第1話

文字数 3,598文字

 私は「水瓶座」で「B型」である。
 まあ星座と血液型の事だが、占いの本を読むと、個性的や気まぐれ、変わり者等書かれている。
 なるほど、と思ったのだが、別にこれは水瓶座のB型に関わらず、当てはまる人が結構多いのではないかと感じる。
 また、占いでは無いが私は「左利き」「近眼」「アレルギー体質」で『天才三要素』保持者である。これは統計学的に割出したものだそうだ。
 まあ私には当てはまっていないわけだが。

 いわゆる「占い」と言われるものは、現在かなりの数があるが、元々の占いの起源は、日本では卑弥呼の「亀甲卜」、中国は「太占」と言われ、その後に、易、風水、五行などができたらしい。
 西洋では、というと、メソポタミア文明での占星術まで遡るらしいのだ。紀元前40世紀というからかなり昔、というより、もはや神話の世界だ。
 洋の東西問わず、これだけ占いというものが昔から行われ現代まで続いていることを考えると、何かしらの必要性や需要があるものなのかもしれない。
 実際、古代から日本の朝廷には安倍晴明で有名な「陰陽寮」があり、政と関係が深かった。今で言うならば「占い省」となる訳だ。
 中国は言うまでもなく殷・周王朝時代から占いは政に使われ、秦王朝では「日書」という占いの本が統治のバイブル的扱いとなっていた。共産党独裁になり、占いは一時迷信として排除されたが、大衆に根強く息づいている。
 西洋では占星術は「科学」として位置づけられ、天文学はもちろん医学や鉱物学などにまで応用された。「錬金術」も「占星術系科学」と言えるだろう。
 その後モダニズムや啓蒙思想により「疑似科学」に貶められたが、大衆においては東洋と同じだ。
 言わば占いは、人間の生活に欠かせないものとして生まれ、その後弾圧を受け、それでも生き残っているという、打たれ強くしたたかなものであるといえる。
 現代は一見、科学万能主義に見えるが、生命や宇宙起源どころか地球の海の中の事すらまともにわかっていない。まだまだ未知の物は多くある。
 このような未知のものや、不透明な将来・未来に対して人間には必ず『畏れ』や知識欲からの知りたい・見たいという感情があり、それらのために何かに縋りたいという思いは消えない。
 だからこそ、『神秘』という範疇で占いという疑似科学やオカルトが生き延びていると言えるのではないだろうか。
 実際、政治家には専属占い師がついていて、今後の政策を相談する、というような話がまことしやかに流れているぐらいだ。
 
 占いは東洋的に大別すると『命』『卜』『相』の三つとなるそうだ。
『命』は持って生まれついた普遍的な要素に対する占いで、誕生日や生まれ歳などで占うもので、『卜』はタロットや易が代表されるが、偶発的要素で近い将来などを占い、『相』は手相や風水などで、物の形で吉凶を占うことで、自分である程度運気を変えることができる、ということだと、昔読んだ本に書いてあった気がする。
 オカルトに関しては、一般的な概念として成立したのは1800年代だが、当然太古の昔から神や宗教といった形でずっと存在している。
 さて、まず占いだが、私的にはというと実は『命』系の占いはあまり興味が無い。
 なぜかというと、例えば12星座なら12種類、血液型を含めても48種類とあまりにも大雑把に分類されているからだ。誕生日占いなら、という人もいるがたかだか366種類である(本格的ホロスコープは結構細密ではあるが)。
 ほぼ同じDNAを持つ一卵性双生児ですら性格や運命等違うのだから、本来はそれぞれ個別の占いが必要のはずだ。だから、私は新聞、TV等で行うの今日の運勢など信じたことが無い(双子の奇跡的な運命の一致等は除く)。
 『卜』は、対象者の目の前で行うし個別の結果がでるからよいかも、と考えられるが、本当にそうだろうか?
 実際、私は中学生の時にタロットを始め、大小アルカナを使う占いが出来る。結構当たると学校で評判になり、全く知らなかった他クラスの人からも占いのお願いをされることが度々あった。
 しかし、白状すると、カードの絵解きはそれなりにしていたものの、実際は、相手の話をうまく聞き出し、しぐさや様子を観察してどんな答えを対象者が求めているか推察した上で結果を伝えていた。
 人間は同調してくれれば信用し、反対されたら反発するものだ。つまり、占いの対象者たちは、自分たちが思っている結果が出たから満足し、当たっていると思うのだ。だから、あんまり当たる当たると言われると正直詐欺師になった気分になる。
 このように人間観察眼と心理学、会話術を心得て置けば、『卜』の占いならちょっと評判の素人占い師ぐらいにはすぐなれる気がする。
 じゃあ『相』がいいのか、と言われれば「気休め」としか答えようがない。例えば風水などは、吉の物を吉の方角に置く、などと言うが言って狭い部屋とかではそんなことは言っておれず、なるべく便利に使えるような物の置き方になる。
 オカルトに関しては、「人間に理解できないもの」「未知のもの」等をオカルトというのであれば、当然オカルト主義は大賛成である。人間如きがすべて理解しようなどとはおこがましいし、分からない、知らないものはあって当たり前である、但し、それを悪用した霊感商法や霊感占いなど商売にしている奴は無くなればいいと持っている。それこそバチが当たればいいのだ。
 こう書いていると、私が占い・オカルト否定論者と思われるかもしれないが何が何でも否定ということは無い。各種占い本は読むし、呪いや宗教系、心霊写真集などの本も読む。胡散臭さは鼻につくが。

 占い・オカルトを信じる人、信じない人それぞれいるわけだが、私の周りでは比較的理系人間が占い・オカルトを信じている。
 親族が某研究所で働いているが、占いとか霊とか大好物だ。本人曰く、科学研究の世界は基本論理と数式の世界だ、しかし研究をしていると論理で割り切れない事象がたまに発生する、非常に驚くが、実際に見ているから非論理的なものを信じざるをえない、と言っていた。   
 そういえば、例えは悪いが「オウム真理教」に頭のいい理系信者が結構いた。
 著名科学者のダ・ヴィンチやニュートン等、怪しげな会合をしていたり、アポロの宇宙飛行士の一人が宗教家になったりした。論理を重んじる理系が盲目的に占いや宗教の信者になるのはなにやら滑稽ではあるが、考えてみれば錬金術も元は科学だったわけだし、どうやら理系と占い・オカルト系は案外相性がいいのかもしれない。
 まあ昔よくテレビに出ていた某教授は幽霊とかはすべてプラズマだ、と言い放っていたが、これはこれで胡散臭い。

 結局、何が言いたいかというと、私は占いやオカルトは嫌いでは無いが、盲目的に信じたり、商売に使ったり、だましたりするのが嫌いなのだ。
 占いやオカルトを信じる人は、切羽詰まって他によりどころが無く救いを求めているのだから、決して食い物にしたら行けないと思うのだが、巷の占い師や宗教家は完全に足元を見てくるような気がする。
 私の父が事故で入院した時、これでもかというくらい今まで見たこともないいろんな宗教の勧誘が来たが、不幸事が起きた家リストでも持っているのだろうか?
 母がこういうのが嫌いな人間だったのでことごとく返り討ちにして追い返したが、その母は、実は霊感が強いらしい。昔、看護師をやっていた時は色々『見えて』相当疲れたそうだ。 
 小さい時から見えていて、みんなも見えていると思っていたが、どうも見えないみたいなので、それに気づいた後は黙っていたらしい。
 その母が「あんたは私に一番似てるから霊感強いはず」と言っていたが、幸いなことにそんなはっきりと見たことは無い。
 車で走っていて、何か嫌な感じがしたところは昔事故があったところ、程度の感じ方だ。
 ただヒーリングの能力は多少あるようで、私が患部を掌で触っていると楽になる、と結構言われる。カナダに旅行に行った時に、人の頭よりちょっと大きい『触ると熱くなる石』なるものがあり、パワーがあると結構熱くなるんだよと言われ、触ろうと掌を近づけたら触る前に石が熱くなったこともあった。
 治療の事を『手当』というが、昔は本当に手を患部に当てて治療したから『手当』なのだそうだ。私はそんな力よりお金の『手当』が欲しいのだが。
 取り敢えず今でも私は、この『手当』とタロットを時々するのだが、当然のことながら見返りなどは求めない。また、効くとか当たる保証はしないと最初に相手に伝えている。
 まあ相手が満足ならそれでいいのだ。こんなことでお金を取ったらそれこそバチがあたりそうだ。
 私はテレビなどにしゃしゃり出てくる似非占い師、インチキ宗教家や霊能者は一切信用しない。ただきっと市井には隠れた本物がいると信じている。

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