後編
文字数 2,260文字
「全員、会議室へ」
そんな声がかかり、会議室に向かうと、
「ああ、キミたちはいい。社員だけでよかったんだ」
どうして来ちゃったの、驚いたなぁ。そんな表情を向けられる。全員には文字通りとはちがう意味がついていた。
「ひとり五百円。全員でご協力をお願いします」
そんな周知に、全員の意味を学習した私たちは悩まされる。
「私たちは、なし、でいいんですよね?」
白黒をちゃんと確認したい派遣社員が訊く。
「え、なんでそうなっちゃうの? おなじ働く仲間なんだから当然でしょ。全員からもらうよ」
五百円。問題は金額じゃない。全員なのだ。顔も知らない社員の送別品のカンパは、文字通りの全員から徴収される。
「来月最初の土曜日に、部内の懇親を深めるため、バーベキュー大会を開催します。全員、会費を今週中にご持参ください」
出欠は問われない。有無を言わせずの全員参加。全員の範囲については、もう誰も訊かなかった。
「会費はいくらですか?」
新入社員のグループが幹事役の総務担当の女性のところへ集まり、声をかけていた。
「いいの、いいの、新入社員は。ボーナスも寸志程度でしょ、だから、会費なしで大丈夫。そのかわり、他の人たちから全員一律六千円、もらっちゃうから」
総務担当の女性の不自然に目を細めた笑顔が見える。
「チッ」
二つ向こうの列の派遣社員が舌打ちした。
うん、そうだよね。舌打ちはどうかと思うけれど、気持ちはわかる。私もおなじだ。思わず小さく頷いてしまう。
そうだよね、私たちには寸志どころかボーナス自体、ないのにね。そういうこと、わかっているのだろうに。近くにいる他の誰かの気持ち、考えたことはないのだろうか。
そしてまた、派遣で働くことのメリットのはずである適度な距離は、仕事とはまた別なところでも保たれないことが多い。
「健康診断、何歳から胃カメラだっけ?」
「あの部長ってさ、勤続何年?」
「夏季休暇の申請方法わかる?」
そんなことを訊かれもする。
わかるわけがない。そんなこと、どうして私に訊くのだろうと思う。社員に訊いてよ、正規雇用の社員に。
そこに存在しているというだけで、別次元のきまりも知っていて当然だというふうに訊かれてしまう。近くにいる別の立場の人のこと、考えたことはないのだろうか。
理不尽だ。あれもこれも。
そう思って総務担当の女性に目をやると、人の視線なんてまったく意に介さないといった体で、なにやら家具がずらりとならんだパソコン画面をニヤニヤと眺めていたりする。
たまたまなら、そんなときもあるだろう。けれど、じゃあ彼女は普段はキッチリ仕事をしているのかといえば、見たところ、そうは見えない。勤務時間をゆったりと過ごし、定時にあがる。そんなんでものすごく成果があがっているのだとしたら、彼女はスーパーマンなんだとしか思えない。
もちろん、そんな人ばっかりじゃないってこともわかっている。でも目に付くのだ。おかしなものほど目に付きやすい。
恵まれているなぁと思う。正社員だから、正規雇用だから、たったそれだけの理由でこんなにも恩恵があるだなんて知らなかった。知っていたら、若いうちにどこか潜り込める場所を探して、私も権利を行使していたかもしれない。
それもまあ、今となっては無理なこと。中途採用には高度な技術も経験値も求められ、恩恵以上に実績が求められてしまう。これから育っていくであろう若い芽だと、認識される時期に潜入しなければ得られない特権を、羨ましくも思う。
そして世間は今また、働き方改革だなんだって、時短労働や休暇の使用を、そういう人たちの権利にプラスし始めている。成果主義だとか能力評価だとか、そういうものはなかなか根付かずいるというのに、お休みに関わる合理化はすごい速度で浸透している。
じゃあその分の負担は誰が負うの? いいように使われるのは誰なの? そんなことを考えずにはいられない。
「えー、どういうこと?」
比較的大きな声がした。見ればスマホの画面に向かってひとりごとを言っている社員がいる。ここに座る面々にスマホを使うような業務はない。それでも平気でスマホを弄ぶ、これもまた特権のひとつなんだろう。
ああ、もうっ。叫びたい。大声を出して暴れてしまいたい。
現実にはできはしないことを頭の中で叫ぶ。もうこれ以上のダメージは受けたくなかった。何も思いたくない。
私は立ち上がり、誰もが見て見ぬふりをする、散らかり放題の新聞置場を片付けることにした。時計の針は着実に進んでいる。あともう少しで定時だ。
始業開始十分前に出勤し、パソコンを立ち上げる。ざっとメールをチェックして、始業のベルを待つ。
トン、と突然振動を感じびっくりした。デスクに缶が置かれている。
「よかったらどうぞ」
総務担当の女性が言った。いつの間に配りはじめたのか、まったく気がつかなかった。そしてどうして? いつもの無視ではなく、私にも配ってくれる?
疑問に思いつつ頭をさげる。
「ありがとうございます」
「いいの、いいの、余ったから」
ああ、そう。余ったから。そうですか。
心の中だけでそっとつぶやく。日々のモヤモヤが届いたわけではなかった。まあ、そうだよね。そんなもんだ。
配られた細長い缶は見たことのない、ぶどうジュースだった。おいしそうと思うよりも先に、高そうだと思う。
社員はいつもこんないいものを配られているんだ。へえ、そっか。でも味はふつうかも。そうだ、うん、きっとそう。
これもまた心の中だけでつぶやきながら、私は缶のプルタブを引いた。
(了)