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文字数 2,725文字



 五月某日、都内の警察署に通報が入った。
 連絡主は『つばき産婦人科』という産院の女性職員だった。女はひっくり返った声で、要領を得ないまま訴えた。
 病院の敷地内の裏庭で、見知らぬ高校生が死んでいる。
 その傍らで、院長先生の関係者の少年がうずくまっている。
 その二点だけを何度もくりかえしたという。


 遠野永一郎が通されたのは、会議室のような広い部屋だった。
 てっきり取調室だと思っていたので、遠野は驚いた。彼の恋人を殺したのは彼自身なので、逮捕されたと考えていたのだ。
「改めて話を聞くわね」
 女性警官が遠野に椅子を勧める。厳しい面差しの彼女は、バインダーにメモを取りながら尋ねた。
「あなたの強力な痛み止めの薬を、お友達の千風享くんが誤飲した。だから彼は命を落とした――そういうことでいいのね?」

 いいわけがない。
 ひとつも合っていない。遠野は強く否定した。

「だから、何度も言ったとおり、俺が千風を殺したんです。心中しようとして、でも、俺の分の薬がなくて後を追えませんでした」
 警官がバインダーを机に叩きつけた。
「いい加減にして! そんなことあるわけないでしょう?」
「何故ですか」
 何故信じてくれないのか、遠野は不思議でならなかった。
「だってあなたたちは両方とも男でしょう。しかも高校生、子どもだわ。――子どもがそんな、心中なんてするわけないわ」

 するんだよ。
 声に出さずに、遠野は断言した。

 どうやらこの人の常識では、遠野と千風の関係も選択も、絶対にありえないことらしい。しかもそれを押しつけて、理解が簡単な形に無理やり変えようとする。
「それにあなたは不治の病で、しかもお母さんと妹さんを亡くしている。そんな、誰よりも命の尊さを知っているあなたが、命を軽んじることするはずがない」

 頭ごなしの決めつけに、遠野は嘲った。気力が残っていれば、鼻で笑いたかった。

(――病気の人間が、家族を亡くした人間が、みんな聖人君子になるとでも)

 命の儚さ、尊さを識った人間が、人を殺さないとでも思っているのだろうか。
 笑いたい。だが、その体力が無かった。

「また黙秘? まったく、今の若い子は……」
 警官がぶちぶちと文句を言っていると、会議室に一人の中年女性が入ってきた。
 騒がしく物音を立てながらこちらに向かってきて、問答無用で遠野の頬を張り飛ばす。
 遠野の未成年後見人の、『つばき産婦人科』の院長だった。
 激怒する彼女は、泡を飛ばしながら遠野を罵った。「なんて騒ぎを起こしてくれたんだ」、「どれだけうちの病院に迷惑をかけるつもりだ」、「まだ恨んでいるのか」、「せっかく引き取ってやったのに」――などなど。
 仕上げの台詞は『死に損ない』だった。医者の――人間の言葉とは思えぬ鬼畜の罵言だったが、遠野の心にはいっさい届かなかった。
 これにはさすがに警官も慌てて、院長を閉め出す。
 しかし、表情すら微動だにしない遠野を見て、嘆息した。

「ちょっと一緒に来て」
 そう言って遠野を連れて行ったのは、署内の遺体安置所だった。千風は不審死と判断されたので、こちらに搬送されたそうだ。
 扉を少しだけ開けて、隙間から室内を垣間見る。
「千風くんの、ご遺族よ」
 白い布に覆われた千風の遺体に、ふたりの中年男女――千風の両親が縋って泣いている。遅い時間だからだろうか、弟妹はいなかった。
「享!」
「享、お願い、目を開けて!」
 千風の両親は、狂わんばかりに泣き叫んでいた。

 どうして泣いているんだろう。

 不可解だった。千風を借金取りに売り渡そうとした、薄情な親なのに。
 頼みの綱の息子が死んで、明日の我が身を憂えているのかと思ったが、そうではなかった。

「享、借金はな、親戚のおじさんが肩代わりしてくれることになったんだよ」
「だからあの話も白紙になったの。それを報せたかったのに、……どうして電話に出てくれなかったの……享ぅ!」

 その事実に、刹那、遠野は言葉も色も失った。
(千風、……死ななくてもよかったんだ)
 足元が崩れ落ちた感覚して、遠野はその場にひざまずく。
 横についた警官は、遠野の、やっと人間らしい反応を見て、急に態度を柔らかくさせた。
「やっと冗談を言っている場合じゃないって気づいたのね。さ、こっちできちんと話を聞かせてちょうだい」
 遠野を立たせ、元いた会議室に誘導した。やたら足音が響く廊下を進んで。
 力なく椅子に腰を下ろすと、ブレザーのポケットからピルケースがこぼれ、床に落ちた。
 拾い上げることもせず、遠野は、一錠しか残っていない役立たずな薬と、それを飲まされて死んでしまった恋人のことを思い出した。

 彼は、遠野と同類だった。

 家族を喪い、なすすべもなく加害者に引き取られ、遠野はいよいよその時を待つだけの身となった。
 そんな彼が毎日毎日あの場所にいたのは、逃げたかったからだ。
 寝床として与えられている仮眠室には、人の出入りがあって落ち着かなかった。
 かといって、院内をウロウロすれば奇異なものに対する目で見られる。
 無責任な野次馬根性で事情を詮索されて、いちいち答えるのは嫌だったし、院長に他者と関わることをきつく禁じられていた。

 居場所が無さ過ぎて、だから、誰にも見つからない場所に逃げ込んだ。

 自分を不幸にした院長たちは許せなかったし、境遇に不満もあった。だが逃げずに立ち向かうほどの力は、彼に残っていなかった。
 ただ漫然と、時間の流れに身を任せて、古い人形のようにゆるやかに朽ちるのを待っていた。
 ――千風と、会うまでは。

 千風だけが遠野を見つけてくれた。同じように現実から逃げてきた彼との時間は、ただただ甘美で居心地がよかった。
 あそこは彼らだけの逃げ場所、アサイラムだった。
 未来は決して無かったが、それでもいい。遠野は間違いなく幸せだったのだから。

 なのにすべて終わってしまった。

 警官の度重なる質問に答えず、遠野はゆっくりとした動きでピルケースを拾った。
(……痛み止めを、俺は飲み過ぎたんだな)
 千風を永遠に喪って、一緒に逝けなくて、死んでしまいそうなほど悲しい。
 だが、確かにそこにあるはずの胸の痛みを、遠野はちっとも感じなかった。
 窓の外は真っ暗だった。汚れた窓ガラスに、がらんどうになった自分の姿が見える。
 それにすら、何も思わない。
 ただ、千風と共に在ったあの空間。ふたりのアサイラムでの優しい時間をもう一度過ごしたい――その想いだけが、あった。


【了】
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