第1話

文字数 10,511文字

1章

 違いを受け入れなくてはならない。
「時差ぼけが直っていないんですよ」
「そこを何とかするんだよ。言葉を変えたって状況は変わらないぞ?」
 目の前の担任の教師に説き伏せられる。寝起きは最悪だったが担任の不機嫌に比べれば良いほうかもしれない。
「こっちに来てから半年も経っていません。地球の裏側とは違いすぎるんですよ」
「授業中に居眠りしている理由になんねえぞ?!」
 さらに担任の態度は悪化していく。
 少しの無言の後、教室の戸を開けて、金髪の少女が顔を見せる。
「先生? 陸上部の人たちが待たされているから来てくれって言っています」
 少女が担任に話しかける。
 担任の教師の指導を切り上げる機会を感じ取る。
「善処します」
「親がいなくて大変かもしんないが自分の人生は自分で切り開くもんだぞ」
 ありきたりで体育会系の助言をする。ありきたりであったが、これ以上の良い言葉を引き出すことはできないだろう。他人の力になるというのは難しいものなのだ。
 面談は終わった。面談と言うよりも個人指導だ。だが、森瀬冬気は不良というわけではない。
 冬気とクラス担任は教室を出る。
「気をつけて帰れよ」
 そう言って、担任は職員室に戻っていく。あるいは部活のほうを見に行くのだろうか?

 教室の前の一本道の廊下をゆっくり歩くと二人の生徒がいる。
「冬気、どうだった?」
「問題ない。注意されただけですんだ」
 茶色の木目の柄付きメガネの生徒が尋ねてくるのに冬気が答える。
「無理もない、地球の裏側から引っ越してきたんだ」
「そうなのだが、新しい生活のために早いとこ古い生活と縁を切らなければ……怒られ続けることになる」
 友人に答える冬気の言葉に疲れが感じられる。
「ついでに蹴られ続けることにもなる」
「たけおの言う通りよ、居眠りなんてしているからそうなるの」
 金髪の少女がたけおという名のメガネの少年の言葉に答える。少女は、金髪の長い髪の毛を後ろで束ねて金色の滝のように背中に流している。
「桜花のおかげで目が覚めたよ」
 冬気が桜花と呼んだ少女が、授業中に居眠りしている冬気を蹴って起こしたのだ。その様子を見られて、教師に放課後に注意を受けた。
 三人は廊下を歩き出す。校舎では今日の授業は終了していて生徒の姿は見当たらない。
「まあ、最近は寝ていることのほうが多いからな」
冬気は自分の失態を恥じる気持ちを振り払うように言う。三人は廊下から階段に移る。下駄箱までは遠くない。
「彼女は君のためを思ってやったんだ」
 冬気が先を行くので自然にたけおが階上から声をかけることになる。
「わかっているよ」
 ありがとう、と二人の友人に礼を言う。冬気にとって彼らはこの国に戻ってきてからの最初の友人たちである。
 三人が昇降口に到着するとそこに他の生徒はいなかった。朝の騒々しさとは逆で静寂が覆っていて、登校時に感じなかった広さを認識してしまう。下駄箱に付いている鉄製の蓋を勢いよく閉めると、その音が昇降口に響く。
「おや? 閉まっているのか?」
 緑山たけおが昇降口の戸が閉まっているのを見て声を上げる。
「時間的にまだ鍵は閉まっていないはずだ」
「まだ夕方にもなっていないわ」
 そう言いながら冬気が自分で試すために近づく。戸のガラスに顔が映る。やる気が無さそうに見えるが、消えかかった炭火のようにどこかに熱意がくすぶっているような顔だ。
「鍵はかかっていないな」
 容易にそれは開く。単なる早合点である。
「たてつけが悪かっただけね……一瞬、焦ったわよ」
 桜花の言う通りで、昇降口の戸が固まっていただけだ。滑りが悪いようだ。
勘違いした三人は学校を足早に出て帰途に着く。
「帰りにどうする?」
 校舎が見えなくなったあたりで桜花が聞いてくる。
「とくに予定はないな」
 たけおが桜花の問いかけに答える。
「帰るにはまだ早すぎるからどこかへ寄って行こう」
「こういうとき住んでいるところが固まっているの便利よね~」
 冬気の提案に桜花が答える。
 三人はお互い近所に住んでいる。桜花の家は冬気の家の隣にあるし、たけおの家は向かい側にある。冬気の家族が引っ越してきてから近所付き合いが始まった。それ以来、三人で一緒に行動している。
 話し合いの結果、三人はショッピングモールへ行くことに決める。
「だって新しい電化製品とか見たいし」
「いつも同じ事を言っているぞ」
桜花の言葉にたけおが言う。周囲の人々は誰もが同じ評価を彼女に下している。
「そんなことないわよ、それよりも他に提案がある?」
「ないよ」
 冬気が答え、たけおも肩をすくめている。他に提案は無さそうだ。
 桜花はいかに自分がメカニックを愛しているかを延々と話し始める。
「冬気!」
 二人のやり取りを眺めている冬気に背中から声をかけられる。いつのまにか灰色の車が停まっていて中年の男性が顔を出している。その人物は筋肉よりも骨が目立つ外観をしている。
「父さん、なんだい?」
 冬気が車に近づいて父親に声をかける。
「今、忙しいか?」
「別に、忙しくないよ」
 父親の質問に答える。三人でこれから遊びに行くところだ。
「私はこれから用事で行くところがある、だから、銀行で食費を下ろしておいてくれ」
 カードやら何やらを渡される。渡し方は無造作で危なっかしい。最後に手の平に収まるぐらいの石の像を渡される
 冬気が渡された物を見る。
「これ何かの動物?」
 像は猫みたいな動物の頭を持った人間にも見える。
「前の出張先で拾ったものだ。お守りだと思ってもっていけ」
「ありがとう。用事ってどこに行くの?」
 像から目を離して質問する。
「昔の同僚だった岩清水さんに会ってくる。なあに大した用事ではない」
 冬気の父親は不安を振り払うかのように話して車を発進させる。冬気がそれを見送っていると、会話が一段落したのか二人が近づいてくる。
「どうやら、銀行に行く用事ができた」
「ついでだし、いいわよ」
 冬気の言葉に桜花が快諾する。
「冬気のおじさんはこれから仕事なのか?」
「ああ、新しい会社の仕事だ。……前の会社は辞めたしな」
 たけおの言葉に答える冬気の言葉には力が無い。
「何で前の会社を辞めたの?」
 桜花が好奇心から聞いてくる。
 彼女は率直なところがある。深い配慮などない。
「クビになった。でも、クビになった理由がまるで分からなかった。親父が次期社長と噂されていたから誰かが不満に思ったのかもな」
 冬気は自分が聞いたことからの推測を話す。
「内輪もめなんてひどい話ね」
 彼女が自分のことのように腹を立てる。彼女はまっすぐな性根を持っている。
「本当のところはわからないし」
 冬気が手に持っている像をなんとなく見つめる。
「それは? 人形ではないな」
 たけおが冬気の手にある像を指摘する。
「汚いわねえ」
 冬気は桜花の歯に衣着せない意見に声を立てずに笑う。そこに冬気の頭の中に獣のうなり声が聞こえてくる。彼女の悪口に腹を立てているかのようだ。
しかし、周囲を見ても動物らしきものはいない。
「どうしたの?」
 桜花が冬気の異変に気付いて声をかける。
「聞こえた? うなり声みたいなの」
「何も」
 桜花はウソをついている様子はない。冬気は再び手の中の像に視線を戻す。
「気のせいだろう」
「そうだな」
うなり声を気にせず像をポケットに入れる。


「いい天気だから、このまま家に帰るのはもったいないわ」
 桜花が歩きながら伸びをして、手のストレッチを始める。今日の天気は雲の無い青空に、髪が乱れない程度の風である。
 彼女が首を回して、肩の筋肉をほぐし始める。そのたびに長い金髪が揺れる。
 彼女はちょっとした天才だ。幼少の頃、庭で発明品を吹っ飛ばしたという過去がある。そういうわけで機械に詳しくて、たまに病的な執着になる。
「おや、いつもいるのにな」
 三人は巨大ショッピングセンターであるクリスタル・モールに到着した。冬気の行き先である銀行はこれの近くにある。
「そうね、あのキャプテン・ショッピングモールはどこに行ったのかしら」
 桜花も疑問の声を上げる。
 二人が言っているのは、クリスタルシティ・モールにおけるイメージキャラのキャプテン・ショッピングモールのことである。ヒーローのようにマントの衣装を着けている彼はいつも店舗の前でパフォーマンスしていた。
「今日は休業なんだろう」
 冬気が推測を口に出す。言った手前か二人よりも熱心に探してしまう。見つける代わりに、モールの前の路上に駐車する不審な車と三人の男を見つける。慌てて彼らから目をそらす。
「どうした?」
「別に……」
 冬気は疑心を持っているが、大通りで偶然見ただけの彼らを疑う理由などない、と思って無益なトラブルを避けるために三人組を無視する。
「そのうち出てくるさ」
「いざとなったら、彼が犯罪者と戦ってくれるといいんだけどな~」
のん気なことを桜花が言い出す。
「キャプテン・ショッピングモールは超能力なんて持っていない、普通の人間だよ」
「全くだ」 
不真面目なのはメガネのフレームだけと、学校で評価されてるたけおが冬気の言葉に答える。
「言ってみただけよ……それよりも」
ヒロインが冬気に近づく。
「成績が下がっているんですって?」
 森瀬の成績が良くないことを指摘される。
「そうだ。こっちの生活に慣れていないせいかもな」
「新しい生活に早く慣れたほうがいい」
 冬気の言葉にたけおが答える。
「私が教えてあげるわよ、地下の研究室で……」
 彼女の発明品で溢れている研究室は冬気には理解できない世界だ。きっと彼女の機械の知識を延々と聞かされることになるに違いない。
「やっぱり遠慮しておく」
 冬気は桜花の提案を断る。

栗須樽市にある中央銀行に入った冬気は、外の喧騒とは場違いな落ち着いた雰囲気の内部に落ち着かなくなり、髪の毛の不ぞろいを気にする。彼の髪の毛はどこへ行っても不ぞろいに切られるからだ。
 銀行で学校の制服は目立つようで、視線を向けてくる警備員に恐々とする。
「警察に知り合いは多いから冬気が捕まっても大丈夫だ」
たけおがそんな冗談を言う。
「普通にしていればいいのよ」
桜花も安心させようと話しかける。
 その恰幅のいい警備員の近くを黒いサングラスの男が通りすぎて、壁際にあるパンフレットを手にとって眺める。だが、冬気は気に留めない。
早く用事を済ませてしまおうと考えて、慣れない手つきでATMを操作し始める。
「警報装置がイマイチね」
冬気の行動を待っている桜花が銀行内の警備システムに対して厳しい意見をささやく。
「最新のものにすればいいのに」
「桜花が開発すればいい」
さらに不満を言い出す桜花に向けて冬気が言う。
「そうね……そうしましょう、交渉してシステムから自動ドアまで改良を」
 桜花の言葉を終わらないうちに、銀行に入ってきた二人組みの男が銃を抜く。白い仮面に黒のジャケットとズボンを着ている。
「全員動くな!!」
さっきの警備員が動こうとするとサングラスの男が銃を背後から突きつける。
「お前も動くんじゃねえぞ?」
 すでに強盗の仲間が中に入っていたようだ。
銀行内にいたほとんどの者が床に伏せる。冬気たちもその場で身をかがめている。
動こうとした店員に発砲して、窓口の近くの飾りが吹っ飛ぶ。
「おとなしくしろ!!」
冬気のいる銀行は3人の強盗によって支配された。
 銀行内の人々がおとなしくしている間に強盗たちは現金をバッグに詰め込んでいる。
「住民が増えて、警察官の数が追いつかないんだって」
 桜花が小声で冬気にありがたくない情報を教えてくれる。
「その結果がこの強盗か」
「そうだ、警察の犯罪に対するカバー能力が低いために起こった悲劇だ」
 たけおが冬気の言葉を肯定するが、警察に知り合いが多いせいか悔しそうに聞こえる。
「キャプテンはどこに行ったのかしらね」
「今日は休みで、そもそもあれはPR要員だ」
人質の人たちが小声で話しているのが聞こえてくる。キャプテン・ショッピングモールはコスプレをした一般人でしかない。
「ここの銀行は、便利であるが、犯罪者にも便利という噂だったが……」
「すぐに警察が来る」
別の人たちの会話が聞こえてくる。銀行にとっては歓迎できない特徴を話している。
 彼らの言うとおり、しばらくするとパトカーが来て銀行を包囲した。外にいる誰かが通報したのであろう。犯人たちは銀行員たちに現金をバッグに詰め込ませている最中だ。
「どうする?」
 銃を撃った男がサングラスの男に聞く。聞かれた男は素顔を見せないようにして顔の部分だけが白いマスクをかぶろうとしている。
「プランBだ」
 彼がリーダーなのだろうか? おそらくプランBは人質を取ることかもしれない、あるいは他の方法があるのかもしれない。見た目よりも計画的に行動しているようだ。
全員が犯人に言われるままに一か所に集められる。
強盗たちは外の警官たちのために緊張しているせいか乱暴に人質を扱っている。
「やめなさいよ!」
 桜花が乱暴な扱いをする犯人たちに怒る。
「うるせえ!!」
 犯人の一人が桜花に銃で殴ろうとする。
考えるよりも先に体が反応して冬気が前に出る。頭に刺すような痛みと鈍くて重い痛みが同時に感じられて、体がよろめく。
「よせ!」
 たけおが桜花の代わりに殴られた冬気の前に出て、強盗との間に割って入る。強盗が冬気たちに銃口を向ける。
 他の強盗が殴った奴をなだめようとする。
「見ての通りだ。逆らえば犠牲者を増やすだけだ」
 冬気が殴られた場所に触ると指先にぬめりが感じられた。
「いう通りにしていたほうが身のためだ」
全員が座らされ、携帯電話を奪われ、銃を持った犯人たちに監視されることになった。
ケガで痛む頭で冬気は状況を整理する。銀行強盗が発生したけれども、彼らは逃げることができず、人質をとって立てこもることになってしまった。
ひょっとしたら、強盗たちを素直に逃がしたほうが人質にとっては良かったのかもしれない。
頭の中に獣のうなり声が聞こえてくる。
冬気が周囲を見ても、誰も気にした様子はない。冬気にだけ聞こえる声のようだ。
「大丈夫?」
 ハンカチを差し出すヒロイン。
「あまり無茶なマネはしないでくれ」
 冬気がヒロインに今さらな進言する。冬気はそのハンカチをケガしたところに当てる。
 銀行内は静かになってしまった。人が一ヶ所に集まったので、そのぶん建物内部を広く感じさせられた。備え付けの電話が鳴り、強盗の一人がそれを手にする。
「警察からだ」
 リーダーと思える男はサングラスから白い仮面へと被りものを変えていて、受話器を渡される。
頭の中のうなり声がうるさくなり、ポケットに入れた像が動物のように震える。
強盗に監視されながら、取り出して小像を眺めるわけにもいかない。
「トイレに行ってもいいかい?」
冬気が近くにいる強盗に訴える。その強盗がリーダーを見る。受話器での会話を一時中断する。
「いいだろう」
強盗の一人が見張りとして付いてきた。そしてトイレの外で見張る。どのみち携帯は奪われたから、外部と連絡することができないのがわかっているのだろう。
「まあ、窓は無いし、見た目から弱そうだしな」
そう言って見張り役は安心する。
なかなかに屈辱的な意見である。しかし、見た目が柔弱なのは確かだ。冬気は強盗に反論もせずにトイレに入る。
 ポケットに入っている怪しげな像を洗面台に置いて、自分のティッシュとハンカチを取り出す。桜花のハンカチを傷口から離して様子を見る。見た感じでは重傷というわけではない。
 冬気は置いてある像のほうを見る。先ほどから色々なことが起きていてうっとうしくなってきているところだ。
「?」
その像が揺らめいて輪郭がぼやける。冬気は見間違いである、と思って目を凝らす。その揺らめきの中から何かが飛び出してくる。
冬気の近くに着地したそれは大型の猫のようにも見える。
 その冬気の腰まである動物は黄色と黒のまだら模様で白いヒゲを生やしている。
 どこからともなく現れたわりには、周囲の環境に戸惑っている様子は無く、あくびを始める。
「見張りは気付いていないようだな」
 ドアのほうをうかがい、男の声で話しかけてくる。冬気は声をかけようとして口を手でふさぐ。
「私の声は普通の人間には聞こえないぞ? この姿もお前以外の者には見えない」
 口をふさいだまま冬気はドアのほうの様子を見る。そうは言っても冬気の声は外に聞こえるかもしれないから、静かに話さないといけない。
「いったい何者だ?」
 外に漏れないように静かな声で聞く。驚かないのは、命の危険があるから。
「私こそは密林の精霊、狩人の守護者、テスカトリポカの半身、ジャガーである」
 威儀を正してジャガー精霊が宣言する。
 冬気がドアのほうの様子を見る、が外の見張りが入ってくる気配はない。精霊の言うことは本当のようだ。
「それは聞いたことがある。南米の神様だ」
「ふむ、よく知っておるな」
 冬気の指摘を受けて、感心したのか前脚でヒゲに触る。その仕草は動物と変わらない。
「昔、そこに住んでいたことがあってね」
 一時期、父親の仕事で南米に住んでいたことがあった。ほんの一時期だったが。
「お前の犠牲的な精神を見て、我が力を与えるにふさわしいと判断したのだ」
 この状況を打開できそうな流れになったので期待が高まる。
「どんな力? 地球を逆回転させて時間を巻き戻せるとか?」
武器を持った犯罪者の人質になっている状況では中途半端なパワーは意味が無い。
「無理だな」
 落ち着いて言い返される。
 冬気はガッカリする。気落ちしたせいで引き受けるかどうか迷い始める。
「まあ、この建物にいる襲撃者ども蹴散らすぐらいわけがない」
「余計なことはしないほうが」
「私の存在に気づかない相手など、取るに足りん」
 消極的になってきた冬気に対して、ジャガー精霊は雄々しく宣言する。
 トイレの外で犯人が話している声が聞こえる。時間は無い。
決断しなければならないが、どうする? この精霊を名乗る動物の言うとおりにするか? それともおとなしく人質に戻るか? 頭を抱えたくなって、負傷したところを手で触れてしまい、その血が手に付く。
 殴られた頭は痛いまま、手に付いた血を眺める。あいつらには、正義の行いとは別に個人的な恨みがある。
「わかった、力をくれ」
 冬気は申し出を受け入れる。
「うむ」
ジャガー精霊が冬気の背中に乗っかかる。すぐに体重を感じなくなる。内側から力が熱いものがこみ上げてきて、体を軽く感じる。
 手を見ると獣毛が生えて爪が伸びている。洗面台の鏡で自分の顔を確認すると、二足歩行のジャガー精霊に変身していた。
「(今の私はお前の中にいる)」
 精霊が頭の中に話しかけてくる。
ジャガー人間に変身したせいか体を軽く感じる。
冬気が腕を振ると、勢い余って爪が壁をひっかいてキズが付く。
「スッパリと切れたな」
「(その爪は鉄より固いぞ、見た目ではないことを奴らに教えてやれ)」

「おい! 長すぎだぞ!」
 イラついた声で外にいた見張りの強盗が入ってくる。
 冬気は開けたドアの影に潜む。
 入ってきた強盗のすぐ後ろを静かにつける。銃を持っている腕をつかむ。驚いて振りむいた強盗の顔を殴りつける。
「(よくやった!)」
 体の中で、精霊が誉める。
「一発でノックダウンとはすごい力だこと」
殴られた男は倒れて失神している。精霊の与えた力は人間離れしているようだ。
「でも、他に二人残っている」
 気持ちを切り替えて、銃を手に持ち、爪でひっかいてみる。勢い余って、鉄製の銃が二つに切り裂かれる。
 人間ぐらいの柔らかさなら真っ二つに切ってしまいそうだ。
「(この調子でひとりずつ片付けていけばいい)」
冬気はうなずいて倒れた強盗を引きずって奥に運ぶ。
「おい! いつまで便所に入っている?!」
しばらくして、怒鳴り声とともに、別の強盗がトイレに入ってくる。
倒れた強盗は奥に片付けたから入り口からは見えない。
「(この程度なら、後ろから気づかれずに近づける)」
 その強盗が入り口から離れて奥に歩くのを見計らって、言われるとおりに忍び足で背後に近づく。今度の別の強盗は銃を構えて歩いているので、それを狙って爪を振り下ろす。バターをナイフで切り分けるように拳銃が切断されてバラバラになる。
「!!」
 異変に気づいて声を上げようとした強盗の腹に蹴りを入れて黙らせる。さらに爪で被っていた白い仮面を割る。
「頼むから黙っていてくれよ」
 片方の手で口を覆って塞ぐ。外の様子をうかがう、気づいている気配は感じられない。それを確かめてアゴを殴りつけて倒す。
「(においと直感から、他に仲間はいないようだ)」
「直感って?」
「(狩人の直感だ。獲物に対して狩るか狩られるかの駆け引きだ)」
 その直感から感じてみる限りは、さっきみたいに客を装っている強盗はいないようだ。残るは一人。
トイレを出る。元々、トイレ自体が職員用なので、出入り口からは人質たちの様子が見えない。隠れながら人質の元へ向かう。
 ハンターの動きは足音も気配も感じさせない。
 物陰からうかがうと、最後の一人は電話で外の警察と話をしているようだった。
「(あれぐらいならこっそりと近づけるかね)」
「(そうだな)」
 冬気の言葉にジャガー精霊が答える。
 隠れながら接近しようとする。銀行員の職場側の部屋なので隠れる場所は多い。だが、見たところ最後の距離だけは姿を見せなければならない。
 最後の強盗に背後から近づく。
 誰かが息を呑む音が聞こえる。冬気は口に一本指を立てて、人質に静かにするように示す。強盗のリーダーの背後まで近づいて、銃を持ったほうの腕をつかむ。
 怪力でつかめば、相手が痛みで銃を手放してくれるだろうと考えた。
「クソッ!」
しかし、痛みで強盗リーダーは叫び声を上げるが銃を手放さない。
「(速く武器を潰せ!)」
「(わかってるよ)」
 自分にとりついている精霊に返事をして、爪を振るって拳銃を二つに切り捨てる。さらに、強盗の腰のベルトをつかんで投げ飛ばす。人質の様子を見る、大丈夫そうだ。
「(まだ奴が動いているぞ?)」
 精霊が促すように相手は起き上がって、腰に持っているナイフを抜いて構える。
 接近して、突き出してきたナイフを横に跳ねて避ける。身をかわすとすぐに距離を詰めて、ナイフを持っているほうの腕を爪で切り裂く。強盗がナイフを落とす。
「銀行のご利用ありがとうございます」
 軽口をたたきながら冬気は、相手の襟首を両手でつかんで、銀行のガラス窓に投げつける。リーダーはガラスを破って表まで投げられて地面に体を打つ。
 破れたガラスから表の警官たちが見える。
「またのご来店をお待ちしております」
倒れた強盗の破れた部分から刺青が見える。窓に投げたときにガラスで服が切れたのだろう。入れ墨は黒い猫形の猛獣のように見える。
「(ふむ)」
「(あれについて何か知ってる?)」
「(あとで話そう)」
警官隊が突入してくる。彼らを前に冬気はどんな釈明をしようか、と考え始めている。
「(堂々としていればいい、社会の秩序維持に貢献したのだから)」
「(それが問題でねえ)」
 誤解を受ける場合もあって、ジャガー精霊に説明しようとする。
「速いところここからいなくなったほうがいいですよ? インタビューが目的ならいてもいいですが」
 冬気の友人のたけおが立ち去ることを促す。
 彼の親戚には警官がいるからメディアの俗悪についても知識がある。
ヒーローは必ずしも歓迎されるわけではない。
「警察には知り合いが多いから、僕のほうから誤解がないように説明しておきますよ」
 この上なく真面目な態度で話す。
「そうしてくれると助かる」
 冬気はメディアへの露出には興味を持っていない。
「助けてくれてありがとうございます。できればお名前をうかがいたいのですが」
 人質になっていた銀行のお偉いさんだろうか? 握手を求めてきた。
「(名前? ジャガー人間とでも名乗ればいい。密林のハンターにして精霊である)」
「……密林のハンターにして精霊、ジャガーマンである」
 この精霊は感覚が多少ずれているな、と思い始める。
「私たちの友達がいないんです! 一緒に探してくれませんか!?」
 焦った様子の桜花が頼み込んでくる。
 そういえば、自分自身であるところの冬気はトイレに行ったきりだった。
「君たちの友人はすでに僕が助けたよ」
 彼女は安堵の息を吐く。
「これから安全になったことを彼に伝えなくてはならない、呼んで来るよ。じゃあまた!」
 警察やメディアに捕まらないうちに、立ち去る。強化されている身体能力を使えば、並んだパトカーを飛び越えるぐらいわけがなかった。
銀行から離れて、人のいない場所で変身を解く。ジャガー精霊が冬気の体から出てきて姿を現す。
「ふむ、なかなか悪くない相棒であったな」
「お互い様だね」
 ジャガー精霊の感心の言葉に冬気が言う。
「さて、まずは友人に無事な姿を見せてやれ」
 精霊の言葉に冬気はうなずいて歩こうとする、がその前に疑問が湧いてくる。
「それはそうと、あんたの姿は?」
「私は、普通の人間には見えないようにすることができる」
 納得した冬気はジャガーマンに助けられた、と言い訳を抱えて白々しく戻っていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み