第30話 温泉

文字数 1,963文字

 翌日、朝からグリンと銀嶺は武蔵を連れて森を歩いた。マスター・ルーに言われた通り、湖に沿って歩く。湖面がキラキラと波立って美しい。森から木の匂いのする爽やかな風が吹き抜けて清々しかった。木々の緑と、湖水の青、それに空に浮かんだ白い雲が、美しいコントラストを織り成している。

「綺麗な星ね」

「そうだな。仙人や妖精の住む世界だな」

二人は武蔵と一緒にしばらく森の中を歩くと、大きな岩場に出た。ゴツゴツした岩が辺りを固めている。大きな岩があちこちに転がって、まるでこの世の果ての様な風景を作り出していた。岩の向こうから湯気が立ち上っている。

「あれだな」

グリンはそう言うと、岩の向こうに回り込んだ。


「銀嶺! 来てみろ!」

銀嶺は岩を回り込んだ。眼下に大きな石で出来た池が広がっている。池はもうもうと湯気を上げていた。

「これが温泉か……銀嶺、俺が見張っているから、先に入って良いぞ」

「あら、一緒に入りましょうよ」

「馬鹿な事言ってないで、先に入れ」

「分かったわ。ありがとう」

グリンが向こうを向いている間に銀嶺は服を脱いで、温泉に入った。少し熱目だが、ちょうど良い温度である。大自然の中湯に浸かるというのは格別である。アストラルエネルギーも上がるというものだ。

「中々気持ち良いわよ」

「そうか。楽しみだな」

銀嶺は一通り温まると、温泉を出て服を着た。

「次はグリン、どうぞ」

「おう、じゃあ入らせてもらうわ」

グリンは手早く服を脱ぐと湯に浸かった。武蔵がドキドキしながらこっちを見ている。

「武蔵、お前も入るか?」

武蔵は後ずさった。グリンは無理やり武蔵を掴むと、ドボン! と温泉へ投げ入れた。慌ててバチャバチャと犬かきする武蔵。グリンは盛大に笑うと、武蔵を抱っこした。ゆっくり温まると、グリンは武蔵と共に上がって服を着た。武蔵はブルブルと身体を振って水分を飛ばす。

「中々良い温泉だったな」

「ええ。また来ましょうよ」

「そうだな。良し、帰るぞ」


 二人は歩いて小屋へ戻った。マスター・ルーが庭先に置かれたウッドテーブルにお茶を並べて待っていた。

「どうだったね?」

「ええ。とても素敵でした」

「そうだろう。おや、犬も入ったのか?」

「それはグリンが……」

「はは。俺が無理やり入れたんですよ」

「そうか。まあ、楽しんだようで何よりだ。今日は午後から稽古を付けるぞ」

「はい。お願いします」


 午後になり、マスター・ルーは奥から剣を引っ張り出した。

「良し、表へ出て」

銀嶺は外の広場へ出ると、マスター・ルーと向かい合ってたった。

「構えて、私に向かって撃ち込んでみなさい」

「はい」

銀嶺は思い切り剣を撃ちおろした。マスター・ルーは軽く受け流す。

「悪くないぞ。どんどん撃ち込むんだ」

銀嶺の攻撃を次々とかわしてゆくマスター・ルー。簡単そうに受け流している。銀嶺は、流石だわ、と心の中で思った。

「良し、撃ち込むだけでなく、突きも試してみるんだ」

銀嶺は剣を水平に構えると、マスター・ルー目掛けて突いた。ヒラリ、と身体を反らしてよけるマスター・ルー。その動きは軽やかな蝶の羽ばたきの様である。何度突いても、マスター・ルーの身体に剣は掠りもしなかった。

「次は下から上へ向かって剣を振り上げてみなさい」

銀嶺は剣を下段に構えると、下から上へ、マスターの脇腹を狙って振り上げた。もちろんこれも剣でいなされる。ヘトヘトになるまで剣を振り上げて、銀嶺は止まった。

「流石ですね」

「フフフ、お前だって出来るようになる。どれ、少し休むかね?」

「ええ」


 マスター・ルはお茶をカップに注いだ。銀嶺とグリンは椅子に座ると、温かいお茶を口に含んだ。改めて回りを眺めてみる。湖にさざ波が立っていた。水面に水鳥が数羽浮かんでいる。森は風を受けて揺らめいて、数枚の葉っぱが湖に飛ばされていった。

「綺麗なところですね」

「うん。ここに住んでいれば、それだけでもアストラルエネルギーが上がるというものだ」

「それでここに住んでいるんですか?」

「うん。昔はカイラスに居たんだがね。あそこのウォーカー訓練施設で教官をやっていたのさ。だが、私も歳だからな。高級勢力に頼んで、ここに隠居させてもらったのさ。客人は久しぶりだ」

マスター・ルーはそう言って遠い目をして湖を眺めた。

「ですが、腕はなまっていないようですが」

グリンが感心したように言う。

「そうかね? まあ、ここに来ても鍛練は欠かしてないからな」

「何故です?」

「そりゃ、いつ何時魔界に襲われるか分からんし、それに私は根っからの剣士なのでね」

「素敵ですねえ」

銀嶺が溜め息を付く。

「何、お前さんだって立派な剣士になれるさ。それに、筋は良いぞ」

「本当ですか?」

「うん。身のこなしが軽い。風の属性を持ってるな。それを上手く活用すれば良いだけだよ」

マスター・ルーはそう言って笑うと、お茶を一口飲んだ。
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