第3章 第2節 「教授になっていく医者」

文字数 17,573文字

 平成19(2007)年7月──。
 現職任期満了に伴うせんだい市長選挙が公示された。うだるような暑さの中、選挙カーが(かまびす)しく市内を走り回っている。牛尾が腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術(LPD)を成功させて復帰した前職市長と、その下で働いていた前副市長の一騎打ちの構図だ。一方、医局員獲得のための外科の選挙活動はといえば、今月から2年目選択ローテートで回ってきた郡司が当確の花マーク、つまり外科入局を表明してくれた。どうやら、今夏は過ごしやすいようだ。
 学術集会発表用のスライドづくりの続きをしようとノートパソコンを持って赴いた涼しい医局では、大和部長が涼しくない顔をして、総診セミナーの案内チラシを見ていた。
「部長。もう、それ、終わってますよ。でも、DVDが出るみたいですよ」
「なにを呑気なことを──葦原、これが内科系診療科(あちらさん)の候補者だ、救急科部長の」
「えーっ!」
 葦原は案内チラシの中の演者のプロフィールを見た──「米国ジョージア州立医科大学病院救急部副部長」だ。日本にはほとんどいないはずの、救急医療を本業にしている医者が対立候補とあっては、乾先生には分が悪いどころの話ではない。
「なにが楽しくて、七州くんだりまでおいでなさるんですかね。東京で華々しくやればいいじゃないですか」
 白神医師のように、この医者にもなにか密約というか、相応の旨味があるのだろうか──葦原がそういぶかしがっていると、大和部長はニヤリとして言った。
「アメリカ帰りなんざ、東京には腐るほどいるだろうからな、こっちで目立とうとしてるんだろ。鶏口となるも牛後となるなかれ、だな」
「なるほど。しかし……救急医療を本職とする医者が相手って、平田先生、大ピンチじゃないですか?」
「なにを他人事(ヒトゴト)のように。平田先生に勝ってもらわないと、今後、どんな救急ルールを作られるかわかったもんじゃない。どうする、腹痛は外科が全例、開腹の必要性がないと判断してから内科に紹介するようにしろって言われたら?」
「うへー、それは勘弁したいですね」
 北米型ERの本拠地であるアメリカでもさすがにそこまでしないだろうが、白神一派のふだんの診療を考えると、否定しきれないのが怖いところだった。大和部長は数年後、ここに香盤表人事で副院長として戻ってくることになるから、なおさら気になるのだろう。
「葦原も内科系の票の取りこみを頼むぞ」
 大和部長はチラシをクシャクシャにして捨てて出て行ったが、大学院を自主退学してしまった平田先生に、このアメリカ野郎に打ち勝って救急科部長ポストを手に入れようという気があるのか、正直疑問だった。
 気を取り直して、葦原は「SSSS(フォーエス)」、秋の外科系学会合同地方会の発表スライド作りに取り掛かった──が、そのまとめ方で煮詰まってしまった。トイレに行って気分転換をして戻ると、久斯がパソコンの前に座っていた。
「おい、なにしてんだ」
「いまは小児科ローテートです。夕回診までの間の休憩中です」
「違うよ。いま、そこで、なにしてんだ」
 久斯は葦原のパソコンを覗いていただけでなく、キーボードに手を置いていた。
「お手伝い」
「バカタレ。勝手なことするなよ、どけどけ」
 久斯を押しのけた。あまりいじられてはいないようだった。上司のスライドを研修医が勝手に手直しするなど言語道断、前代未聞だが、久斯には伊野や平田先生の論文に絡んだ前科前歴がある。
「秋の地方会のやつですね──開腹の膵頭十二指腸切除術(PD)腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術(LPD)でプロコンですってね」
「開腹のPDってなんだよ。PDは開腹なんだよ。バカタレ」
「へい。でも、このスライドだと、なにが言いたいかわからないですね」
「勝手に中を見るんじゃないよ、まったく。あのな、この領域は術式どうこうじゃないんだよ、結局はな」
 東大医・東大院卒のアラサー研修医に横から言われるまでもなかった。PDは開腹でしっかりやれればそれで必要十分だが、仮にそれが腹腔鏡で安全かつより低侵襲にやれるならそれに越したことはない。でも、開腹でやれることが腹腔鏡でできたからと言って、それでPDを要する患者の予後そのものが改善するわけではない。この領域の腫瘍はおしなべて予後が悪い。外科医としてはやるせないのだが、手術以外の医学の進歩、具体的には効率的な早期発見や効果的な化学療法などの発展を待つしかないのだ。中部班研究担当のSキャリアである吉良先生や楡井もそこにフォーカスして研究している……そういう考えと、術式の是非にこだわるだけの発表スライドのテーマとで矛盾してしまっているのだ。
「そういう高所大所からのご意見なんておいしいところは座長に譲りなさいな。事前に打ち合わせすればいいでしょう。話は術式のことだけに限った上で、プロコンなんですから、守旧派の葦原先生が悪玉(ヒール)、革新派の牛尾先生が善玉(ベビーフェイス)、それぞれがちゃんと役になりきって殴り合わないと、観てる側は興ざめですよ」
「俺らがヒールかよ。やってられないなあ」
 腹は立つが、そうと割り切れば、スライドはまとめやすくなることに思い至った。
「でも、葦原先生たちのこれ、すごいんですね」
 久斯が指さしたのは、七刄会中部班PDの成績の良さをアピールする内容を盛り込んだスライドだ。わかりやすい文言や数値、比較表を差し込んであるので、専門外(しろうと)の久斯が一見しただけでもその価値がわかるはずだ。
「そりゃね。わが七大外科中部班は本邦トップクラス、そして世界屈指であると自認しております」
 大学・民間・ナショナルセンターなど様々な規模の病院で手術が行われているが、七大外科中部班の成績が本邦最高峰であるのは衆目の一致したところだ。外科で本邦最高峰ということは世界有数の好成績なのだ。七刄会をなめるなよ──。
「これ、論文化してますか?」
「いんや。それはまた別の話でさ。どう、まとめたもんか」
「誰でもそうやって巧くやれればいいんでしょうがね」
 研修医のくせに痛いところを突く──久斯の言うように、たとえば真新しい工夫で手術時間が短くなった、出血量が減った、術後合併症が減った、というのであれば学術的知見として発信可能だが、現時点ではどうしてそれが達成できているのかという論点が盛り込めていない。七刄会(うち)で押切先生が手術すればうまくいきますなどというのは、学術集会ならまだしも、論文としては発信しづらいところだった。
「どうやったら巧くやれるかではなくて、どれくらいの巧さならどれくらいの周術期アウトカムが得られるのかってのを示すことにしたらどうですか。そうすれば、PDの到達指標(メルクマール)のような論文になって、ラパロPDの妥当性検証の際にも引用されたりで、被引用回数(サイテーション)も稼げます」
「……………」
 ウロコというより目そのものが落ちるような指摘だった。もう、論文をまとめる方向性も、論文としてまとまったあとの価値も担保されたようなものだった。
「僕に任せてくださいよ。あとでデータを下さいね」
 久斯の目がキラリと光った。
「……やだよ。お前、勝手に論文出すだろ」
 この久斯にデータを預ければ、さっきのような論旨ですぐにでも論文は完成し、かつ発信できるだろう。そうすべきはずなのに、葦原はそうしたくなかった。悔しかった。長年温めつづけた論文を久斯にあっという間に乗っ取られてしまった平田先生も同じ気持ちだったのではないか。
「なにを呑気な。学術集会で発表したら待ったなしです。ハッキングしますよ、先生のPC」
「うるさい、うるさい。論文を出すのにも医局のしきたりがあるんだ。もう、お前、早くアメリカにいけよ」
 久斯は例のスパレジコンテストで優勝したので、間もなく渡米する。例のアメリカ救急医(平田先生の敵対候補)が案内する形で、ジョージアなんとか病院で過ごすようだ。
「気をつけろよ。受験英語や論文英語と生きた英語はまた違うからな」 
 留学経験もないのに葦原は偉そうに言った。実際、ジョージア州と言われても、それが広いアメリカの右か左か上か下かすら知らない。
「僕は大学院中にアメリカには2年くらい住んでましたので、なんとかなります」
「えええ……お前さん、留学経験もあったの」
「本当は海外留学はさせてくれない制度なので、行ったり来たりを繰り返したんですけどね。やっていた研究テーマの最先端が日本じゃないので仕方なかったんです」
 久斯がMD―PhDという制度で医学部の合間に大学院博士課程を終えていたのは知っていたが、まさか海外留学経験まであったとは──葦原はまた腰が砕けてしまった。
「はいはい、私がわるうございました。三代目スパレジさん、どうぞ、ゴーン・トゥ・アメリカ」
「ビーンですよ。戻ってきますから。データくださいね」
 久斯は医局から出ていったが、すぐにまた入ってきた──無視を決め込んで、パソコンの画面から目を離さないようにした。
「葦原先生、お客さんですよ」
「ご無沙汰しております」
 見上げると、宮田がいた。後期研修医としてゴーン・トゥ・トーキョーの宮田だった。
「お、初代スパレジじゃん」
 あまりに意外だったので、そういう言葉しか出なかった。
「えっ、そうなんですか」
 久斯が驚いたように言った。
「久斯、こちらは宮田。ここの初期研修医の第1期生でスパレジで聖マカ病院で後期研修中だ。宮田、こいつは久斯。いま2年目で東大卒。今年のスパレジで近々渡米予定。それとアラサーだ」
「来月でジャスト30歳、研修医2年目の久斯です。初代スパレジの宮田先生のお噂はかねがね。お目にかかれて光栄です」
「東大卒ってすごいですね。宮田です。いまは聖馬可(マルコ)国際病院で後期研修中です。それと、僕より歳上だったんですね、気安く取り次ぎを頼んでしまってすみませんでした。研修医の名札をつけてらしたので、つい」
「大学在学中に先回りして博士号を取得したから、年を食っていても研修医2年目だ」
「……MD―PhD! それもまた、すごいですね」
 東大文科Ⅰ類(ブンイチ)の話までするとキリがないから、葦原は黙った。
「そちらこそ、聖マカなんて超ブランド病院で後期研修中なんですね。東大(うち)からでもなかなか初期も後期も入れないですよ、あそこ」
 眼の前でスパレジ座談会を開かれてもスライド作成に迷惑だから、話の腰を折った。
「久斯はもう行っていいよ──どうしたんだ、宮田」
 葦原がそう言うやいなや、宮田はいきなり床に手をついて頭を下げた。
「葦原先生、俺、戻りたいんです。七大に入局させてください」
 土下座だ。今日はもうスライドづくりは無理だな──葦原は天を仰いだ。
「宮田、土下座なんかするな」
「いえ、俺は許されないことをしてしまいました」
「宮田、患者の腹の中に入れる外科医の手を不潔にするなと言ってるんだ」
「……はい」
 宮田は頭を上げて、手を服で拭った。
「立て。ここじゃなんだから、あとでちょっと外に出よう」
 宮田が立ち上がったところで久斯が割り込んできた。
「飲みに行くんですか。僕も行きますよ。スパレジの先輩がピンチのようですから」
「お前は誘わなくても来るだろ。じゃ……18時にここ集合な」
「回診に行ってきます。宮田先生も久しぶりの仙台でしょうし、牛タンでしょうね。僕が予約しておきますね」
 久斯がバタバタと居なくなった。
「宮田も待っててくれ。仕事、片付けてくるから」
 葦原はPCを閉じて、病棟に向かった。

 夜──牛タン料理専門店『べろにか』。
「じゃ、聖マカ病院でご活躍中の宮田先生の言い分を聞こうじゃないか。東京都心の超有名病院から旧態依然とした七大医局一極支配の田舎に戻ってきたいって言うんだから」
 久斯の音頭で乾杯したあとに、葦原はそうやって宮田をからかった。
「勘弁して下さい。それと、マカじゃなくてマルコです、いちおうこの辺、うるさく直されるんで」
「はいはい」
「聖馬可(マルコ)国際病院はちゃんとしたいい病院です。東京の名だたる有名病院や、内部で初期研修したやつが希望してもなかなか後期研修には採用されないような超人気研修病院で、実際、同期のやつらも意識が高くて頑張るんですよ。後期研修中に海外留学に出たりするものもいますし、研修医で臨床研究をしはじめたりするものもいます。白神先生のコネがあって入れた僕はラッキーでした。その分、ずっとがむしゃらにやっていました」
 宮田の約1年半の東京での後期研修は、どうやら充実していたようだ。
「でしたが、外科の中心となっている時枝部長が、まだ極秘なんですが、来春から東京第四医科大学の教授に栄転されることが決まってしまってから、外科全体が一変してしまって」
 時枝某は確か、例の総診セミナーに来ていた海外留学組の外科医だ。PD平均6時間のやつだ。民間病院から私立とはいえ、大学医学部教授に華麗なる転身と聞いて、葦原は色めき立った。
「それを機に、ついていくだの、辞めて独立するだの──もうゴタゴタしてしまって。誰も、いまの病院でちゃんとやろうっていう感じじゃなくなってしまって。勉強にならないんです。僕にすら、来年からスタッフとして残らないかって声がかかるくらいで。まだ、ろくに手術もできないのに」
 特定の医者個人のネームバリューで人気の病院・診療科には常にそのリスクがある。七大病院でも「良い医者ほどいなくなる」というのはよくあった──偉くなって栄転するか、妬まれて左遷されるか、あるいは潰れてしまうのだ。七刄会は一人の医者に依存しないキャリアシステムが構築されているため、それが一人や二人、教授栄転や学外転出でいなくなっても困りはしない。これが医局の地力というものだ。もちろん、聖マカ国際病院もまたそれなりの医者を見繕って新体制を作るはずだが、そういうドタバタは医者が今後を見直すきっかけになってしまうだろう。
「宮田、青かった隣の芝生が枯れそうだから、もとの芝生に戻りたいのか?」
「いえ、そうじゃありません。七大外科の凄さを知らなかったんです。東京に出ても、七大外科の評判のよさはそこかしこで聞かされていました。時枝部長がよく言ってます、七大の牛尾先生のLPDはすごい、時代を一つ先取りしたようなものだって。押切先生も有名ですよ、あんなに速いPDはアメリカでも見ないって。七大外科がブランドだって知りませんでした。今回のゴタゴタが起こる前から、周りにも、僕はいずれ七大に戻って入局するんだろうって、羨ましがられるくらいで、僕もまんざらでもない気持ちになっていて……」
 葦原はわざとらしく腕を組んで言った。
「ようやくそれにお気づきになりましたか。我々七刄会は、単に田舎でほそぼそと外科をやってきたのではないのです。常にこの領域では研究も臨床も本邦、そして世界でもリードする名門外科学集団なんです。灯台下暗しとはこのことだ」
 七刄会の芝生は金ピカなのだ。七刄会をなめるなよ──。
「あれあれ、

の話ですか」
「久斯はうるさい」
 久斯が食おうとしていた牛タンの皿を取った。
「葦原先生が言ってくれたこと、全部ほんとうでした。僕は未熟でした。本当にもうしわけありませんでした。心を入れ替えてやりますので、七大外科に入局させていただけないでしょうか」
 宮田はまた、テーブルに額を擦り付けんばかりに頭を下げた。そこまで言われると、年寄りはわるい気はしないし、別に若者をいびりたいわけでもない。
「あいわかった。宮田先生が戻ってこられるように、微力を尽くしましょう」
「本当ですか! ありがとうございます。なんとか、お願いします」
 七大卒が七大に戻るのはいたって自然な話だ──牛タンの皿を戻して言った。
「それじゃ話は終わりだ。食おう食おう。久斯は食いすぎだ、新しいのを注文しろ」
 そうしてあとは、普通の飲み会になった。宮田が途中、ポツリと言った。
「僕はただ、焦っていただけかもしれません。研修制度が始まって、七大から離れて活発にやっている同期の話をいろいろと聞いて、居ても立ってもいられなくなって」
 宮田は平成16(2004)年開始の卒後臨床研修制度の第1期生だ。葦原が大学に居た最後の年にスタートしたこの制度は、すぐに破綻し、制度自体がなかったことになると皆が真面目に予想していた。それは実際には外れ、卒後臨床研修制度は問題を抱えながらも定着し、かつそれを奇貨として大きく医療業界が変容し始めている。それが日本の医者と医療にとって本当に良い効果があったかどうかがわかるまでには最低でも10年はかかるだろうが、その黎明期に翻弄された宮田には同情の余地もある。
「あと1年くらい、市民病院にいられたらよかったんだよな、きっと」
 葦原は確信した──卒後臨床研修制度が必修化されてしまった今だからこそ、入局の有無や是非に関係なく、後期研修自体が必然なのだと。そしてそれは例えば、こういう変革の時代に有名研修病院での職歴を足がかりに海外留学の機会を得るなどして、時勢の勝ち馬に乗れるような医者のためではなく、出身地や出身大学所在地の研修病院でコツコツとやっているような、生き馬の目を抜かない実直な医者のためにこそ必要なのだと。それがモラトリアムであっても、あるいはモラトリアムだからこそ必要なのだと──白神

に一本取られた。
「さすが七刄会ですね。東京に出ていった医者が戻ってくるんですから」
 その通りだった。若手医師がどこでどれくらい後期研修をしていようが、医局があるべき姿でありさえすれば、結局はその医局に医者は来るのだ──東大医学部卒の久斯に言われるとどうにも、からかわれている気がしてならないのだが。

 翌日──葦原と宮田は、副院長室で藤堂先生に頭を下げていた。宮田は一度は市民病院と藤堂先生に泥をかけて出ていったのだから、なに食わぬ顔で入局とはいかない。葦原は事情を説明して、宮田と平謝りした。あとはカミナリに撃たれ、灰の中から生き返るしかない──と思ったが、藤堂先生はサラッとした表情で答えた。
「七大外科が名門だと東京でも言っていたか」
 水を向けられた宮田は、小さい声で「はい」と答えた。葦原も続けて言った。
「牛尾も東京で有名らしいですよ、LPDで」
「あれは曲芸だ。いずれはそれも選択肢の一つになる時代が来るだろうが、急ぐ必要はない。PDはしっかり開けて、しっかりつなげばいい」
「左様で……同感です」
 腹腔鏡下胆嚢摘出術(ラパタン)先達者(パイオニア)の藤堂先生におべっかのつもりで言ったのだが、葦原と同じ発想でなんだか嬉しかった。
「回り道してわかることもあるだろう──葦原、あとはお前がうまくやれ」
「かしこまりました」
 副院長室を辞去して、葦原はほっと胸をなでおろした。
「よかったな。宮田」
「はい、葦原先生、本当にありがとうございます」
「今度こそちゃんと、大学院入試の準備をしておけ。医局には俺から言っておく」
 宮田にはまた連絡することにして、解散した。
「……となると」
 葦原は大学病院の牛尾に電話した。今日は大学は外科手術のない曜日だから、この時間なら医局にいるだろうと思ったが、ドンピシャで牛尾がすぐに出た。
「おう、どうだ、LPDは」
「いま3例目の段取り中だ」
「ふうん……がんばれよ」
「なんだよ、葦原。用件はなんだ」
「いや、俺も秋の学会で

するからよ」
「あれ? ああ、シンポジウムの件な。聞いてる。よろしくな」
 牛尾の口調からは、葦原の登壇が不相応と思っているようではなかった。
「それと……牛尾、お前、医局を辞めるつもりはないか」
 数秒間の空白をおいて、電話先から牛尾の声が聞こえてきた。
「冗談はヘタだな、葦原。そんなわけないだろ」
「本当か。いろいろプレッシャーだろ。逃げ出したくならないか」
「毎日、押しつぶされそうだよ。だが、お前や蛇塚の手前、逃げ出すわけにはいかない」
 96年院卒中部班Aキャリアの言葉だった。
「ん。わかった。邪魔したな。LPD、頑張れよ」
 電話を切って、我ながら間抜けなふるまいだなと苦笑した。牛尾に訊かないままに、匿名の辞表の差出人はわからなかったと真田先生に報告したことを葦原はずっと気にしていたので、どうしてもちゃんと訊いて確認したかったのだ。予想通り、それでも結果は変わらなかったけれど、これでミッション・コンプリートだ。
 もう一つのミッションの方で、葦原は真田先生のアポを取ることにした。


 8月──。
 お盆は予定手術を入れないから、ひねもすのたり過ごした後、葦原は大学に来ていた。医局長宛のお中元が大量にあり、ビールをごちそうになった。
「市長もとい元市長、残念でしたね。LPD成功で運を使い果たしたんですかね」
 せんだい市長選挙の結果、牛尾がLPDを成功させた前市長は敗北した。
「こら。そういう言い方しないんだぞ」
 すんません、と葦原は言って、本題に移った。
「七大外科の後期研修プランを考えてみました」
 すでに内容はメールで知らせてあったが、改めて書類を提示した。
「不十分な卒後臨床研修制度に起因する、若手医師に根強いモラトリアム志向の受け皿として、七刄会関連病院で統一的かつ標準的な後期研修プログラムを用意してみてはどうか、というところに考えいたりました」
 葦原の提案した後期研修プランはこうだ──外科系診療科を進路希望とする初期研修修了者を対象に全国から募集を受け付ける。七大病院は初期研修医受け入れに舵を切ったが、七刄会外科は外科志望者には初期研修に引き続き、後期研修も学外での修練を促す。そのため、宮城県下50あまりの関連病院外科(で専門医修練認定施設)を外科志望者に開放する。病院ごとに外科診療にも特色はあるが、基本となる外科技能は共通している。そこで外科専門医の受験資格として求められる3年間をめどに研修してもらう。
 真田先生はその書類を見ながら、言った。
「これは、入局を前提としない、若手のための外科特化型研修制度ってことだな」
「ええ。入局しない若手医師に外科を教えるということです。いまや、どこの病院でも後期研修医の獲得に躍起になっていますが、必ずしもそれは、若手医師本位の後期研修というわけでもありません。その後のキャリア設計を見越しているものではないからです。ならば、七刄会こそが、そういう若手に大いなるフトコロを示す時期ではないかと思います」
「しかし、これだと少なくとも数年間は大学で人手不足に陥る。従来の入局者数年分の空白が生じるからな。大学病院の診療がそういう若手のボリュームで成立しているのは事実だ。大学の人員が減れば、そのしわ寄せは学外の中小病院に及ぶ──そういう批判はどうする?」
 この案では、後期研修期間の数年分、若手医師が大学に入ってこないことになる。派遣している各地から医局員をその分を単純に引き戻してしまえば、学外病院の外科が存続の危機にさらされる。
「はい、その分を後期研修医に働いてもらいます。医者は相応の責任を持って働かないと成長しませんから。勉強はさせますが、ラクをさせるつもりはありません。もちろん、学外病院での後期研修医と指導医の質と量のバランスをとる必要があります。それは医局で柔軟にやらなくてはいけないと思います。従来のような、大量の入局者を前提とする、関連病院にシステマティックかつオートマティックに医者を配置する香盤表人事には無理が生じると思います。ただ、今のままでは、七州宮城県で外科志望医師が入局もしない、後期研修でも残らない、というジリ貧からは抜け出せません」
「損して得取れだな、批判があった場合にはその線でいこう。今ある人材をバランスよく配置することこそ医局の仕事だからな、香盤表に拘泥する必要はない。それに、プラマイゼロとまではいかずとも、いまどこかで後期研修をやっているものたちが入局してくることで、ある程度は埋め合わせできるだろう」
 葦原はうなずいた。いまどこかで後期研修している外科志望医も、宮田のように、後期研修(モラトリアム)には終わりがあること、次の進路を選択する必要があることに気づいているはずなのだ。そろそろ、揺り返しが起こるようにして大学に戻ってくるはずだ。せっかくなら、それは七大で吸収したい。
「それより、学外関連病院で外科志望の若手を育てた後は、どの外科系診療科に進んでもいいし、外科系じゃなくてもいい──ってのはまた、大盤振る舞いだな」
 この点はモラトリアム後期研修として、葦原が強調したいところだった。この後期研修期間を終えた後の行き先は自由だ。今の若手の「入局せずに専門医」という志向に対する答えとして、七刄会は「成長と選択が可能なモラトリアム」を提供する。
「そうしておけば、初期研修修了後にまだ志望を決めきれない若手も外科プログラムで吸収できるかと思いまして。後期研修後に快く送り出せる体制があれば、若手も物怖じせずに入ってきますよ。無理やり、なし崩し、だまし討ちのように外科に引き入れるようなことはしないってのが約束です」
「じゃあ、これが終わったあとに整形とか泌尿器外科(ウロ)に行ってもいいってことか?」
「ええ。産科でも救急医でも。もとを辿れば、うちはみな兄弟じゃないですか。七州のメスはすべて七刄会より発する、です。みんな七大外科チルドレンとして育てて、その後は子どもの自由を見守るということです。若手を外科に入れたかったら、外科に入りたいと思わせるような指導をすればよいだけの話です。そして七刄会ならそれができます」
 さまざまな外科系診療科があり、それぞれの診療科同士で技量の比べ合いっこはできないが、ここだけの話、七刄会は数ある外科系診療科の中でも外科スキルとしてはナンバーワンだと思っている。七刄会外科で修練すれば、いかようにでもつぶしが利くといっても過言ではない。
「切って治すことに使命感を覚える外科系人間が勉強と言いつつも働いてくれるわけですし、潜在的には整形外科や泌尿器科になる人間も外科として働いてくれると見込めば、双方に損はないかと」
 真田先生は笑った。
「賢いな。これって実は、いま「後期研修」と称してやられていることそのものだ。それをもう、『七大方式後期研修』と言い換えてしまって、県内で後期研修をしようとしているだけで七大の仲間入りをさせてしまうわけだ。だいぶ悪知恵がついてきたな、葦原」
「おかげさまで、学外の日々が私を成長させてくれました。ただ、ストレートに入局した医者と、後期研修プログラム修了後の医者とで、差がつかないような配慮は必要です」
「いや、初期研修後の入局はさせないで、後期研修も学外に限定して、その後に入局を受け付けるというのでよいだろう」
「それができそうなら、はい、問題ないかと。実際にはいろいろと面倒が多いと思いますが、まずはこんな感じで考えてみました」
 以上が葦原による七刄会後期研修プランだった。
「よし、この件はこれでいい。ご苦労だった」
 葦原はホッとした。匿名の辞表の件が結局クリアできなかった分、面目躍如できたなら嬉しい。白神先生に感謝だなと思った。ビールのアルコールも回ってきて、葦原は力が抜けた──から、その後の真田先生の言葉にはただ驚くしかできなかった。
「そうそう、俺も今度、教授になるよ」
「えーっ! ど、どこの教授になるんですか」
 真田先生は現在「特命教授」だが、これは、七大病院長総裁の後任として同外科診療科長になるための肩書であり、厳密には職位ではない。
「と言っても、医学部講座教授(フルプロフェッサー)じゃない。特任講座だよ。七州大学大学院医学系研究科特任講座みやぎ地域医療整備戦略室の教授だ。先日、教授会の承認が降りた」
 特任講座というのを設けて、研究者に研究面で講座教授並の職位・権限をもたせて活動させる制度がある。たいてい医療系メーカーや一般企業、自治体などの資金提供を受けて発足するので、七大では以前は寄付講座と称していた。特任教授は職分の確立された、独立した教授職だが、任期と活動内容、権限には限りがあるので「と言っても」なのだ。一度なったら定年退官まで神聖不可侵の存在であり、ほぼフリーハンドにやりたいことをやりたいようにやれて、教授会を通じて学部組織運営に発言力を持つ医学部講座教授(フルプロフェッサー)には遠く及ばない。教授選考も公募ではなく、学内有力者の推薦のもと、事前に寄付元との協議で決定している候補者が承認されるだけだ。
「……真田先生、いったいなにをやるんですか」
「医師不足・偏在に課題を抱える宮城県の

の整備を研究・実践する講座だ。医学や医療の講座じゃないし、大学院生も取らない。一人教授さ」
 葦原がここ最近おおせつかったのとは比べ物にならないくらいの難題だ。七大一極支配の宮城県ではあるが、人事に大判振舞いできるほど人手が豊富な医局はない。せんだい市を除けばどこもかしこも医療過疎だ。七刄会が地域事情に左右されない人員配置ができているのは、この地に医学が発祥した頃からある伝統医局として、県各地の関連病院を医局人事を通じて調整、調節、調伏、調教してきたからに他ならない。
「うーん、それって寄附講座を作っても解決しませんよね。ない袖は触れませんし」
 他大学では、医療過疎地の自治体が大学に出資して寄付講座を作り、大学教員をそこの所属とした上で過疎地に派遣してもらう取り組みもあるというが、まさか真田先生一人を──いかに一騎当千の外科医とはいえ──そうしたいわけでもあるまい。
「そもそも、七大がそれに付き合うのも正直、おかしな話ですよ。真田先生、貧乏くじを引かされたのでは?」
 そもそも「地域医療」と謂われるものを──葦原含めて七大全診療科医局員はちゃんとやっているはずだが──旧帝国大学である七大医学部が担わされること自体、お門違いだ。東大や京大は地域医療をしないし、それを期待されてもいない。医学研究を通じていま治せないものを、また集学医療を通じて治りにくいものを、治すようにしていくのが責務だ。医大としての黎明期ならともかく、旧帝大医学部が風邪や腰痛を診る医者を量産しても仕方ない。
「葦原の考えているようなことも、医師不足の地域が考えているようなことも満足させるような未来志向で行こうという話だが──もう、落としどころは決まってるんだよ」
「……落としどころ?」
「実は全部、総裁のご発案だ。総裁が県に寄付講座を作らせた。実はうちがやりたいことをやるってだけなんだ」
「はあ……総裁がおやりになりたいことってなんですか?」
「七大病院をもう一つ、作る」
 あまりに想像外のキーワードが出てきて、葦原は相槌すら打てなかった。
「県北にドンと大学病院を作って、そこを中心に医療体制を再構築させるんだ」
 現在、宮城県内(せんだい市外)には県立の大規模病院が複数あって、それぞれの地域の中核病院として必要不可欠な働きをしている(いずれも七刄会では市外大規模(Bランク)病院に指定されている)。だが、市内大規模(Aランク)病院に比べれば手薄な診療科があったりするなど、総合病院として万全な体制が取れているとまでは言えない。結果、そこで間に合うような症例でもせんだい市内に流れ込んできてしまう。県南はまだ七大と福島国立大学医学部との距離が近いので気の利いた病院配置がなされているが、県北の医療過疎は目を覆うばかりだ。
「少しでかいだけの一般病院じゃ医療過疎の解決にはつながらない。地方の自治体病院で医者が働くインセンティブは乏しいからな。そこで、戦略として大学病院を作る」
「……大学病院のポストで肩書がつけてやれるわけですね」
 ストンと音が鳴るように葦原には腑に落ちた。
「そのとおりだが、さらに一工夫だ──七州大学医学部附属病院県北分院ではなく、七州大学附置研究所附属病院を作ることになる」
「附置研究所の附属病院?」
「そうすれば、教授をはじめ、フルポストで人が置ける」
「……なるほど。新しい講座ができるようなものですね」
 七大医局から発足時に人を出すことには代わりはないが、七州大学医学部講座教員が兼務するというのではなく、七大附置研究所の教員として新たに用意された教授職以下のポストに有為な人材を座らせて、その附属病院の診療を運営させるというわけか。
「それが七州大学大学院として機能するようにして、七大の学位も取れるようにする。そこで働くことがタイムロスにならないようなキャリア設計を提供できるってわけだ。そうそう、研究所だから基礎医学系の部門も設置する。ちゃんとした研究がやれる」
 有能な医者を引きつけるにはポストとキャリアを満足させることだ──これなら、医者が腰掛けの出向ではなく、そこを本拠地として活動できる。それに合わせて周辺の医療体制も激変するだろう。単に大きい病院がそこにできるという話とはわけが違う。
「突拍子のない話ってわけでもない。いまでこそ七州大学の大学病院は1つ、いまの七大病院だけになったが、昔は七州大学には附属病院は3つあった──医学部附属病院、歯学部附属病院、医科研附属病院だな。それに分院も2つあった。七大病院として整理統合されただけだ」
 歴史にヒントはあったということか。途方もない話が現実味を帯びてくる。
「うちだけじゃない。旧帝大はだいたい大学附置研究所に附属病院を持っていた。いずれもほとんどは本体の大学病院に統合されたがな。今でも研究所附属病院として存立しているのは、東大医科研病院と九大温研病院くらいか」
「じゃあ、医科研を県北に動かすってことですか?」
「そのへんは思案のしどころだが、おそらく総裁のお考えとしては、新しい研究所とその附属病院の設置だろう」
 七州大学学際医科学研究所(医科研)は七大医学部キャンパスの一角にあり、七大の各学部と連携した学際的な研究の場として根付いている。そこには、七大医学部各講座が支店のような関連部署を持ってはいるが、研究に特化した人員配置となっていて、それぞれが単独で診療科を営める規模となってはいないはずだ。それを動かすよりも、新しい箱を作って、そこに各医局から医者を出したほうが話が早そうだ。
「となると、もう、まるで、医学部新設みたいな話ですね」
 真田先生は満足そうにうなずいた。
「そこが冴えたところさ。医学部を作るなんて言ったら大騒動だ。国も許可しないし、既存の医学部も反対するし、地元の医師会も大騒ぎするのが目に見えている」
 宮城県に医学部が不足していることはこの地で働く医者には昔からのコンセンサスだが、医学部新設は議論すらタブーだ。だが、既存大学の附属病院新設ならハードルが低そうだ。医学部新設レベルのインパクトをもたらしつつ、そうと思われないギリギリのラインだ。
「むろん、言うほど簡単じゃない。私大ならともかく、俺ら官立は色々と制約がある」
「でも現実味はあります。大学のポストが置けるなら医者も医療も確保できそうです。医学部を作るというよりは地に足がついた話ですし、なにより誰も損はしないわけですし」
 総裁の発言となると途端に現実味を帯びてくるから不思議だ──いや、当然だ、総裁教授はその辺の教授とは違うのだ。いずれ本学総長になるのだ。本学総長ならできる。
「あれ? これって、総裁がおやりになりたいことなんですね」
 医療過疎の抜本的な解決策として医学部新設級の大学病院新設案を打ち出す、というのはなるほど説得力も現実味もある話だが、たしか、やりたいことをやらせると言っていた。順番が逆ではないか。
「そう、総裁は宮城県に公立医大をご所望だ」
「──一帝一公ですね」
 戦前に各都道府県に発足した公立の医学専門学校は、戦後は官立移管によって国立大学医学部となり、また旧帝国大学医学部のある地域では国立医科大学となった。「北七東名京阪九」の旧帝国大学も国立大学となったため、国立医科大学は医療業界の慣習で今も旧称のまま「公立医大」と呼ばれている。当該地では先進医療を司る旧帝大と実地臨床を司る公立医大とで「一帝一公」と言われる役割分担が成立している。だが、この宮城県にだけそれがない。
「じゃあ、この宮城県に一帝一公を満たすっていう目的があって、その端緒として大学病院を作ることで、医学部新設のための布石を打つ──あたかも、医療過疎の打開策としてやっておいて、医学部新設を既成事実化してしまうという戦略ですね」
 医学部新設がタブー扱いされてきたのは、近年まで医師過剰が予測されていたからだが、昨今の医師不足でそれは否定された。例えば、今般、既存医学部の入学者定員増が図られるようにもなった。昨今の医学部新設議論ではむしろ、医学部教員として(有能な)医者が引き抜かれてしまうことで、引き抜かれた地域の医療がたちいかなくなるという懸念のほうが反対意見として引き合いに出されることのほうが多い。だが、研究所の附属病院を作るとあれば、教員としてではなく今ある臨床医という医療資源の場所をずらすだけだから、当該地域の既存病院・病床の統廃合を巡る自治体同士の駆け引きくらいの面倒しかないだろう。
「ご名答。なにより公立じゃないとな。いまさら地方に私大の医学部を置いても、東京の裕福な家庭育ちで、進学校進学塾出身者の、スベリ止めの職業訓練校にしかならないからな。地に足をつけて、ここで働いてもらわないとな」
「おっしゃるとおりです」
 我らが総裁が医学部、いや医科大学を新設しようとしている──このスケールの壮大さ、スキームの巧妙さに葦原はワクワクしていた。これこそまさに「戦略」だ。偉いというのはこういうことを言うのだ。どこぞの都会の民間病院が少々研修医教育や臨床面で注目を浴びているからと調子に乗って医学部を新設するなんて分不相応な話をするのとはわけがちがうのだ。
「大学病院特命教授に、医学部特任教授に、忙しいですね、真田先生」
 この壮大なプランを寄付もとい特任講座教授としてまずは地ならししていくというのだから、毎度のことながら、この人も超人だ。七大外科医局長として何十の関連病院と何百の医局員に目を配りつつ、大学病院外科総合班最高執刀責任者として臨機応変な診療もやり続けながら、更にこの話である。余人の及ぶところではない。
「病院教授の方は今年度で終わりだよ。総裁が医学部長になったら外科診療科長に戻られるわけだから。ま、俺は診療科長代理に戻っても職務は同じだがな」
「なるほど──じゃあ、特任教授の件は渡りに船ですね」
 大学病院長は慣例で各診療科の所属から外れるため、総裁の同就任に伴い、真田先生は診療科長を担う特命教授となった。一方、基礎講座の教授もなりうる医学部長職にはそういう慣例はないため、総裁が今秋の選考を経て医学部長に選出されたら、来春には診療科長兼務に戻られるはずだ。だからといって、いったん「教授」の肩書のついた真田先生をもとのポスト(講座講師)に戻すような降格人事はまかり通らない。それに、医学部長としてさらにご多忙になる総裁に代わって、実質的な外科診療科長を務めるのは真田先生のままだから、特任教授はその役職の受け皿としてちょうどよい──いや、むしろ、その肩書の受け皿となるポストのために特任講座を作らせたのではとすら思える。総裁の御手にかかれば、全てが必然だ。
「あ、葦原。この話はトップシークレットな。特任講座の件は近々公表されるが、大学病院新設どうこうは総裁と俺、お前しか知らない。結論ありきで動いているってことになると、七刄会が勝手なことをやってるって騒がれて面倒だからな」
「はあ。口は固いつもりです」
 総裁教授と医局長マターを葦原に話すのはなぜかと一瞬思ったが、学外転落した人間のほうが気軽に話せるのだろうとも思えた。真田先生とはこれまであまり口外できないものも含めて、医局内外のトラブルを一緒に解決してきた間柄だった。ただ、学外に離れて数年経ち、葦原はこれから香盤表人事で更に遠方に移っていく。こうしたやり取りも減ってくるだろう。誰か、支えてあげられる医局員が近くにいればよいのだが……。
「じゃ、そろそろ、帰ります。いろいろとごちそうさまでした」
 お中元ビールのアルコールも、躰に帯びた熱気で飛んでしまったようだった。
「ん、またな」
 宿題提出も済み、自宅に直帰できるとあって、帰りの病院旧正門をくぐるときも心が軽かった。葦原はその日はそのまま、気持ちのよい眠りにつくことができた──夜中の2時ころに電話で起こされるまでは。
「……こんな時間に電話してきやがって。俺は今日はオンコールじゃねえぞ」
「こっちは真っ昼間なんですけど」
 久斯だった。
「……お前、今どこだよ」
「Emergency Department, Medical Center and College of Georgia Stateです」
「どこだよ、知らねえよ」
「ユーエスエーですよ」
 久斯はスパレジコンテスト優勝の副賞で海外に行っていたのだった。葦原の怒りはその太平洋の彼方には届かないらしく、久斯は用件を話しだした。
「先生からいただいたPDのデータなんですけどね、あれ、本当ですよね」
 結局、あの後も折に触れてねだられて、勝手に公表しないと念押しした上で、久斯にはPD手術の成績データを渡していたのだった。
「なんの話かと思えば──ウソをつくわけないだろ、あれで学会発表するんだから」
「こっちの医者が信じなくて。速すぎるだろって。手抜きしてるんじゃないかって」
 丑三つ時に電話で起こされたことより、葦原は腹が立った。
「バカ野郎。USA(おまえら)より丁寧にリンパ節も()って再建してんだよ。肝胆膵外科は日本がナンバーワンだって言ってやれ。七刄会なめんなよ。Department of Surgery, Shichishu Universityを知らないのか。この業界で七刄会を知らないやつはモグリだ。レベルの低い病院に行ってるんだな。どこだよ、ジョージアって」
「まあまあ。英語論文で発信しないとわかってもらえないですよ。その辺は僕に任せてください。じゃあ、葦原先生、グッド・ナイト」
 一瞬不安がよぎったが、電話の切れる音と一緒に葦原の意識も途切れた。
─────
©INOMATA FICTION 2019-2020
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登場人物紹介

葦原建命(あしはら・たてる)

 七刄会医伯正

 七州大学病院外科診療助手(中部班)

久斯創(くし・つくる)

 せんだい市民病院「アラサー」初期研修医

 論文モンスター

 

真田善次(さなだ・ぜんじ)

 七刄会医伯総監

 七州大学病院外科特命教授

 七州大学医学部外科学講座医局長

藤堂壮平(とうどう・そうへい)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院副院長

 「雷神藤堂」「七刄会ラパ胆のパイオニア」

大和達郎(やまと・たつろう)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科部長

 「肝臓手術の名手」

押切慶二(おしきり・けいじ)

 七刄会医伯監

 元七州大学病院外科診療助教授・中部班最高執刀責任者

 せんだい市民病院外科副部長

 「七刄会PD最速」

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