第1話

文字数 1,523文字

堀口四段との出会い

 1996年の夏、日本橋東急の将棋祭りで、抽選で堀口一史座新四段(現七段)との指導対局が決まった。途中不利だったが堀口四段の不用意な手で私が勝ちそうな局面となった。堀口四段の指し手が止まった。私は疑心暗鬼になって指し手が微妙に狂った。最後に間違えて金星にはならなかった。 
 対局後、堀口四段は私に「どうやって将棋を勉強しているのですか」と訊いてきた。私は、一項目一枚でカードに手筋を分類する方法を語った。羽生語録として「終盤は800通りに公式化される」という都市伝説がうわさされていた。多くの人が公式化に励んでいた。
「村木さんのやり方はプロでも通用すると思いますか?」この質問の答えは私も知りたい。知りたいから、堀口四段と対戦したのだ。驚いたが「短い時間で指す時には効果を発揮するでしょう」と答えた。
 この予言は、堀口四段が早指しの銀河戦での十五連勝という形で当たった。
「将棋が強くなる本があったら教えてください」 これはもちろん将棋の本のことではないだろう。私は、読書でいいと思った部分は抜き書きをし、特にいい部分はワープロでまとめていた。ゲーテの「詩と真実」、E.T.ベル「数学をつくった人びと」、梅棹忠夫「知的生産の技術」、鈴木慎一「愛に生きる」さまざまな本がテーマとなった。私は堀口四段に本を貸し、抜き書きを読んでもらった。一月に一回位会って長い時間話した。将棋や本や思考法について語り合った。堀口四段は真理探究派で、先手と後手が最善手を指して勝負が決まらないくらい考えて突き詰めるのを理想とした。
その後、堀口四段はNHK杯準優勝、朝日オープン優勝という結果を出すことになる。
 「将棋が強くなる本」この意味は今の言葉で言えば地頭をよくするということだろう。私は塾講師をして、子どもや自分の頭がどうすればよくなるかを研究している。「誰もが天才になる方法」を推奨するためには、自分がある程度何かの実績をあげないといけない。そうでないと説得力がない。脳科学の本などをよく読んできた。
 将棋でプロになるのには、年齢制限がある。
私も若くて羽生さんに勝てる自信があれば、プロを目指すだろう。2001年、私の親せきの子が将棋を真剣にやりたいとのことだった。「もし、自分が若かったら何をやり直したか」を考えて堀口さんと数十時間話したことのエッセンスを彼に届けた。大山康晴十五世名人の「勝負のこころ」とその抜き書き、
今までの読書の抜き書きのエッセンスである「頭脳を鍛える名言集」などを渡した。彼は震災の年にプロ棋士になることができた。彼の家庭に行った時、NHKの自然番組を見ながら、父親が植物や動物ついて解説を始めた。この環境を見て私は彼がプロになれるかもしれないと思った。年間四人プラスアルファしかなれないプロ棋士、他の家庭の子に同じことをしてもプロ棋士になれないにちがいない。
 将棋は頭脳のF1だ。頭脳をゲームの中で鍛えることで、実際の生活に役立てるためにやる。私は詩を作る。NHK北陸東海の番組で私の詩が読まれた。将棋から学んだことを題材にした詩では「つき抜けろ」がある。

つき抜けろ

つき抜けろ
天井を破ってつき抜けろ
つき抜ける生命力を持て
生きづらい日々の痛みを創造力に変えろ
破片の痛みが真珠をつくるように
爆発を創造のために制御せよ
水素と酸素の爆発を制御する
燃料電池のように
世の中で日に当たるのは
0.1パーセントにも満たない
どろどろとした魂の叫びを
作品を生む力に変えてつき抜けろ

 堀口さんとの出会いから、将棋を通して物事の本質を考え、創作活動へと打ちこむようになった。それは、抽選から始まった。日本橋東急百貨店は1999年に幕を閉じた。
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