第36話 重なりあう想い

文字数 711文字

「おっ、おっ、おっ、長~!?
 驚愕する勇駿はうろたえるあまり、腕にかかえた阿梨を落としそうになる。
「わっ、ばか、落ちるっ」
 阿梨は勇駿の首にしがみつき、
「長じゃない、阿梨だ。二人きりの時だけでいいから」
「先ほど、何と……」
「さあな。二度は言わん」
 頬を染めながら、そっぽを向く。
 セルト王子に強引に押し倒された、あの時。
 幼い頃から気のいい海の男たちに囲まれて育った阿梨は、初めて男というものを怖いと感じた。
 同時に勇駿が思い浮かんだ。いつもそばにいて自分を守り、支えてくれる彼の姿が。
 ようやくわかった。
 こんな近くにいたのだ。共に海を往ける男──往きたい男が。
 一緒にいるのが自然で、その大切さに気づきもしなかったほど。
 阿梨はしゃんと顔を上げ、
「明日は港に戻るぞ。羅紗国はまだ復興半ばだし、早く帰らなくては」
 微笑しながら、勇駿はうなずく。
「お供します。長……ではなくて阿梨」
 微笑み返す阿梨は、しみじみと自分を眺める勇駿に首をかしげた。
「どうかしたか?」
「いえ、せっかくの女装……失礼、盛装も今夜限りで見納めなのは少々残念かと」
「当然だ。こんなひらひらしたドレスを着て、船上で動き回っていられるかっ」
 二人は瞳を見かわし、また笑いあう。
 阿梨の中でひとつに重なりあう、海への想いと勇駿への想い。
 彼と共に海に生きよう。海の民の娘として精一杯生きて、そしていつかは祖父や母のように海に還ろう。
 勇駿の腕の中で、阿梨は寄せては返す波の音をかすかに聞いた気がした。





 完

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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。勇敢で聡明な娘だが、恋愛にはかなり疎い。

世間では「型破り王女」と言われている。

勇駿(ゆうしゅん)


阿梨の護衛で幼なじみ。彼女が王女という身分差もあって想いを口に出せずにいる。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父で阿梨の教育係。姫さま大事の忠義者。頑固。

セルト


阿梨たちが訪れたマルバ王国の第3王子。阿梨を気に入って求婚するが、その真意は……。

白瑛(はくえい)


阿梨の異母弟。羅紗国の王太子。母は違うし、年も離れているが、仲のよい姉弟。

真綾(まあや)


阿梨の母。美しくたおやかだが芯の強い女性。王妃の地位より海の民であることを選んだ。

ルキア


マルバ王宮女官長。セルトに頼まれ、阿梨を最高に美しい貴婦人にすべく使命感に燃える。

マルバ国王


水軍の大切な取引相手。大らかで人柄のよい王さま。

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