第14話:災害と異常気象、東日本大震災

文字数 1,607文字

 2011年は、世界的な異常気象の影響でオーストラリアでは、過去数十年で最悪の事態。今回の洪水では、約20万人の生活に影響が出て、オーストラリアのGDPを0.4%程度押し下げると予想されたが、一部地域では、新たな大雨による被害の拡大も懸念された。同じ南半球のブラジルでも豪雨災害で死者数が806人と発表。2万人を超える被災者が出た。

 2月、オーストラリアの隣、ニュージーランド・クライストチャーチで大地震が起きた。地震被害の死者が155人に達したと発表。最終的な死者数は約240人以上との見られる。ニュージーランド政府当局は、地震発生後に発令された非常事態宣言を7日間延長。4月のアメリカ南部での竜巻、で死者数が少なくとも342人に上り米観測史上、2番目に多い犠牲者となった。

 3月には、東日本大震災という未曾有の大災害が起きた。東北、太平洋を震源とするマグニーチュード9.0と言う、とんでもない規模の地震。2011年3月11日、午後14時47分、父、柳生敦夫は、店番をしてると大きな揺れを感じ店に陳列していた商品が商品棚から落ちた。敦夫が、まず、落ち着けと言い、電気のブレーカーを落とした。

 外に出ようかと考えたが、このまま家の中にいる事にした。10分足らずで揺れが収まった。その後、懐中電灯と電池の入っている小型ラジオをつけてNHKの放送を息を潜めて聞いていると東北の東太平洋を震源とするマグニチュード9.0という巨大な地震が起き、東北地方では洪水で家や車や人が流され、多数の死傷者が出ていると放送した。


 また一部では、火の手が上がって火災が発生。東北の海岸から近い所は、壊滅状態と実況していた。この話を聞いて梅子も呆然として、泣き出した。それを見て、気持ちはわかるが、こんな時こそ、落ち着いて、どうすべきか考えて行動すべきだと敦夫が激励した。その後、敦夫が、水道をひねっても水が出ない。次にプロパンガスが使えるか、やってみると言い試すと使えた。

 その後、大きなポットに入っている、お湯で、お茶を飲んだ。首都圏では、交通網が健全に麻痺して、仕事場や学校から自宅に帰る人の波が大きな国道を埋め尽くした。さらに一部では、帰宅困難者を収容し、飲料水、食事を提供する大企業もあった。多くの人が、2、3時間以上もかけて、自宅に帰える姿が、テレビで放映された。

 仕事帰りで国道を歩いてる大勢のサラリーマン人達の顔には疲労の色が隠せず、早足で歩き続けていた。2時間位して水も出て電気も回復した。そしてテレビをつけると東北の太平洋岸の町で車や家が流されている光景や大型船が町中に押し流されている光景が現れ地震のすごさを感じた。18時頃、仙台近くの港の対岸の海が燃えている光景がテレビに映し出された。

 油が海に流れ出し引火した模様だとアナウンサーが話していた。その後、仙台空港に大津波が押し寄せていると言う報道が入った。どす黒い海水がすごい勢いで仙台空港の1階に入り、人々は2階、3階に避難していた。しかし、洪水の勢いはすごく1階は、もちろん2階にも水があがり、3階、屋上に多くの人が避難している光景も見ていると寒気がして鳥肌が立った。

 内陸部では、ガソリンスタンドに車の行列が並び、ガソリンが売り切れてる映像が映し出された。3月11日と言えば、東北では朝晩、マイナスになる日もあるほどの寒さ。東北道路、常磐道など東北に続く道路は、全て通行止め。東北新幹線の他、列車も運休、飛行機も運休。また、大型漁船が町中に流されて座礁してる風景がテレビ放送で流れた。

 そして、アナウンサーが、できるだけ早く、少しでも高い場所に逃げて下さい。命の危険を感じて素早い避難をと声を張り上げ、放送していた。次に町の高台の、お寺の境内から避難してきた人々が、津波の中に家の2階から助けてくれと言う悲鳴を悲痛な面持ちで聞いてる避難者の顔も映し出した。

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