第8話 それはこの子なのかこのファンデーションなのか

文字数 3,062文字

 今回は文学作品から少し離れた話である。
 箸休めと言うか、小休止と言うか、読者諸兄にはそう言った前提でお読み戴きたい。
 私事で申し訳ないのだが、どうしても看過出来ない由々しき事態が発生したのだ。
 昨日深夜に地上波放送でテレビショッピングなる通販番組を放送していて、お奨め化粧品のコーナーとやらをやっていた時のことなのであるが、誤解しないで欲しい。
 私はその通販番組を見ようとしたのてはなく、レンタルDVD鑑賞を終え小説を書き始めていたのだが、たまたま入力が切り替った地上波放送でそれを放映していたのだ。
 深夜なので大した番組をやっていよう筈もなく、私としてはテレビなんてどうでも良く、敢えてモニターの電源を切らなかっただけだ。
 それなのにそんな私に偶然なのか、必然なのか、或る阿保な日本語が降り落ちて来たのだ。
 出演者の河北麻友子と言う帰国子女だかセレブだかモテルだかの、まあ美人だが28歳にもなったそのタレントが、余りにも誤った阿呆な日本語を口にしたのである。
 私は全身が硬直した。
 正直に言おう。
 その時私は戦時中マレー・シンガポールを攻略し、第二十五軍司令官にして「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文陸軍大将に拘わる、山下財宝を扱った米国ドラマを見た直後であった。
 重ねて報告するとそのビデオ鑑賞の勢いそのままに、マンハッタン計画つまり広島への原爆投下に拘わる日米の深刻な問題を題材にした小説を書いていた最中に、その阿保な日本語は発せられたのである。
 こともあろうにそんなタイミングで、帰国子女の、しかも米国帰りの日本人タレントが、その阿呆な日本語を口にしたのである。
 念の為に断っておくが、私はその河北麻友子なるタレントを阿呆と言ったのてはない、河北麻友子の言った「この子」、と、言う言葉を阿呆、と、言ったのである。
 何と彼女は化粧品のファンデーションに対して、「この子」、と、言ったのだ。
 百歩譲って生き物である犬や猫に対してなら、私もここ迄感情を昂らせることは無かったかも知れない。
 何故なら犬や猫は生き物だからである。
 それならまだしも「言葉遊び」の範疇として捉えることも出来よう。
 しかし物であるファンデーションに対して「この子」とは、その言葉を使用することに如何なる存念があるのか、或いはそれが意図的なものであるなら、番組プロデューサーやそれを放映する民放放送局のその意図とは何なのか。
 そこで私は小説を書く手を止め、それを探るべくネット検索を試みた。
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 調査の結果近年若年女性の間で愛用のシャンプーや化粧品などのことを、親しみを込めて「この子」、と、呼んでいるらしいことが判明したのである。
 まあそれならそれで仲の良い女性同士でそう言った言葉を交わすことは自由だし、それを「言葉遊び」とするならそれも良かろう。
 例えばそう言った言葉をSNSで発信したとしても、飽くまでもその発信者は「個人」であり「公器」を代表する人ではない。
 しかしてある。
 それが完全なCMならまだしも、仮初めにも番組とされるテレビショッピングで、出演者が誤った日本語を使うことを許可するのは如何なる存念なのか、と、私は言いたいのだ。
 先程私はCMならまだしもと言ったが、逆にCMなら絶対にファンデーションを「この子」など、と、言う誤った日本語を起用タレントに言わせはしないだろう。
 何故なら仮にそのせいで苦情が生じそのCMか放映差し止めともなれば、CM製作会社は言うに及ばず、その仕事を発注した広告代理店、それにも増してスポンサー企業に大損害を与え、下手をすると損害賠償に到る大惨事を惹き起こすからだ。
 つまりCMに拘わる企業は、そんな初歩的なミスは絶対犯さない。
 何故なら彼等は細心の注意を払うプロ集団だからである。
 しかし民放地上波放送のプロデューサーはプロではないのか。
 それはプロたろう。
 新聞と並び地上波放送は報道機関であり、公器としての立場を負うからだ。
 畢竟公器である民放放送局かそんなミスを見逃すなど有り得ない。
 増してやその後に訂正を入れないこともだ。
 ならぱ何故そんな誤りが看過されたか。
 以下に私の予測を列記してみた。
 飽く迄も予想の域を脱するものではないが。

 一、テレビショッピングはスポンサー色の濃
   い番組であり、「この子」と言う表現を
   敢えて使用するようスポンサーから指示
   を受けた。
 二、テレビショッピングは深夜番組であり、
   ゴールデンタイムと比較すると大した視
   聴率も期待出来ず、その番組も若手で且
   つ成り立てのプロデューサーか指揮を取
   っており、誤った日本語と言う概念がな
   くそのことにまったく気付かなかった。
 三、二の場合と環境は同じたが、河北麻友子
   らしさが出ていて、コロナ禍のこの時期
   売上か落ち込んでいる化粧品である。
   視聴者に寄り添う形で、「この子」を使
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   うのが可愛くて良い、と、敢えて「この
   子」を生かした。
 
 など想像を働かせれば、もっと他にも理由は考えられるだろう。 
 しかし私はその理由を特定する必要はないと思っている。
 何故ならその理由が分かったところで、私の心は晴れないからだ。
 最も惜しむらくは河北麻友子の廻りに居る大人達が、「それは誤った日本語たよ。友達同士で使うのはいいけど、テレビなんかで言っちゃ駄目だ。これは君の為に言ってる。たとえ私をうるさい奴だと思っても、嫌な奴だと君か思っても構わない。駄目なものは駄目だ」、と、言えなかったことである。
 彼女は英語が堪能らしいが12才のときに日本に来たのであって、日本で育っていない。
 お嬢様で、美人で、その上帰国子女なのだから、廻りにチヤホヤされない訳はない。
 周囲の大人達もさぞチヤホヤしたことだろうし、たとえ間違いを糺す為でも、それが彼女の気に触ることなら言わないのが人情だろう。
 増してや芸能人御用達の堀越学園出身の彼女である。
 知るべきことを知る環境になかった訳であるから、彼女に罪はないと言えよう。 
 では誰に罪があるのか。
 それは河北麻友子の廻りに居る大人達か彼女に良く思われたい余りに、誤りを誤りと言わずに、正しいことを正しいと言わなかったことにあると私は断言する。
 何なら私が代わりに言ってもいい。
 駄目なものは駄目なのである。
 もう既に彼女は28才なのだ。
 もうすぐ三十路を迎える彼女には是非とも誤りを誤りと、そして正しいこととは何かを教えてあげて欲しい。
 これは彼女の廻りに居る大人の義務である。
 で、ないと、彼女は来る8月6日も、8月15日も、ファンデーションのことを「この子」
と言い続けるだろう。
 何としても彼女に伝えて欲しい。
 75年前の8月6日に米国か広島に何をしたか、また同年8月15日が日本に取ってどんな日なのかを。
 米国帰りの彼女に対しては特にそのことを。
 そして彼女だけでなく総ての若者に対し、私達は誤りを誤りだと言える大人であるべきだ。
 そしてそう出来ないこと、またそうしないことが大人達の犯す最大の誤りであり、不実であるように思う。

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