?」

 行方を見守っている奏に、あずさは額に汗を流しながら続けて団扇(うちわ)を振った。

「雷!」

 叫んだあずさの目の前、そこに雷が落ちる。砂煙の向こうに人影があることを奏は見逃さなかった。

「呼んだか?」

 砂煙のむこうから澄んだ男の声が聞こえてきた。砂煙が収まる頃には、髪の毛を逆立てた一人の男が奏たちと結人の間に立っていた。

「え? 誰……」

 呟いたのはあずさだった。

「我は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。我を呼んだのは、そなただな」

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)と名乗った男に、結人が血相を変える。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)、だと……?」

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)は雷神だ。あずさの呼んだ雷は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を呼び出すものだったのだ。奏は唖然としている。結人は武甕槌命(たけみかづちのみこと)の登場に、さすがに人間の姿では勝てないと判断したようだ。姿を変えて、九尾の狐の姿に戻る。

「なんだ、野狐(やこ)か」

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)の声は至って冷静だった。九尾の狐の姿をした野狐(やこ)の結人は低い威嚇の唸り声を上げている。

野狐(やこ)ごときが、この私に牙を()けるか」

 形勢は一気に逆転していた。この武武甕槌命(たけみかづちのみこと)、雷神である上に刀剣、弓術、武、軍の神として知られている。つまり、戦闘はお手の物なのだ。余裕の笑みを浮かべる武甕槌命(たけみかづちのみこと)を前に、野狐(やこ)はひょいっと屋上の柵を乗り越え、逃げてしまうのだった。

「所詮は臆病な野狐(やこ)の一匹だな」

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、ふん、と鼻を鳴らした。

「これは、どういうことなの……?」

 奏は呆然と声を上げた。それを聞いた武甕槌命(たけみかづちのみこと)は言う。

「この者には、そなたの様な守護霊が存在しない。代わりにツクヨミとアマテラスが守護をしていたのだ」

 しかし今、二柱は出雲へと出かけている。留守中、何かが起きたときのための守護を任されたのが、この武甕槌命(たけみかづちのみこと)、と言うことだ。

「あずさちゃん、それを知ってて雷を呼んだの?」

 奏の言葉にあずさはふるふると首を振る。どうやら偶然のようだ。

「そなたは神々が守護する人間だ。その団扇(うちわ)を振るうことで、神々が反応し、そして呼び出すことも出来るようになった」

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)はそう言うと、また何かがあれば呼んでくれ、と言って姿を消した。今まで暗かった空はいつの間にか晴れている。

「神々の守護を受ける者って……。あずさちゃん、凄いのね」
「え? 私、大したこと全然してないのに……」
 屋上には呆然とする二人の姿が残っていた。
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