第七章 ロメス来襲 -5-

文字数 15,672文字

「さて――と」
 エビネが扉の向こうへ消えるのを確認したウィルは、大きく息をつくとロメスに向き直った。だが相手の顔を見るなり、その精悍な顔を露骨にしかめ、不快感をあらわにする。
 ロメスは笑っていた。小馬鹿にしたような含み笑いが、ウィルの神経を逆なでした。
「何か?」
 ウィルは言葉に特大の棘をつけ加え、蒼白い顔に薄ら笑いを浮かべている男をねめつけた。しかしロメスはウィルの鋭い視線をものともせず、相変わらず余裕の表情で、おもむろに口を開く。
「貴官は土星のことについて、詳しくはないようだな」
「――?」
 ウィルはしかめ面のまま首を傾げることによってロメスの言葉に応えた。すると土星に赴任して一〇年近くになる木星出身の大佐は、得意げに語りはじめた。
「土星では、他星(よそ)で得たバッジなど何の価値もないのだよ。むしろ邪魔だと言っていい。なぜなら、土星に住む者は概して保守的で、余所者や土星外の考え方に染まってしまった者を、すんなりと受け入れるようなことはしないからだ。そしてその風潮は、〈土星防衛軍〉は言うまでもなく、情けないことに〈機構軍〉内にも蔓延っている。それはつまり、エビネ准尉がここにいる時間が長ければ長いほど、彼の、土星での居場所はなくなっていくということだ。そうならないためにも、彼は一刻も早く土星に戻り、自分の足場を固めなければならない」
「まあ、余所者を警戒する気持ちは理解(わか)らなくもないが」
 思わずウィルはうなづいた。バッジ云々はともかく、確かに〈森の精(ヴァルトガイスト)〉でも新しい隊員を値踏みする傾向があるので、ロメスの言い分は理解できる。が、だからといって「そうですか。はい、どーぞ」とエビネを渡すわけにはいかない。
「どうして彼なんだ? 土星にも優秀な新米士官は大勢いるだろう。輸送のコストなどを考えると、現地で新たにそういった別の新人を調達する方がよかったのでは? そこまでして准尉に拘る理由をお聞かせ願いたい」
 ウィルは矢継ぎ早に質問し、ロメスを論破する足がかりを得ようとした。しかし相手は、その質問の答えをもののひと言で片づけてくれたのだ。
「彼が、〈エビネ家〉の末息子だからだよ」
「は?」
 意外な答えにウィルは戸惑い、目を瞬かせる。
「意味がよく理解(わか)らないのだが」
「それはそうだろう。〈エビネ〉の名は、木星では何の意味も持たないのだから。しかし土星では違う。〈エビネ家〉は〈見守る者〉の一員として、土星を構成する〈都市〉同士を繋ぐ懸橋となっているのだ」
「〈見守る者〉?」
 聞きなれない言葉に、ウィルとイザークは首を捻った。だが〈機構軍〉上層部に属するハフナー中将と、広報官としてのキャリアも長く太陽系の情勢にも詳しいマックスは、その意味を知っていたらしく、わずかに頭を動かしただけで、大袈裟な反応はしなかった。
 ロメスはさらに説明を続ける。
「民族と文化の融合を果たした我々木星人と違って、土星ではいまだ地球時代の民族意識が根強く残っている。同じ出自の者同士が集まって〈街〉を作り、そこで各々の祖先が築き上げてきた伝統と文化を守りつづけているのだ。古い文化に接することによって彼らのアイデンティティは保たれ、結束を固めている」
 地球時代における西洋地区の者が作り上げた木星とは対照的に、土星は主に東洋地区の者たちが移り住み、発展させていった星系である。特に、第5衛星のレアにおいて宇宙船建造用の金属鉱脈が発見されたことによって、金の匂いに敏感な東洋各国の資本家や企業が多数流入した。
 そこで、木星と土星の開発を同時に進めていた〈機構〉は、そういった資本家や技術を持った企業に土星の開発を進めさせ、自分は木星開発に専念しようと考えた。それによって〈機構〉の出費は大幅に抑えられる。そればかりか、移民者同士が自分たちの住む星を作り上げるために協力しあうことで、彼らが地球時代における国家間のしがらみを捨て、同じ「土星に住む者」――やがては「太陽系の一員」としての意識を芽生えさせるきっかけになればと考えたのだ。
 だが、その思惑は見事に外れる結果となった。
 惑星移民が始まるころには経済面や政治面においての国境を失いつつあった西洋とは違い、東洋では「国」という概念が強く残されていた。そのため民族として保守的かつ排他的な彼らは、移民後も同郷の者同士で固まり、他民族の者とはお互い交わろうとはしなかったのである。
 土星に移り住んだ者たちは、〈機構〉の助言を無視してそれぞれが同一民族で構成された〈都市〉を築き上げると、次に土星の主導権を獲得すべく競いはじめた。かつて弱国にあった者たちは、今度は自分たちが主導権を握ってやろうと奮起し、一方、政治的、経済的に大国の立場にあった者たちも遅れはとるまいと、己の版図を広げるため開発競争に鎬を削った。
 そして〈機構〉が気づいた時には、地球時代の東洋諸国がそっくりそのまま土星圏に移植されてしまっていたのである。それは単に「国」を〈都市〉と言い換えたに過ぎず、中身は旧時代とほとんど変わらないものだ。ただ勢力分布が多少違う程度か。
 しかしそんな彼らも、自分たちの利害が一致する時だけは、手を結ぶこともあった。
 当時まだ〈地球連邦政府〉の管理下にあった木星と土星では、〈地球連邦政府〉からの独立が叫ばれていた。自立しなければ、自分たちが生み出す富は一方的に搾取されるばかりか、政治的にも不利な立場となるのだ。なのに内部で揉めている場合ではない。
 そこで利に聡い彼らはお互い団結し、木星とも協力しあって、独立に反対する〈地球連邦政府〉との戦いに臨み、勝ち抜いたのである。
 そういった面では素晴らしい連携を見せた土星人たちだったが、裏では依然、それぞれの〈都市〉勢力が主導権をめぐって牽制しあう日々を続けていた。
 どろどろとした駆引きや陰謀が次々に企てられ、密かに実行された。それは年月を重ねるにつれエスカレートし、ついにはあわや内乱というところまで事態は悪化することとなった。
 以前なら、ここで〈機構〉が乗り出していたところである。しかしその時すでに〈機構〉は国際機関となっていたため内政干渉ができず、ただ緊迫する情勢に手をこまねいているしかなかったのだ。
 そんな中、〈機構〉に代ってお互いを結びつけようとする者たちが、それぞれの勢力の中から現れた。しかもそれは政治家や財界人といった立場の者ではなく、各々の文化と伝統を護り、広めようとしている者――後に〈見守る者〉と呼ばれる者たちであった。
 〈都市〉を動かす要人たちや、その子息令嬢たちを師弟として抱えることの多い彼らは、その立場をフルに活かした。
 彼ら〈見守る者〉たちは、『文化と伝統を残していくためには、それを受け継ぐ者たちも残さねばならない。そして心が豊かでないと、その技を正しく受け継ぐことはできない。そのために、お互いが醜く争っていてはならない』――といった理念に基づき、各勢力間で食い違う意見を平和的に調整し、争いが起こらないよう気を配った。
 「気を配る」――ただそれだけのことだったが、〈見守る者〉たちの働きは功を奏し、土星に住む人々は最悪の事態を免れることができたのだ。
「彼らは決して、政治家や指導者として表舞台に立つことはない。あくまでも陰から土星の情勢を見守り、必要に応じてそれぞれの勢力を率いる者たちに助言する。それが彼ら〈見守る者〉の役目なのだ。そして、その中で都市〈シント〉を代表する〈見守る者〉の立場にいるのが、〈エビネ家〉だ。〈エビネ家〉は入植時代より、彼らの祖先が培ってきた伝統文化の守護者的存在だった。自分たちの伝統文化におけるあらゆる方面の大家を擁護し、交流の場を提供するばかりか、自らもその技を得て人々に伝えようとしている」
 一気に捲くし立てたロメスは一旦言葉を区切ると、喉を潤すために冷めてしまった紅茶を口に含んだ。
 一方、ウィルとイザークはというと、自分たちの理解の限度を越えた話に茫然となっていた。エビネの素性にも驚きだが、自分たちと土星人たちとの根本的な思想の違いについていけなかった。
 良くも悪くも木星で生まれ育った彼らには、木星人としての自覚しかない。確かに木星にも古い文化などは残されているが、それをどういった民族が作り上げたかに拘ることはナンセンスとされている。それに、例え祖先が違う国の出身であったとしても、同じ木星圏に住む者はみな同朋であって、民族の違いを理由に排斥しようという思想は、彼ら木星人には受け入れがたいものだった。
「地球を離れ、何世代もの年月を重ねてもなお、過去の体制を保っていられるのか?」
 ウィルは目を丸くしたまま、うわ言のように呟いた。そんな彼にロメスは苦笑する。だが、それはどうやら自分自身にも向けられていたらしく、彼の、ウィルを見る瞳に、ふと共感の色が浮かんだ。その眼に、ウィルのロメスに対する印象が揺らぐ。
 ウィルは、第一印象で近づきがたいと感じたロメスに反感を覚えたのだが、それはお互いの警戒心によるものだったのかもしれない。腹を割って話し合えば、理解(わか)りあえるのではないか。
 ウィルはそう感じはじめた。
「私も実際に土星の姿を見るまで半信半疑だった。私が土星に赴任したのは、〈機構軍〉内でも横行しているそういった体質を改善するためだったのだが、土星の地を踏むまで、部隊同士の対立はそれを率いるトップによる個人的レベルの派閥争いに過ぎないと思っていたのだ」
「まあ、そういうのは、土星でなくてもよくある話だしなぁ」
 しみじみとうなづきながら、イザークが合いの手を入れる。彼も一五年を越える軍人生活で、いろいろと見聞きしてきたのだろう。声に妙な実感がこもっている。
 そんな彼にロメスはうなづき返すと、さらに話を続ける。
「それが実際は、『人類の進歩と調和』をスローガンに掲げる〈機構軍〉の幕僚たちが、お互いの祖先が違うということで反目しあっていたのだ。その事実を知った時の衝撃は、筆舌に尽くしがたい」
「そりゃ、そうだろう。しかし軍を率いる幕僚同士がそんなで、よくドンパチにならなかったものだな」
 今度もイザークが、感心したように言う。ウィルはロメスの本質を見極めるべく、じっと相手の顔を見つめていた。
「土星方面軍の最高司令官はその辺りを考慮して、エウロパの統合作戦本部から派遣されている。それでもまあ、辛うじて連中を抑えることができているに過ぎないが」
 苦笑する中にも複雑な思いを込めて、ロメスは答えた。
「だが、それが何もかも悪いというわけでもないのだ。同朋意識が強いだけあって、同一民族で構成された部隊の結束は、混成部隊と比べてはるかに固い。反目しあう部隊のトップたちさえ折り合いがつけば、統制の取れた最強の軍団となりえる。実際〈天王星独立紛争〉時において、土星方面軍から派遣された部隊の戦闘能力を、貴官らは目の当たりにされたはずだ」
「確かに」
 ロメスを除く全員が、感慨深げに相槌を打った。確かに個人的能力などは木星方面軍から派遣された者たちの方が優れているかもしれない。だが、組織だった行動は不得意だと言える。
 統制の取れた〈艦隊〉や〈航空隊〉、一糸乱れぬ動きをする〈海兵隊〉。どれをとっても、土星部隊の組織的レベルは高かった。そんな彼らに背後を固めてもらえたからこそ、自分たちは安心して最前線に出ることができ、天王星を守り抜くことができたのだ。
 当時を思い返している連中をおいて、ロメスは締めに入った。
「そこで、この『折り合いをつける』という点で、エビネ准尉は重要なのだ。彼は〈見守る者〉としての素質を持っている」
「〈見守る者〉としての素質?」
 しばらく口を開かなかったウィルが聞き返した。
「この〈森の精(ヴァルトガイスト)〉で、彼のことを悪く言う者はいるかな?」
 しかしロメスは、ウィルの質問に質問で返した。〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官は一瞬、唐突な質問に戸惑いで目をぱちくりさせた。が、すぐに自分の記憶を確認すると、訊かれたことに答えた。
「いや、彼に対する批判は聞こえてこない。誰もが『よく働くし、性格も素直で人懐こい』というが」
「それが〈見守る者〉の素質であり、彼の能力だ。彼は他人を理解しようとし、打ち解け、心を開かせる。それも、意識することなく自然にやってのける。まあ、本人が自分の能力に気づいていないのだから、自然なのは当然だがな」
 ロメスは苦笑に顔を歪めて、肩をすくめた。対して〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の面々は唸りこむ。
 エビネがいままで来た新人たちと違って〈森の精(ヴァルトガイスト)〉や〈グレムリン〉たちに理解を示すことができたのは、彼のその能力のためだったというのか。
 誰も口を開こうとしなかったので、ロメスは説明を続ける。この話し合いは、いまや彼の独擅場となっていた。
「まあ、仮に素質はなくても、土星では〈見守る者〉の家に生まれたというだけで、人々から信用を得、話す言葉に耳を傾けてもらえる。そういった点から、土星方面軍内に横たわる、派閥によってできた深い溝を、彼なら公正な立場から埋めることができると考え、我々は今回の人事を行ったのだ」
 言い終えると、ロメスは大きく息をついた。伝えるべきことは伝えたとばかりに、緊張の絃を緩める。初めは仮面のように無表情だった顔も、「エビネを取り戻す」という重大な任務によるプレッシャーからくるものだったのだろう、いまは幾分人間らしい表情が浮かんでいた。
 一方ウィルは、途方に暮れていた。土星の状況を考えると、エビネを無理に引き止めておくことは難しかった。〈森の精(ヴァルトガイスト)〉が彼を必要とする理由は、あまりにも小さすぎる。
「仰ることはよく理解(わか)るが……」
「それに――」
 それでも抵抗を試みようとウィルが口を開きかけたところへ、ロメスの声が重なった。気勢で圧されてしまったウィルは、思わず口をつぐんだ。
 しかし次に発せられたロメスの言葉は、ウィルの揺らいでいた考えを、元あった場所へと引き戻すこととなったのだ。
 そんなことになるなど思いもしないロメスは、追い討ちとばかりに言葉を重ねた。
「また、将来彼が手にするであろうコネクションと財は、土星だけでなく〈機構〉にとっても有益なものとなるはずだ。彼は〈サガノ〉財閥のご令嬢の許婚だ。この縁組が成立すると、彼は政財界のトップたちと繋がりを持ち、巨万の富を得る。そして〈機構〉は、〈サガノ〉グループのさまざまな技術を取り込む足がかりを掴むことになる」
「それは凄い。〈サガノ〉なら〈森の精(ヴァルトガイスト)〉がいまやってる開発なんか、半分以下の期間で終わらせちまうぞ」
 技術屋のイザークが呻いた。
 太陽の恩恵に薄い土星は、農業より工業技術の発達に重きをおいて成長してきた。いまでは木星を凌駕するほど彼らの技術は発達し、その製品や資材は太陽系中に輸出されている。
 そして、数ある土星の経済基盤を支える企業の一つに、〈サガノ〉グループがあった。
 〈サガノ〉の造る宇宙船や航空機は非常に優れており、耐久性や速度といった性能面では「〈機構軍〉など足元にも及ばない」と人々に噂されるほどだ。
 コストを下げるために濫造するということはなく、そのため製品の価格は高めに設定されている。だが総体的なコストパフォーマンスは下手な量産モデルよりいいぐらいで、各惑星を定期的に繋ぐ航宙会社のほとんどが、〈サガノ〉の旅客船を採用していた。また、主に運び屋として太陽系中を飛び回る〈宇宙生活者(ノマド)〉といった船乗りたちにとっても、小回りの利く足の速い〈サガノ〉の船は憧れの的なのである。〈宇宙生活者(ノマド)〉たちの間では、〈サガノ〉のクルーザーを持てるようになると一人前だと認められる。
 それほどの技術を持ちながらも、〈サガノ〉は決して軍事産業には手を染めようとしない。軍事に参入すれば濡れ手で粟だというのに、ここの経営陣は少々頑固な職人気質なのか、あくまで取り引きの相手は民間に限っているのだ。
 その〈サガノ〉の技術が手に入れば、〈機構〉や〈機構軍〉が使用する艦船のスペックは向上し、惑星開発や警備力を飛躍的に伸ばすことができる。
「土星方面軍の調和と〈機構〉の技術進化のためにも、エビネ准尉は必要だ。しかし彼が土星以外の場所にあっては、その目的を達成することは叶わない。故に、彼の価値は土星にあってこそ、その真価を発揮できるのだ」
 〈森の精(ヴァルトガイスト)〉側の意気を殺ぎ、畳みかけることに成功したと感じたのだろう。ロメスは満足げに〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の面々を見回した。しかしウィルの鼻白んだ顔を期待していたロメスは、そこに期待していた顔がないと判ると訝しそうに眉根を寄せた。
 ウィルはきょとんと目と口を丸くして、ロメスを見ていた。そしてその顔のまま、呆れ返った声を土星からの客人に浴びせかける。
「貴官らはエビネ本人ではなく、彼にくっついてくる『おまけ』をあてにしてるのか? 失礼な話だな」
「『おまけ』だと?」
 ムッとしたように、ロメスは聞き返した。予想と違う展開が気に食わなかったのか、一時和らいだ表情がまた強張ってゆく。
 顔を引き攣らせる先任大佐に向かって、ウィルはさらに突っ込んだ。
「そうだろう? 〈見守る者〉のことにしても、〈サガノ〉のことにしても、彼個人の能力とは関係がない」
「彼は〈見守る者〉としての素質を持っており、それが彼の能力だと言ったはずだが?」
「何が『〈見守る者〉としての素質』だ。そんなモノなくても彼を利用するつもりだ、と貴官が明言したではないか。つまり早い話が、『エビネ本人』ではなく、彼の『装飾品』が欲しいのだろう、貴官らは。だがそんなものは、本人次第で捨て去ることができるもんだぞ」
 ウィルはわずかな時間とはいえ、こんな奴の話に納得しかけた自分が馬鹿らしくなってきた。そして彼は、「もう揺らがない、自分の設定した『エビネに決定権があることをロメスに認めさせる』というラインを死守しよう」と、改めて心に誓った。
 ひと呼吸おいて、ウィルは穏やかに切り出した。
「エビネ准尉は他人に対してだけではなく、自分の心にも素直だ。そして聡い。必要とされているのが自分ではなく、『おまけ』の方だということはすぐに気づくだろう。その時、彼が協力を快く引き受けるとは思えない。そうなると貴官らは、使えない彼を何のためらいもなく切り捨てるんじゃないのか? だったら、いまのうちに協力するかどうか彼自身に決めさせれば、それまでの時間と経費を無駄にせずにすむとは思わないか?」
 言葉を切って、ウィルはロメスの顔を覗き込んだ。
 彼の意見を不愉快そうに聞いていたロメスは、数瞬の間をおくと、「やれやれ」とばかりに頭を振った。口元に嗤笑を浮かべ、氷色の瞳で自分を覗き込む男を下目に見て言う。
「どうも、准尉や貴官らに選択権はないのだということを、理解しておられないようだな。エビネ准尉を土星に戻すことは、統合作戦本部(エウロパ)によってもう決まっていることだ。ここで貴官らがどう抗おうと、決定が覆されることはない」
「すでに決まったことなら、その時点で何らかの指示が我々にもあるはずだ。しかし〈森の精(ヴァルトガイスト)〉は、統合作戦本部はもとより、カリスト司令本部からも、そのような指示は受けていない。貴官が勝手にそう思っているだけなのではないのか?」
 大上段に構えてくるロメスの攻撃を、ウィルは躱した。言いつつ横目でハフナー中将を見遣る。この件の結末はもう決まっていたなど、聞いてはいない。どういうことかと、目で訴えた。
「それなんだがな、ウィル」
 オブザーバーとして立ち会っていたため、それまで発言を控えていた中将は、苦々しい表情で口を開いた。
「カリスト司令本部は今朝、統合作戦本部から『准尉をロメス大佐に渡すよう、〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官を説得しろ』という指令を受け取った。これは実質上、『准尉を土星に帰す』と統合作戦本部が決定したと考えていい」
「納得できません! いや、するつもりもない! 彼のキャリアが潰されると判っていて、それを見過ごすわけにはいかないっ」
 ウィルは思わず椅子を蹴って立ち上がる。
 いくら〈機構軍〉にとって有益だろうと、隊員の人格を無視して利用するなどもってのほかだ。指揮官から「物」扱いされて、部下たちの士気が上がるはずもなく、また彼らが己の命をその指揮官に預けるわけがないではないか。
 部下を束ね、気持ちよく任務につかせるには、相手を能力を信じ尊重することだ。そのことをウィルは、〈後方トロヤ小惑星群〉基地や天王星といった最前線で学んだ。
 しかし後方任務しか経験のないロメスは、命令さえすれば部下が従うものだと思っている。前線なら、そんな横柄な態度をとりつづけていると「意外な方向からの流れ弾」に当たりかねないというのに。そういった危機感がロメスにはないのだ。だから部下たちを物のように扱える。
「ハフナー中将。自分は、中将の『部下を尊重する』という考えに救われて、ここまで来ることができました。そして『自分も部下を持ったら、ハフナー中将のようになろう』と努力してきたつもりです。なのにその中将が、エビネ准尉を見捨てろと言うなんて」
 怒りもあらわに、ウィルはハフナー中将に食ってかかった。しかし中将は辛そうに顔を歪め、ただ黙ってウィルの目を見つめ返すだけだ。その中将に代って、ロメスが口を開く。
「閣下は、現在の士官一人のキャリアより、未来の士官二人のキャリアを優先されたのだよ」
「どういう意味だ?」
 勝利を確信して胸を反らすロメスに、ウィルは剣呑な口調で聞き返す。優位を取り返してご満悦の男は、ウィルとイザークを交互に見て言った。
「お二方のご子息はそれはそれは優秀で、来年には幼年学校に入られるとか。軍上層部からも『将来、素晴らしい指揮官になるだろう』と注目されているそうだな」
 ロメスはここで一旦言葉を切り、狡猾そうな目を二人に向けた。
「ところが先日、今回の件にご子息たちが関係しているのが判明して、上層部ではちょっとした問題になったのだよ」
「――!」
 ウィルとイザークは思わず息を呑んだ。
 〈グレムリン〉たちのクラックがバレている。
 怒りのためにウィルの頭に上っていた血が、一気に引いた。だがそれは、却って彼を冷静にさせる効果があった。
 ここで大袈裟に反応しては、奴の思う壺だ。それにヴァルトラントの不確かな将来を守るより、行き止まりの道に放り込まれようとしているエビネを守る方が重要だ。まだ子供のヴァルトラントにはいくらでも道はあるし、先は長い。息子を守るのはエビネを守ってからでも遅くはないはずだ。
 一瞬のうちにそう結論を出したウィルは、ふっと肩の力を抜いた。そしてとぼけたような目をロメスに向けて言った。
「それで?」
 嘲笑うかのように口を歪めて見下ろしてきたウィルに、ロメスは一瞬怯んだ。彼の予定では、ウィルは息子のことを想って動揺するはずだった。なのにどうして彼は平静でいて、自分が動揺しているのだ。
 辛うじてその動揺を抑え込んだロメスは、それを誤魔化すためにさらに声を張り上げると、〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の大佐たちに手札を突きつける。
統合作戦本部(エウロパ)上層部では、意見が真っ二つに分かれている。『いくら優秀であっても、勝手なことをして〈機構軍〉に不利益を与える可能性のある者を、懐に抱えるわけにはいかない』という一派と、『この歳でこれだけのことができる者を安易に手放し、もし敵対するようなことになったらどうするのだ』という一派とだ」
 反応を確かめるように、ロメスは全員の顔を見回す。しかし睨みつけるようなウィルの目に、慌てて顔を背け、演説を続ける。
「そのことを閣下に申し上げると、いたく心を痛められてね。だが幸いなことに、その時はまだ、統合作戦本部(エウロパ)ではどう対処すべきかの議論が続いていた。そこで私は閣下に提案したのだよ。『もし、素直にエビネ准尉を手放すよう〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官を説得していただけるのなら、子供たちのやったことは不問にするよう統合作戦本部(エウロパ)に口添えしましょう』と」
 そして中将はその提案を呑んだのだ。しかしウィルはそれを責めるつもりはなかった。中将は子供たちのことを思って決断してくれたのだ。
 ウィルはチラリと、気まずそうに汗を拭いている中将を見た。自分とロメスの板挟みで苦しんでいる中将に、申し訳なく思う。と同時に、己の目的を達成するため最低の手段を使った男に、嫌悪感を抱く。
 ウィルは侮蔑のこもった口調でロメスに言った。
「それは、うちのガキどもの将来をチラつかせて、中将を脅迫したということか?」
「脅迫ではない。『交渉』したのだよ」
 ロメスはニヤリと笑う。だが、その目は笑っていなかった。ウィルの出方を探るように、おどおどし、不安が見え隠れしていた。
 ふとウィルは気づいた。ロメスは虚勢を張っているのだ。「権力」をバックにつけていてるから強気に出られるのであって、その「権力」が通じなくなれば途端に弱気になる。奴の本質はいわゆる「虎の威をかる狐」であって、かなり小心者なのではないか。そして小心者は、自分の身の安全を第一に考えるものだ。
 その時ウィルの頭の中で、ゆうべトニィが残した「保身のため」というピースが、音を立ててはまり込んだ。
 ちょっとカマかけてみるか。
 ウィルはロメスに向かって自分もつられたように笑って見せると、皮肉の風味を利かせて切り出した。
「ものは言いようだな。で、今度は俺たちと『交渉』するつもりなんだな? そこまでして准尉を取り戻したいのか? いやはや、ご苦労なことで。ところでひとつ聞いておきたいんだが、いいかな?」
「なんだ?」
 ロメスが警戒心もあらわに応える。
「『土星方面軍のため、〈機構〉のため』なんてキレイごと言ってるが、ホントは准尉を取り戻せなきゃ自分の首が危ないとか言うんじゃないだろうな?」
 相手が上手ならば、単なる冗談として躱されるはずだ。しかしロメスは、この発言に激しく反応した。
「なっ、何を馬鹿な! 私は純粋に、〈機構軍〉のためを思ってっ!」
 顔を真っ赤にしてロメスは否定した。興奮のあまり言葉を喉に詰まらせる。そんなロメスに〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の面々とハフナー中将は唖然となった。必死で言い繕う男をポカンと見ていたが、数秒後、一斉に失笑を洩らした。
「クリティカルヒットかよ」
 笑いを堪えようと口を押さえているイザークが呟いた。しかし呟きにしては大きすぎ、笑いを噛みしめている者たちをさらに煽った。
 図星を指された挙句、中将にまで笑われ、ロメスはいっそう顔を紅潮させて絶句した。
 〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官は拳でニヤニヤ笑いを隠しながら、羞恥と怒りに打ち震えている男の顔を見回し、嫌味たらしく大袈裟に何度もうなづいた。
「ふーん、なるほどねぇ」
 何のことはない。ロメスは自分自身のキャリアのために、エビネを手に入れようとしていたのだ。彼は恐らく、「もう後がない」と焦っているのだろう。なにしろ「分裂している連中を何とかする」という任務に一〇年近くを費やしている。にもかかわらず、芳しい結果が出せないでいるのだ。次に何か揉め事でも起これば、「生贄」にされる可能性はかなり高い。良くて閑職、下手すると「海王星送り」か。
 だから彼は、エビネの「おまけ」に頼るという手段に出た。そして自分の策に溺れた。
 全て理解したウィルは、化けの皮を剥がされて手も足も出なくなっているロメスに、満面の笑みを見せた。そして親しい友人にでも話しかけるように口調を崩すと、ロメスに囁いた。
「何も恥じることはないさ、ロメス大佐。人間誰しも、自分が一番かわいいもんだよ。かく言う俺も、今度来る新人が気に入らなくて、子供たちに人事データを書き換えさせたぐらいだからな。なんせうちは『新人潰し』と呼ばれてるぐらいで、今度新人に逃げ出されるようなことにでもなれば、上からのお小言じゃすまないところだったもんでね。まあ、まさかここまで大事になるとは思わなかったが」
「ウィル!?」
 突然子供たちの犯行を認めた〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官に、イザークたちは慌てた。まだ言い逃れる余地はあるというのに、こちらから認めてしまっては、相手を有利にしてやるだけではないか。
 しかしウィルは、片手を挙げて非難の声を上げた連中を抑えた。ロメスは自分を見下ろす男が何を言い出すのか量りかねて、戸惑っている。
「俺だって自分がかわいいし、子供たちもかわいい。あんたが自分のためにこういった『交渉』をするのなら、俺だって同じ手を使わせてもらう」
「どうするつもりだ?」
 かすれた声でロメスは呟いた。
 それに対し、ウィルは声高らかに宣告した。
「いまのやりとりを全て、統合作戦本部(エウロパ)の軍政監理部へ提出する。どちらに非があるのか、そこで判断してもらおうじゃないか」
 軍政監理部は、軍隊内における不正な行為を監視する独立した機関だ。主に文官によって構成され、武官だけで構成された幕僚監部をも取り締まることができる。ウィルが子供たちを使って人事データを改ざんしたことと、ロメスが自分の保身のためにハフナー中将を脅迫したことの是非について、彼らなら公正に判断してくれるだろう。
 とはいうものの、ウィルは実際にそこまでする気はなかった。
 これはロメスへのはったりだ。何しろ、そもそもの始まりは〈グレムリン〉のクラッキングであって、それさえなければこんなことにはならなかったのだから。つまり、ウィルが軍政監理部へレポートを出すのは、自分の首を締めるも同然の行為なのである。
 だが充分「取り引きの材料」として通用すると考えた。
 虚栄心の強いロメスなら、査問会に呼び出されて「軍歴に傷がつく」のは避けたいはずだ。土星方面軍司令部での立場が危うい彼にとって、それは致命傷になりかねない。
 それを十二分に理解したロメスは、憤怒の形相で握りこぶしを小刻みに震わせた。
 しばらくの間、血走った眼でウィルを睨みつけていたが、ある瞬間、何かが彼の中で切れた。不意に顔を歪めると、震える拳をテーブルに叩きつけた。
「どうして貴様ばっかり……貴様ばっかり、何もかも手に入れるのだ! 勲章や名誉だけでなく、上司や部下、友人、女に恵まれ――そのうえ、エビネ准尉までも手に入れようとするのか!」
 ロメスの叫びが応接室に響き渡った。その剣幕の凄さは、声をかけるのもためらわせるほどだ。ウィルたちは呆気にとられ、ただ目を丸くするしかなかった。
 一旦噴きだした言葉は止まるところを知らず、延々とロメスの口から溢れ出す。
「あのチェス大会の時だってそうだ。あの日、貴様が試合をすっぽかさなければ、私は〈譲られたチャンピオン〉という不名誉な称号を与えられることもなかったのだっ。その称号がどれだけ屈辱的なものか、貴様には理解(わか)るまい。どこへ行っても後ろ指をさされ、笑いの種にされるのだぞ」
「そりゃ悪かった。ごめん」
 唐突に個人的な攻撃を受けて、ウィルは目をぱちくりさせた。どう言っていいか判らず、思わず素直に謝る。だが喚きつづけるロメスの声は、ウィルの謝罪をかき消した。
「ロックウッド大将に言って木星からやっと追い払ってやったと思ったら、今度は天王星で英雄あつかいだ。一方私は、土星で終わりのない喧嘩の仲裁ときた。こんな理不尽なことがあるかっ」
「あんたかっ、大将にチクッたのは!」
 意外な事実を知って思わず突っ込んだウィルに、ロメスも反射的に返す。
「ああ、私だっ。私が大将に、貴様と大将の愛人とがデキてることを『報告』したのだ」
「『報告』って」
 自分に都合のいい言い方しかしないロメスに毒気を抜かれたウィルは、へなへなと椅子へ倒れこんだ。
 ウィルは一三年前、当時のエウロパ東部方面防衛部隊司令官だったロックウッド大将の愛人に手を出した結果、天王星へ左遷(とば)された。大将にバレた原因は誰かの密告によるものだったのだが、密告者を知ったからといってどうこうするつもりもなかったので、気にも留めずに放っておいた。それがいまになって密告者が現れ、自白するとは。
 もちろんウィルは、いまさら密告者を咎めるつもりはない。いや文句を言うどころか、むしろ「密告してくれてありがとう」と言いたい気分だった。ロメスが密告してくれたからこそ、いまの自分があるのだ。天王星に行ったから妻にも出会え、ヴァルトラントを手に入れることができたのだ。
「貴様を潰してやろうと、ずっと考えていた。なのに……どうして……」
「ロメス大佐……」
 感慨深げに、ウィルは力尽きて項垂れるロメスを見つめた。
 彼は彼なりに苦労してきたのだろう。しかし、それもウィルへの恨みを糧にしていたからこそ、耐えてこられたのかもしれない。
 ふと、ウィルはロメスに共感した。恨みつづけることによって「自分」を保っていられる部分が彼にもあった。それが天王星へ行ったことに起因するのは、皮肉としか言いようのないことだが。
 しかし共感を持てたからといって、この「戦い」を止めることはできなかった。己の部下を守らずして、何が指揮官だ。一度でも部下と認めた者が他人の自分勝手な都合から利用されると知って、見て見ぬふりなどできようか。
 俯いて肩を震わせているロメスに、ウィルはそっと声をかけた。
「初めからやり直そう、大佐。俺が試合をすっぽかしたせいで、あんたに迷惑かけたというのなら、もう一度チェスの試合をしよう。公式試合ではないので、チャンピオンの栄誉を賭けてというわけにはいかないが――あんたが勝ったら、俺はエビネ准尉に『土星へ帰れ』と命令する。逆に俺が勝ったら、あんたは准尉の意思を尊重する――というのはどうだろう?」
「――!?」
 ロメスが憔悴しきった顔を上げ、愕然とした目をウィルに向けた。ロメスだけでなく、その場にいる全員が、ウィルの顔に見入っていた。
「なぁ、悪い取り引きでもないだろう? あんたが勝てば、堂々とエビネを連れて帰れるし、もしあんたが負けても、エビネの返事次第であんたに軍配が上がる可能性もあるんだから。それに、俺が勝てる確率は限りなく低い。なんせあの時、『どうせ負けるだろう』と思ってトンズラしたんだからな」
 ロメスの目がひと回り大きくなった。
「な!?」
「たぶん、俺に賭けてた連中が、悔し紛れに『俺が勝ちを譲ったんだ』と言い触らしたんだろう。でもな、ホントは俺は俺であんたが怖かったんだよ」
 ウィルは苦笑して肩をすくめた。
「貴様が……私を……?」
 喘ぐようにロメスは首を振る。自分が〈怖いもの知らずのウィル〉から恐れられていたなどとは、想像もしなかったのだろう。
 判断に迷うロメスに、ウィルは最後の条件を告げる。
「その代わり、どういう結果になってもお互い文句はなしだ」
 穏やかに響いていたバリトンの声が途切れ、室内に静寂が訪れた。
 ウィルの目を見つめていたロメスはふと視線を外すと、今度はテーブルへ落とした。一点を見据えたまま、心を落ち着かせ、じっと考え込む。
 長い時間が必要だった。だがウィルは急かすことなく、ロメスが答えを出すのを待った。不安はなかった。向こうが有利と思える餌をぶら下げたのだ。絶対喰らいついてくると確信していた。
「……いいだろう」
 やがてロメスは、予想どおりの答えを返してきた。
 ウィルは大きくうなづく。
「決まりだ。では、今日はお互いゆっくり休むとして、試合は明日以降ということでいいかな?」
「結構だ」
 〈森の精(ヴァルトガイスト)〉司令官はロメスが首を縦に振るのを確かめると、次にハフナー中将に向き直った。
「審判は中将にお願いしてもよろしいですか?」
「構わんよ」
 一時はどうなるかと冷や冷やしていた中将は、ほっとした様子で肯くと、一段落がついたと判断して席を立った。そのままロメスを促すと、イザークたちとともに部屋を出て行く。
 そして中将たちを見送ったウィルだけが部屋に残った。彼は疲れた顔で椅子に身体を預けると、ぼんやりと天井を見つめて大きく息をついた。
 これでとりあえず時間を稼ぐことができる。エビネが心の整理をつける時間と、〈分裂する惑星間通信(パケット)〉の解析にかかる時間と――。
 そして、あとは試合に勝つだけだ。とはいえ相手は「チャンピオン」とあって、これがまた難関なのだが。
「まずったかなぁ。勝てるわけないだろーが」
 独りごちながら、ウィルは自嘲した。ひとしきり肩を揺らしていたが、笑うのに疲れると、もう一度大きな溜息をついた。
 何とか自分の望む展開に持っていけたというのに、気分は良くなかった。
 彼は、体制や権力を振りかざして抑えつけようとする連中に対しては、少々卑怯な手段でも平気でとることができた。だが、反撃手段を持たない、あるいは失った者に対しては、フェアな態度で接するよう心がけていた。しかし今回成り行きとはいえ、相手の弱みにつけ込んでコトを進めてしまったのだ。
 これでは結局、自分もロメスと変わらないではないか――そう思うと、ウィルは暗鬱な気持になった。
 三度息を吐き出し、何気なくテーブルの上に置いてあった眼鏡を取り上げると、淡い色のレンズを覗き込んだ。
 レンズに映るどんよりとした己が瞳を見て、ウィルはふと退出時のエビネを思い出した。
 彼の瞳は暗く沈んでいた。
 もしかすると、決定権を与えたことによって、逆に彼を追い詰めてしまったかもしれない。
 そう思い至り、ウィルは突如胸騒ぎを覚えた。
 そして半日後、「エビネが〈森の精(ヴァルトガイスト)〉から姿を消した」という報告を聞いて、その胸騒ぎが気のせいでなかったことを知った。
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登場人物紹介

◆《グレムリン》1号・ヴァルトラント。とても10歳とは思えない言動をする小生意気なガキ。
◆彼にはいろいろと「事情」があったりするのだが、それはお話が進むにつれて明かされる……はず。

◆《グレムリン》2号・ミルフィーユ。ヴァルトラントに振り回されつつも、絶妙なコンビネーションで《森の精》を引っ掻き回している。ヴァルトラントより5ヶ月遅生まれだが、成績は上らしい。理系には強い。

◆グレパパ1号・とーちゃんこと、ウィルドレイク・ヴィンツブラウト大佐。本来、本能で行動するタイプなので、ゴチャゴチャ考えるのは苦手。事務仕事は、ほとんど副官が片付けている。
◆ちなみに読者の間では、グレキャラ随一の人気を誇る。《グレムリン》とエビネの立場は一体……。

◆《グレムリン》のいたずらによって《森の精》に赴任することになった気の毒な新米士官、エビネ・カゲキヨ准尉。
◆実は、彼は意外な特技――というか資格をもっていたりする。

◆《森の精》基地副司令官アダルベルト・クリストッフェル少佐。機体を精確に飛ばす技術ならヴィンツブラウト大佐を上回る。
◆自称《グレムリン》擁護派筆頭で、大佐たちが《グレムリン》たちのしでかすことに頭を悩ませる中、少年たちのいたずらを純粋に楽しんでいる。

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