第1話 少女との出会い

文字数 3,865文字

はーぁ

 子供がいた。

 

 だからなんだって話なのだが、今回はそうもいかない。
 なんせ、そいつはウチの店の前にいたのだから。

 

 しかも、冬の寒空の下。

 小学生にあがっているかどうかも怪しいサイズで一人きり。

まいったな……

 俺は臨時休業の紙を手に零す。父さんに頼まれてこれを張りに来たのだが気まずい。
 人と話すのは苦手だ。つい乱暴な言葉遣いになり、反感を買ったり怖がらせてしまうから。

 子供は幼い割に、お行儀よく座っていた。扉の前にある丸椅子。地面に届かぬ足を揺らさないだけでなく、きちんと閉じている。
 ウチの妹とは大違いだ。
はぁー……ぅ

 子供から、規則正しく白が溢れ出す。口元を両手で覆ったまま、絶えず息を吹きかけているのだろう。
 コートのフードまで被った姿はさながら赤頭巾。

(となると、俺は狼か?)

 くだらない、と自分で考え一人で笑う。
なぁ
 非常に不本意だが、話しかける。近くに保護者の姿はなく、すぐに立ち去る気配がないんだから、しょうがない。
っ……はい?

 子供は一瞬怯えたように唇を噛んだが、きちんとした返事をした。

 律儀にも、見下ろす俺に目まで合わせてくれる。
 大きな瞳、真っ直ぐ切り揃えられた前髪、赤いほっぺた。子供らしい顔のパーツが、フードの中から覗かれる。

悪いけど、休みなんだ

 少しだけ悩むも、いつも通りの口調。

 どう考えたって、赤ちゃん言葉みたいなのは俺には無理だった。

……おやすみ?

 舌ったらず。要領を得ておらず、会話は繋がらない。
 当然といえば当然の反応なんだが、苛立ってしまう。


ちっ……はぁ
っ……。ごめん、なさい
(なんて、おまえが謝んだよ)

 またやってしまったと、俺は頭をかく。

 このまま泣かれないかと不安が過り、俺は腰を下ろして目線を合わす

 意外にも子供は笑顔を見せてくれた。
 その表情が大丈夫そうだったので、俺の都合で進める。
で、あんたはなにしてんだ?

 子供相手にあんたはどうかと思うも、他に思い浮かばなかったので仕方ない。


えっと、おかあさんに言われて待ってます
その、おかあさんは何処にいるんだ?
あたたかい飲み物を買ってくるって、いきました

 嘘を付いている様子はない。

 だとすれば、気になるのはここに子供を待たせたということ。
 ここが目的地となると、ただのお客さんじゃないだろう。

どのくらい待っているんだ?
えっと……おかあさんと一緒に三十分くらい……一人で……十分っ!
 子供はピンクの腕時計としばらく睨めっこしてから、教えてくれた。

まじかよ……

(どおりで手が赤いわけだ)

 俺は立ち上がり、ポケットから携帯を取り出そうとして止めた。

 代わりに、握った鍵で扉を開ける。

入りな
あれっ? さっきおやすみって……?
お休みだよ。だから、金はいらない
う?

(言葉を喋れ言葉を)

……寒いだろ? 入れ

えと……いいんです、か?

 子供は丁寧な言葉と共に窺いを立てる。

 その年齢には不釣り合いな、卑屈な態度だった。

どうせ、おかあさんもここに用があるんだろ?
 俺はぶっきらぼうに説明し、頭に手を置いた。
それに風邪をひかれたらかなわない
 そのまま乱暴に撫でると、予想以上に冷たい感触。
わわわっ

 子供は言葉だけで驚いていた。

 幼いくせして、瞳は俺の真意を確かめようとしているようで生意気。
 

 けど、その〝歪さ〟は嫌いじゃない。

ちなみに、ロリコンさんじゃないよね?
ちげーよ。ってか、妙な言葉知ってんな

 幼い声には似合わない単語。

 そもそも、さん付けかよとツッコミ所があったものだから、つい乱暴な物言いになってしまった。

おかあさんに教えてもらいました

 けど、それを褒められたと勘違いしたのか満面の笑顔。

 その上、訊いてもいないことまで喋りはじめた。

話かけてくる男の人には、そういうのが多いから気をつけなさいって
あっそ
 あしらい、俺は店内に入る。後ろから、とことこっと子供がついてくる。

 とりあえずカウンターの電気だけつけて、暖房を入れ、お湯を沸かし始める。

紅茶は飲めるか?
あまいみるくてぃー?
充分だ
 俺は手早く紅茶の準備に取り掛かる。ポットに水を入れて、電子レンジにかける。台下の冷蔵庫から、牛乳と残っていたケーキを取り出す。

わー、すごい!
 丁度、子供の目の高さ。冷蔵庫の中を見て、歓声をあげる。
うちは少ないほうだぞ。つか、座って待ってな

 素直に驚いたり表情を変える仕草は微笑ましいが、危なっかしいので俺は椅子を指す。

 が、カウンターの椅子はどう見ても子供が一人で座れる高さではなかった。

……はぁ。ちょいと、失礼するぞ
わっ!

 俺は子供の脇に手をやって持ち上げる。

 あまりの軽さに予想以上に高く上がり、子供が驚きの声をあげた。

落ちるなよ。そいや名前はなんてんだ?

 椅子に運んでから、俺は今更な質問をする。

 あんた、よりはまともな呼び方ができるようになるのだから大事なことだ。

え~と、はつなです。しのみやはつな

 子供は名乗ると、フードを外した。

 予想以上に長い髪が広がり、子供とはいえ女だと思う。

はつな、ね
 背は俺の腰にすら届いていない幼児。とはいえ、受け答えを聞く限り小学校には上がっているかもしれない。幼児にしては大人しいし、しっかりと話ができる。
おかあさんは、つなって呼びます
つな、ねぇ
うー。かわいくないですか?
いや、いんじゃないか?
 俺の口から可愛いという単語はありえなかったので、そんな風に褒めるしかなかった。
おにーさんは?

 当然の返しにどうしようかと悩んでいると、ふつふつとお湯が沸く音が聞こえてきた。


(保留だな)

 俺は不慣れな笑顔を作り、電子レンジからポットを取り出し、湯を捨てる。そこに茶葉を入れ、湧いたお湯を注ぐ。

それで、おにーさんは?
 俺の手が止まるなり、同じ質問をしてきた。

 だが、俺は自分の名前が嫌いだった。古風で今時あり得ない。しかも、融通の効かない先生のせいで『クンクン』という呼び名でからかわれた記憶もある。

おにーさんだ
……そういうのが好きなの?
あん? どういう意味だ?
男の人はおにいちゃんって呼ばれたい人も多いっておかあさんが……
ちげーよ。そもそも、俺はおにいちゃんって呼べって言ってねぇだろ?

 俺は馬鹿みたいに、いつも通りの酷い口調。

 はつなの表情がわかりやすく恐怖に染まり、俯く。

 

……ごめんなさい
(ちっ。子供相手に、俺はなにをやっているんだ?)

 

 自問するも、答えは出てこない。

 結局、蒸らす時間を全て沈黙に使ってしまった。

ほらっ。できたぞ。……甘い、ミルクティーだ

 気まずさがでないよう、俺は優しい声音で置く。

 ――悪気はないんだ。

 口に出さずに思うだけ。自己満足の自己弁護。

わぁーっ!

 店と同じケーキセット。

 紅茶の甘さは割増しだが、はつなは目を輝かせていた。さっきの件を引きずっていないようで安心する。

……わたしが、食べていい、の?
 それとは裏腹な遠慮の言葉に、俺はつい吹き出してしまった。
あぁ、構わないぞ
わーぁっ! いただきます

 はつなは笑いだした俺を不思議そうに見上げていたが、長くは続かない。甘い香りに導かれ、目の前のケーキに口を付け始めた。

 俺はその様子に満足して、外に出る。

 あの子の言っていたことが確かなら、そろそろ母親が戻ってくる頃合だろうと。

はぁ……。そう言えば、久しぶりに家族以外と喋ったな
 だから、なんだって話なんだけど。

 あまりの寒さに戻ろうと扉に手をかけると、靴音が聞こえて来た。

秋葉先生?

 振り返ると女性がいた。

 手に二つの缶を持っていることからして、はつなの母親に違いない。 

 だが、その前にもう一つの心当たりを尋ねる。

父さんの知り合いですか?
えぇ。つまり、きみが『しーくん』ね

 その呼び名にムッとしてしまう。

 が、そのお陰で母さんとも顔見知りだと確信する。

母とも、知り合いのようですね
えぇ、高校の後輩
ぁー、とりあえず入りますか? 娘さんもいますし

 さすがに、母親の後輩に滅多な口は叩けない。

 つまり、満足な会話が俺にはできなかった。

あら? 見当たらないと思ったらそうなんだ
不用心っすね
そう、ね……

 こちらは単に口をついただけだったのだが、やたら重たい言葉が返ってきた。

 しまったと思うも、弁解する能力は俺にはない。

……どうぞ
 なので気付かなかったふりをして、扉を開ける。

 ドアの開く音、入り込んできた寒気のせいか、はつなはすぐに気付いて、口につけていたカップを置いた。

あ、おかあさん
やっほー、つな。隣、いい?
 ポットにはまだ紅茶が残っていたので、差し出す。
砂糖入ってますけど、よければどうぞ
あら、ありがとう
それでお名前は?
四宮和佳子よ。……さすが、先輩の息子さんね。この味、一緒だ

 ぶっちゃけ、甘過ぎると父さんや妹からは不満の出る味。

 母さんから教わったというか、さずかった甘党というべきか。


 ただ、和佳子さんは微笑んでいる。視線は既に俺を捉えておらず遠い。思い出に浸っているみたいだったので、そっとしておく。


 その間に距離を取り、携帯で家に連絡。

ぁ、母さん?

『しーくん? 遅いじゃない。どうしたの?』
店に母さんの後輩って人が来ててさ
『後輩?』
四宮和佳子さん

『しーくん。逃がさないですぐ行くから!』

 返事をする前に電話は切れた。

 そして、十分も経たない内に母さんは店に駆けつけて――

和佳子!
 ――いきなりの怒鳴り声。
すいません! 先輩!
 目の前で見慣れぬ体育会系的な構図ができ上がり、俺とはつなは黙ってその光景を眺める。
……

 それが中学三年の冬。

 俺と四宮初名の出会いだった。

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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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