第2話

文字数 1,215文字

「あたい、もうすぐ死ぬの」
 赤姫が言う。
 こいつはもう助からないな、と俺も腕組みをして思う。
 (ころも)は相変わらず鮮やかに赤いが、その襟元(えりもと)からのぞく、かつてあれほど白く滑らかだった肌は薄蒼(あおぐろ)く濁っている。
 あのなつかしいあえかな胸のふくらみが、せわしく上下している。イノチを刻んでいくような音がする。その音とともに、赤姫の軀の(うち)(とも)る灯が少しずつ衰えていく気がする。

 青鬼がのっそり部屋に入ってきた。
 青鬼は俺の隣りに、しかし俺の方は見ずに胡坐(あぐら)をかく。裾が割れて肉の盛り上がった毛脛(けずね)(あら)わになった。脛には、いかにも硬そうな(うろこ)が層をなして生えている。青鬼は、なんだか(いにしえ)の武将のように見える。

 こいつが本気になったら、俺なんぞ首を()じ切られるな、と思う。
「こいつが本気になったら、俺なんぞ首を捩じ切られるな、と今思ったな」
 青鬼は、人の心を読むというサトリみたいなことを言う。俺は思わず首を縮めた。
「青鬼、お前は俺を憎んでいるだろうね」
「憎んでいるとも。てめえの悪行の報いを、なぜ赤姫が受けなきゃならんのだ。こんなばかな話があるか」
 その通りだ。俺は、返す言葉もない。
 
 罰はなぜか、勝手に異界の境界を越えて闖入(ちんにゅう)してきた俺の上ではなく、それを受け入れた優しい女の上に落ちた。罪なく罰を受けるものは限りなく美しいことを、赤姫は俺に教えて微笑んで死ぬ。そして俺は、青鬼に首を(ひね)られて、みじめに泣き(わめ)きながら死ぬのだろう。

 赤姫が今日とも明日とも知れぬ身になった時、俺は青鬼に殺されるつもりで、再びこの部屋の敷居(しきい)(また)いだ。覚悟はもとより出来ている。ただ、最後の一服が()いたい。
「赤姫と手に手を取って冥土(めいど)の旅と洒落(しゃれ)ることは許さんよ。それから煙草もやめろ、くさい」
 こいつはやっぱりサトリの化身らしい。煙草を吸えない俺は、手持ち無沙汰(ぶさた)のあまり、無意識に右手の指で鼻を(こす)った。指に染みついていた赤姫の匂いが立ちのぼる。
「ちょっと薄物すぎないかね。これではいかにも寒そうだ、この赤い衣がさ」
「もういい」
「なに」
「死んだよ、赤姫は」
 俺は、はっとして見下ろす。

 ――そこには、一枚の赤い花びらがあった。

 障子窓(しょうじまど)を突き破って、水が流れ込む。たちまち部屋いっぱいに満ちた。俺の軀はくるくると回りながら舞い上がり、(さか)しまに天井にぶちあたる。青鬼は軀をひと振りすると、魚の姿に戻って壊れた窓から泳ぎ出てゆく。
「俺を、殺さないのか」口から(こぼ)れ出る(あわ)が視界を(ふさ)ぐ。
「殺さんよ、今は。てめえには、まだ受けるべき罰が残っている」

 ……気がつくと、俺はぼんやり水槽を眺めていた。水底の、人の部屋の形にしつらえた陶器の飾りの中で、小さな赤い金魚が一匹死んでいる。もう二度と人間の女を愛せなくなったことが、なぜかはっきりとわかった。それが、俺の受ける罰なのか。

 もう一匹の、一回り大きな青い金魚が、その(しかばね)に口づけするように近づいて、触れるか触れないかのうちに、また、つっと離れた。
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