文字数 4,364文字

「なに見てるの?」
 立ち止まって空を見あげていたカリンを振り返り、陽平が訊ねた。
「ううん。なんでもない」
 風にかき乱される髪をおさえ、カリンは早足に陽平を追いかける。
 ここ数日部屋に籠もりきりだった彼女を、陽平は散歩に連れ出した。
 数分の距離を歩いて、空船公園に到着。
 日曜日ということもあってか、家族連れの姿が多く見られた。
 空船公園は、敷地内に野球場と巨大な人工池を備えた大公園であり、中心には名前の由来となった帆船のオブジェが、舳先を垂直に天へと突き出した格好で聳え立っている。
「もう、だいぶ散っちゃったね」
 陽平がしみじみと言う。
 外周をまわる散歩道沿いに植えられている桜は、盛りをすぎて葉桜へと変わっていた。
 日差しの強さも、風の匂いも、はじめてやって来た頃とはちがう。すこしずつ。確実に、季節は移ろっているのだ。
 陽平と並んで歩き、今この時に在る、おなじ景色を眺める。なぜだかとてもまぶしい。
 すれちがう人をよけた拍子に、肘と肘がふれあった。慌てたように謝罪する少年に、軽く微笑んで平気だと伝える。
 穏やかな時間。傍から見れば。
 カリンは密かにスカートのポケットに手を差し入れ、そこにある石を握りしめた。

 紅色(あかいろ)滴る、大粒の宝石。

 幻獣カーバンクルの額に輝き、つがい同士で意思疎通するのに用いるとされる魔法石である。
 対となるもうひと粒はタイカにあり、念じることで信号を送ることができる。
 昨晩、これを使ってメッセージを送った。

 ――障害発生。至急援軍求ム。

 本当なら、すべてが終わるまで使うつもりはなかった。
 だが、想定外の出来事が次々に起こり、そんなことは言っていられない状況になった。とてもではないが、カリン独りでは対処しきれない。
 恥を忍んでの援軍要請である。
 ちゃんと届いただろうか。もしそうなら、そろそろなんらかの反応があってよい。
 陽平の誘いに応じたのも、それとなく《門石(ヤーヌシュタイン)》のようすを見るためだった。
「なにかあるの?」
 知らず知らずのうちに、また空を仰いでいたらしく、陽平に見咎められた。
「カリン姉ちゃんてさ、ときどきそんなふうに、ぼーっとするよね」
「そ、そうかな? 今日はほら、久々に外に出たから。そしたら、空がきれいだなーって」
 そっか、と陽平は安心したように笑った。こんな見え見えの嘘でも、彼は信じてくれる。
 だが、今日はそれだけで終わらなかった。
「でも、カリン姉ちゃんを見てると思うんだ。姉ちゃんさ……きっと、ここじゃないどこか――オレの知らない、どこか遠くを眺めてるのかなって」
 寂しげな声。
 ひょっとしたら、見透かされているのかもしれないと思った。操心術でも、無意識に出てしまう仕草や表情はごまかせない。
「そんなこと、ないって」
 なおも嘘を重ねようとする自分を、カリンは嫌悪した。
 これは未練。故郷に残してきた弟を、この少年に重ねているだけ。
 振り捨てていかねば、つらいのは自分だ。
「カリン姉ちゃん……!」
 突然、なにかを察したのか、陽平がカリンの腕をつかんだ。
 心が揺らぐ。他人の心をいいように弄ったくせに、自分のそれは御しきれないとは皮肉にすぎるだろう。
「陽平、私は――」
 そのとき、まったく予想もしていなかった方向から、場違いに陽気な声が響いた。
「あらあら。愁嘆場というやつかしらァ?」
 振り返ると、《こちら側》の人間とは明らかにちがう格好の人物がふたり、歩いてくるのが見えた。
 ひとりは白地に金糸の装飾という華美な軍装を纏った美女。もうひとりは、直立した牛と見紛うほど大柄で魁偉な風貌の女であった。
「お久しぶりねえ。ずいぶん捜しましたわよ、カリン・グラニエラ」
 派手派手の美女が、毒々しいほど紅く塗ったくちびるの端を、きゅっと持ちあげた。
 とがった耳と二本の角は、上級奈落人(アビエント)の標準的特徴である。特に、彼女の角は節がなく、ゆるく彎曲して天を衝いているさまが美しい。
 吊りあがった切れ長の瞳は、極地の氷を思わせる青。色素の薄い金髪は入念に縦巻きにされ、死人のように白い肌からは妖しい色香を放っている。
 とりわけ目を引くのは、太股を跨って彩るコウモリのタトゥーだった。
 若干気圧されながらも、カリンは挨拶を返した。
「元気そうね。……アルメリア・で、でへ……んにゃめりあ?」
「アルメリア・デ・ヘルメリアですわ!」
 ごまかそうとしたが駄目だったらしい。
 美女は、くわっと目を見開き、軍靴の踵をヒステリックに踏み鳴らした。
「うるさいわねえ。言いにくいのよ、あんたの名前」
「なんて失礼な女。きっと、落ちぶれると舌が短くなるんですわね」
「ほざいてなさい。……で、そっちの人は?」
「三豪のモルガルデン。聞いたことはないか?」
 カリンとアルメリアのやりとりをニヤニヤ眺めていた大女が、しわがれた声で言った。
「西方戦線で暴れまわっていたとかいう?」
「嬉しいねえ、邪神殺しの英雄様がご存じでいてくれたとは」
 モルガルデンは、アルメリアよりもだいぶ軽装で、鍛え抜かれた肩や腹筋が惜しげもなく晒されている。
 手のひらをこすり合わせ、牙を剥いて笑うその仕草には、獣じみた野卑さがあった。
「奇妙なふたつ名だったから、よく憶えているわ。たしか剣豪、酒豪……それと、なんだったかしら?」
「性豪よ」
 モルガルデン本人ではなく、アルメリアが吐き捨てるように言う。がははは、とモルガルデンは豪快に笑った。
「そのとおり! ダンデラ族のモルガルデン、故に号して三豪と称す、ってなもんよ!」
「下品極まりないですわ」
 アルメリアは顔をしかめ、懐のハンカチで鼻を押さえた。
「カリンさんも、油断してると食べられちゃいますわよ。主に性的な意味で」
「がっはは。おめえも大概下品じゃねえか!」
「ちょっと、叩かないでくださる? 貴女とちがって身体の造りが繊細ですのよ」
 名門出身のアルメリアと、腕っぷしだけでのしあがってきたモルガルデン。どう考えても水と油の組合せで、ふたりがいっしょにいるところを、これまで見たことはなかった。
「あなたたちが援軍ってことでいいのよね?」
「そうですけど、通信にあった障害ってなんのことですの? よほどのことがない限り、貴女に助けなんて要らないでしょう」
 なんと答えたものか一瞬迷ったが、結局カリンはありのままを伝えることにした。
「強敵が現れたわ。私ひとりじゃ太刀打ちできないほどの」
「おいおいおいおいおいおいおい!」
 モルガルデンが愉快そうに声をあげた。
「太刀打ちできないって、マジで言ってんのか? 邪神殺しの英雄様が? 相手はどんな奴だよ。まあ大方、転生体でも戦闘に特化した奴とか、そんなんだろうけどよ」
「人間よ」
 それも、ごく普通の。いちおう、現時点ではという注釈はつくが。
「フザけんなァ!」
 とたんに、モルガルデンは激昂した。
 岩の塊のような拳が、カリンの頬を打擲する。たまらず吹っ飛び、地面で額をこすった。
「なにするんだ、このデカ女!」
 転倒したカリンとモルガルデンのあいだに、陽平が割って入る。
「カリン姉ちゃん、大丈夫?」
「お、なんだい坊や。いっちょまえにナイト気取りかい――って、へへえ。こいつァ……」
 頭から爪先まで陽平を眺めまわしたモルガルデンが、好色そうに舌なめずりした。
「なかなか、いい子を飼ってるじゃあないの、カリンちゃんよう」
「悪趣味ですわね。地表人(デアマント)の幼体じゃありませんの」
「問題ねえよ。ウチの先祖はオークともヤってんだ」
 ぐへへへ、と笑うモルガルデンは、涎を垂らさんばかりだ。アルメリアが、理解できないと言いたげにため息をつく。
 いけない。
 このままでは、陽平が酷い目に遭わされる。
 カリンは痛みをこらえて立ちあがった。
地表人(デアマント)じゃない。こっちの世界の……人間よ……」
「どっちでもいいさ、ンなこたァ!」
 モルガルデンは唾を飛ばして吼えた。
「アビエントラントの騎士ともあろうモンが、ただの人間に遅れを取ったってェのか! テメェ腑抜けたか、それともおちょくってんのか、アア!?
「わたくしも、ちょっと信じられませんわ」
 アルメリアが、疑わしげな視線をカリンに向けた。
「不甲斐ないのは百も承知よ。でも、本当なの。……悔しいけど、いまの私じゃ勝てない……お願い、力を貸して」
 カリンは低頭して懇願した。
 援軍がこのふたりというのはなんとも複雑な気分だったが、味方にはちがいない。
 アルメリアが小気味よさそうに笑った。
「はン。悪くない気分ですわ。貴女が立場をわきまえ、わたくしの指示に従うというなら、協力してさしあげてもよくってよ」
「……構わないわ」
「いいお返事」
 アルメリアはにっこりと微笑んだ。モルガルデンも、己の手のひらに拳を打ちつける。
「まあいいか。オレも、お前にそこまで言わせる相手がどんなモンか、興味が湧いてきたぜ」
「それじゃあ、いきますわよ。カリンさん、あなたのねぐらに案内なさいな」
「いえ、あそこに三人は手狭だわ」
「なあに、そこから探さなくちゃならいんですの? ……べつに、いいですけれど。来る途中、目をつけておいたところもあることですし」
「ま、待ってよ! いくって、どこに?」
 歩き出しかけたカリンの背中に、陽平の叫び声が突き刺さった。
 カリンは立ち止まって一瞬考え、それから踵を返して陽平のところにもどった。
 青ざめた陽平の、不安に駆られた瞳が見あげてくる。
「嘘だよね? カリン姉ちゃん、どこにもいったりしないよね?」
 カリンは少年の頬に手を添え、その瞳を覗き込んだ。
 パチッ、と静電気の弾けるような音がした。
 同時に、陽平の瞳から色彩が失われる。
「あなたにかけた操心術を解いたわ。これまでのことは、悪い夢だと思って忘れなさい」
 陽平の反応はない。だが、これは術を解いたショックで放心しているだけだ。数分もすれば気がつく。
 家族に対する想い――それを思い出させてくれた陽平には感謝している。
 できることなら、こんな別れ方はしたくなかった。
 しかし、そういう相手だからこそ、これ以上巻き込むわけにはいかないのだ。
 不自然な状態で、ずるずると関係を続けるわけにはいかないのだ。
「さよなら。……ごめんね」
 カリンは、少年の肩を軽く押した。
 ぺたん、と尻もちをつく。
 その姿勢のまま、彼は虚ろな表情で、なにもない空を見つめ続けた。
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登場人物紹介

カリン・グラニエラ(倉仁江花梨):
アビエントラントの女騎士。貧乏貴族の出身。三匹の黒猫を使い魔とする。


桜ヶ丘央霞:
百花学園二年。いわゆる「おっぱいのついたイケメン」

白峰みずき:
百花学園二年。生徒会長。邪神の魂をその身に宿しており、復活のため策動する。央霞のことが好き。

桜ヶ丘陽平:
央霞の弟。小学五年生。行き倒れたカリンを拾う。

三善山茶花:
百花学園一年。女子剣道部員。中性的な美少女。央霞のことが好き。

大紬茉莉花:
百花学園一年。明るく社交的な性格。千姫とは幼馴染で親友同士。

遠梅野千姫:
百花学園一年。人付き合いが苦手。割と毒舌。

アルメリア・デ・ヘルメリア:
アビエントラントの女騎士。旧王家の流れを汲むエリートで高飛車。

モルガルデン:
アビエントラントの女騎士。オークの血を引く戦闘部族の出身で、国内でも有数の武闘派。好色。

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