3. 〝とはずがたり〟
文字数 2,571文字
「微笑、笑うな!」
「で、でも、萌先輩」
「野宮君」
怒鳴る萌と笑いをかみ殺す微笑の背後から呼び止められる。振り返ると、一陽が小走りに駆けて来るのが見えた。
「雨月さん、どうしたの?」
「さっき言い忘れてたことがあって」
「校長センセ」
伝と一陽の間に萌が立った。
「お兄ちゃんと話したきゃ、あたしを通してもらわないと。てか、さっきって何?」
「萌ちゃん、伝さんのマネージャーじゃないんだから」
「上手いこと言うね、シンちゃん。砧君、雨月さんが用があるみたいだから、これで。水無瀬さん、明日はよろしく。萌、砧君に迷惑かけないようにね」
「お、お兄ちゃん!」
「ごめんなさいね、みんな。これからネストでしょ?がんばってね」
「はい」
「ちょ、ちょっと!」
叫ぶ萌に背を向け、伝が一陽と歩き出す。
「ごめんね。時間大丈夫?」
「まだ次の集荷まで少し時間があるから」
「じゃあ、駐車場まで。月末のしゃくなげ祭の話するの忘れてて。野宮君、実行委員だってね」
「赤帽はここ数年毎年参加してるからね。萌には一昨年からゆるキャラの被り物を頼んでる」
「今年から三年生の課外授業の一つになるって。教育委員会様の方針だって」
「何か怒ってる?」
「いくらお飾りだって言っても、仮にも校長の頭を飛び越して決定なんて、ひどいと思わない?」
「ほら、雨月さんは何かと忙しいから、教頭先生が気を回してくれたんだよ、きっと」
「そんなわけないし。しょせん私なんて、帰国後非常勤講師で食いつないでたところを政治的な意図で引っ張られた雇われ校長だもん」
「その若さで校長先生なんて立派だよ」
「この若さ、と言い切れないところが悲しいけど。もちろん、強く気高い意志と理念を持った校長先生は巷にたくさんいらっしゃるわ。でも、私の場合は、前身の雨月学園の創業一家出身っていうだけでなかば強制的に据えられただけだし。先生方は、まあ、大人だからバックアップしてくださるけど、結局私は、教育委員会から鳴り物入りで来られたお目付け役の教頭先生の操り人形でしかないし」
「校長先生なんだから、主張するところは主張すればいいんじゃないの?」
「教育委員会に予算握られちゃってるもん。主に内線用のWEBカメラ設置だって、何度も申請して申請して、ようやく通ったんだよ?しかも『納品から作業まですべて赤帽がやりますから』って、まるで『勝手なことするな』ってみたいに」
「そう、良かったね」
「良かったね、じゃないわよ。カメラでもないと、教頭先生様が毎回どうでもいいことでわざわざこっちまで来て、『部下たるもの!』とかお説教始めるんだから。人を思い切り見下ろして。野宮君がインストールしてくれたあのソフト、録画機能もあるんでしょ?いっそセクハラでもしてくれれば、証拠を取って訴えて」
「そんなこと言うもんじゃないよ。ほら、校長先生が若くて親しみやすい分、教頭先生はバランスを取って嫌われ役を買ってくれてるんだよ。立派な先生じゃないか」
「野宮君は何にも知らないからそんなこと言ってるの!あんなセクハラパワハラモラハラおやじのどこがいい先生だってのよ!」
「あ、教頭先生」
「違っ!そ、尊敬してます!ほんとです!」
「もお忙しそうだったよ」
「の、野宮君!私を殺す気?」
「雨月さんの言ってることがよくわからないけど、教頭先生、カメラの向きや内線通話の設定もそこそこに、やたらと腕時計を気にされてた」
「教育委員会様のお仕事でね!私はそのおかげで毎日胃が痛くなってますけどね!」
「まあまあ、落ち着いて。でも、よくわからないけど、インテリの世界も大変なんだね。上司も部下もない俺の方が気楽かも」
「羨ましいわ、ほんと」
一陽がため息をつき、それから伝を見た。
「まあ、隣の芝生は青く見えるのよね。野宮君たちだって大変なんだよね。忙しそうだし」
「うーん、オリンピックが二年後だからかもしれないけど、数年前よりは忙しいかな。仕事があるのは何にせよありがたいけどね。ただ、規制緩和や新興勢力、それに技術の発展で、輸送業も変わりつつあるからね。日本では白タク問題もあって流行らなかったけど、外国で始まったウェーバーだかヴェーバーだかって言うサービスがあるじゃない。パソコンやスマホで白タクまで拾えるとか言う」
「ええ。ベルリンじゃ禁止になってたけど」
「あっちは旅客輸送だけど、それの物流版を、ジーエヌって会社が、半年くらい前にGNロジスティクスって子会社を立ち上げて始めて、急成長してるよ」
「GN《ジーン》」
「え?」
「グローバルネットワークのGNで、本当は『ジーン』って読ませたいらしいわ」
「そうなの?詳しいね」
「うん、少しね」
「あ、考えてみれば、HELIXを作った会社だし、有名だよね。で、その、ジーンを作った、道成寺何某とか言う人が、本体の代表を外れて子会社の代表になったって、我々の中でもちょっとした噂になってる。業界紙なんかじゃ、『ITの申し子、物流業界に殴り込み』みたいなあおりもついてたし、本人もインタビューかなんかで、『東京オリンピックまでに日本の物流を一元管理し、コストを抑えて効率化を図り、全体の八割を自動運転に切り替える』なんて言ってた。そう言えば、赤帽が今採用してる配車システムだって、元をたどればそのGNってところが作ったって話だし。実際、公道でレベル4以上の自動運転のテストも始めてる。多分、さっき言ったような業態の特徴や業界の古い体質に目を付けて、旅客業に比べて準備期間が十分ある、って思ったんだろう」
「彼らしいわ」
「そのGNロジが軽運送業の定期便にも参入しようとしているらしい。例えばハウルズだって、部数が増えたり配達エリアが広がったりしたら、多分今のままの、全部数をネストの部室に卸すってやり方じゃ間に合わない。GNロジはそういう部分にも手を出そうとしてるって話もあったけど。もちろん、法律の整備が追い付かないし、そもそも時期尚早という批判も出てる。ただ、荷物は人と違って、壊れてもいくらでも補償できる、って考えれば、旅客業より入りやすいのかも」
それから伝が立ち止まり、萌たちを肩越しに振り返った。
「まあ、俺にはそんなこと言う資格はないけどね」
「で、でも、萌先輩」
「野宮君」
怒鳴る萌と笑いをかみ殺す微笑の背後から呼び止められる。振り返ると、一陽が小走りに駆けて来るのが見えた。
「雨月さん、どうしたの?」
「さっき言い忘れてたことがあって」
「校長センセ」
伝と一陽の間に萌が立った。
「お兄ちゃんと話したきゃ、あたしを通してもらわないと。てか、さっきって何?」
「萌ちゃん、伝さんのマネージャーじゃないんだから」
「上手いこと言うね、シンちゃん。砧君、雨月さんが用があるみたいだから、これで。水無瀬さん、明日はよろしく。萌、砧君に迷惑かけないようにね」
「お、お兄ちゃん!」
「ごめんなさいね、みんな。これからネストでしょ?がんばってね」
「はい」
「ちょ、ちょっと!」
叫ぶ萌に背を向け、伝が一陽と歩き出す。
「ごめんね。時間大丈夫?」
「まだ次の集荷まで少し時間があるから」
「じゃあ、駐車場まで。月末のしゃくなげ祭の話するの忘れてて。野宮君、実行委員だってね」
「赤帽はここ数年毎年参加してるからね。萌には一昨年からゆるキャラの被り物を頼んでる」
「今年から三年生の課外授業の一つになるって。教育委員会様の方針だって」
「何か怒ってる?」
「いくらお飾りだって言っても、仮にも校長の頭を飛び越して決定なんて、ひどいと思わない?」
「ほら、雨月さんは何かと忙しいから、教頭先生が気を回してくれたんだよ、きっと」
「そんなわけないし。しょせん私なんて、帰国後非常勤講師で食いつないでたところを政治的な意図で引っ張られた雇われ校長だもん」
「その若さで校長先生なんて立派だよ」
「この若さ、と言い切れないところが悲しいけど。もちろん、強く気高い意志と理念を持った校長先生は巷にたくさんいらっしゃるわ。でも、私の場合は、前身の雨月学園の創業一家出身っていうだけでなかば強制的に据えられただけだし。先生方は、まあ、大人だからバックアップしてくださるけど、結局私は、教育委員会から鳴り物入りで来られたお目付け役の教頭先生の操り人形でしかないし」
「校長先生なんだから、主張するところは主張すればいいんじゃないの?」
「教育委員会に予算握られちゃってるもん。主に内線用のWEBカメラ設置だって、何度も申請して申請して、ようやく通ったんだよ?しかも『納品から作業まですべて赤帽がやりますから』って、まるで『勝手なことするな』ってみたいに」
「そう、良かったね」
「良かったね、じゃないわよ。カメラでもないと、教頭先生様が毎回どうでもいいことでわざわざこっちまで来て、『部下たるもの!』とかお説教始めるんだから。人を思い切り見下ろして。野宮君がインストールしてくれたあのソフト、録画機能もあるんでしょ?いっそセクハラでもしてくれれば、証拠を取って訴えて」
「そんなこと言うもんじゃないよ。ほら、校長先生が若くて親しみやすい分、教頭先生はバランスを取って嫌われ役を買ってくれてるんだよ。立派な先生じゃないか」
「野宮君は何にも知らないからそんなこと言ってるの!あんなセクハラパワハラモラハラおやじのどこがいい先生だってのよ!」
「あ、教頭先生」
「違っ!そ、尊敬してます!ほんとです!」
「もお忙しそうだったよ」
「の、野宮君!私を殺す気?」
「雨月さんの言ってることがよくわからないけど、教頭先生、カメラの向きや内線通話の設定もそこそこに、やたらと腕時計を気にされてた」
「教育委員会様のお仕事でね!私はそのおかげで毎日胃が痛くなってますけどね!」
「まあまあ、落ち着いて。でも、よくわからないけど、インテリの世界も大変なんだね。上司も部下もない俺の方が気楽かも」
「羨ましいわ、ほんと」
一陽がため息をつき、それから伝を見た。
「まあ、隣の芝生は青く見えるのよね。野宮君たちだって大変なんだよね。忙しそうだし」
「うーん、オリンピックが二年後だからかもしれないけど、数年前よりは忙しいかな。仕事があるのは何にせよありがたいけどね。ただ、規制緩和や新興勢力、それに技術の発展で、輸送業も変わりつつあるからね。日本では白タク問題もあって流行らなかったけど、外国で始まったウェーバーだかヴェーバーだかって言うサービスがあるじゃない。パソコンやスマホで白タクまで拾えるとか言う」
「ええ。ベルリンじゃ禁止になってたけど」
「あっちは旅客輸送だけど、それの物流版を、ジーエヌって会社が、半年くらい前にGNロジスティクスって子会社を立ち上げて始めて、急成長してるよ」
「GN《ジーン》」
「え?」
「グローバルネットワークのGNで、本当は『ジーン』って読ませたいらしいわ」
「そうなの?詳しいね」
「うん、少しね」
「あ、考えてみれば、HELIXを作った会社だし、有名だよね。で、その、ジーンを作った、道成寺何某とか言う人が、本体の代表を外れて子会社の代表になったって、我々の中でもちょっとした噂になってる。業界紙なんかじゃ、『ITの申し子、物流業界に殴り込み』みたいなあおりもついてたし、本人もインタビューかなんかで、『東京オリンピックまでに日本の物流を一元管理し、コストを抑えて効率化を図り、全体の八割を自動運転に切り替える』なんて言ってた。そう言えば、赤帽が今採用してる配車システムだって、元をたどればそのGNってところが作ったって話だし。実際、公道でレベル4以上の自動運転のテストも始めてる。多分、さっき言ったような業態の特徴や業界の古い体質に目を付けて、旅客業に比べて準備期間が十分ある、って思ったんだろう」
「彼らしいわ」
「そのGNロジが軽運送業の定期便にも参入しようとしているらしい。例えばハウルズだって、部数が増えたり配達エリアが広がったりしたら、多分今のままの、全部数をネストの部室に卸すってやり方じゃ間に合わない。GNロジはそういう部分にも手を出そうとしてるって話もあったけど。もちろん、法律の整備が追い付かないし、そもそも時期尚早という批判も出てる。ただ、荷物は人と違って、壊れてもいくらでも補償できる、って考えれば、旅客業より入りやすいのかも」
それから伝が立ち止まり、萌たちを肩越しに振り返った。
「まあ、俺にはそんなこと言う資格はないけどね」