迷導の森と森の賢者《執筆者:あかつきいろ》

文字数 5,960文字

「……きなさい。起きなさい、シオン!」

 

「う、うぅ……ここは一体……?」

 

シオンが目を覚ますと、そこは見たこともない森の中だった。一帯は雪に覆われ、雲に覆われた空からも吹雪と言わんばかりの勢いで雪が降ってきていた。

 

「分からん。しかし、このままここにいたのでは凍死してしまうかもしれん。取り敢えず雪を凌げる場所を探さなければならん。歩けるか?」

 

「うん、大丈夫。身体はなんともないよ」

 

 ジュリエットがどうなったのか、シェロたちは無事なのか、気になることは沢山ある。しかし、今はそれを語り合っている場合ではない。ここがどこなのか分からない以上、身を落ち着けられる場所を確保するべきだからだ。そう認識した和尚はシオンを促し、シオンもそれに応じた。

 しかし、この森を歩き回るのは中々の難題でもあった。降りしきる雪に視界は遮られ、同じような木々ばかり生えているせいでちっとも進んでいる気がしない。頼みの綱である足跡も雪によってすぐさま掻き消されてしまう。進むことも戻ることも難しいという、迷いこんだが最後という土地であることをシオンは気付いていなかった。

 

 歩けども歩けども同じ風景ばかり続く。飽きが来た、という訳ではないが何も思わずにいられるという訳でもない。それに積もった雪道を進むというのは体力が削られていく。少なくとも子供であるシオンにとって、この道程は厳しいものであると言わざるを得ない。

 しかし、それでも前に進むしかない。立ち止まっていれば、それこそ体力を徐々に削られ、最後には凍死か餓死かのいずれかに陥るだろう。そんな道を選ぶことはシオンはもちろん、和尚だって認められない。彼らは生きるためにその道を進んできたのだから。

 

「さ、寒い……」

 

「大丈夫、ではあるまいな……これを羽織っておきなさい。多少は寒さを抑えることが出来るだろう」

 

「で、でも、それじゃあ、和尚が……」

 

「なに、儂は大丈夫じゃよ。それに儂の予想通りならもうじき見えてくる筈じゃ」

 

「見えてくる……?一体何が」

 

「それは……いや、これは言わんでもよかろう。少なくともこの雪風が凌げる場所がこの先にある筈じゃ。それまで頑張れるか?」

 

「頑張る。頑張るよ。だって、まだこんなところじゃ終われない。まだ僕は何も出来てないんだから」

 

「その息じゃ。さぁ、行こうか」

 

そんな彼らの意思のお陰なのか?ともかく、彼らの行く先には木造のコテージのような建物があった。窓には光が灯っており、間違いなく誰かがそこにいることが分かった。

 

「おぉ、やっとか。中々長い道のりだったの」

 

「和尚、あれが和尚の言ってた場所なの?」

 

「そうじゃよ。さぁ、もう一踏ん張りじゃ、シオン」

 

 二人はなんとかコテージまで歩き続けた。なまじ希望が生まれたばかりに疲れを自覚してしまい、たどり着くまでにまたかなりの体力を消費した。それでもなんとかコテージまでたどり着き、和尚が扉を叩いた。暫くすると扉が開き、そこには白に近い銀色の髪を背中まで伸ばした青年がいた。

 

「……はい、どうかされましたか?」

 

「すまぬ!旅の者じゃ!申し訳ないが、少し軒先を貸してくれまいか!」

 

「こんな吹雪のなかで?それは大変だったでしょう。さぁ、中にどうぞ」

 

 青年は建物の中に入った二人を暖炉の前に促し、毛布を渡した。シオンは暖炉の暖かさにどれだけ自分が危機的状態だったかを理解した。青年はシオンにホットミルクを、和尚に白湯を手渡した。

 

「こんな猛吹雪のなかをお疲れ様です。しかし、何故この森にいらっしゃったのですか?」

 

「その事なのだがの……ここはひょっとして迷導の森なのか?」

 

「……ええ、確かに。ここは迷導の森ですよ。その事を知らずにいらっしゃったということは外の世界からいらっしゃったんですね」

 

「うむ、とある事情があってな。申し遅れたが、儂は深海和尚というものじゃ。こちらの少年はシオンという」

 

「これはご丁寧にありがとうございます。私はこの森でドルイドをしているアダム・クリフターと申します」

 

「アダム・クリフター……?まさかお主は」

 

「あの、ドルイドって何ですか?」

 

「ドルイドは人々の間で起こった争いの仲介をしたりしています。それと、ドルイド自身の役割ではありませんが森の管理も少々。この森は良くも悪くも人には厳しいですから」

 

「あの、この森ってなんていう名前なんですか?」

 

「この森ですか?この森は――――迷導の森ですよ。ある者を迷わせ、ある者を導く……少し変わった森ですよ」

 

 そう告げた青年――――アダムの表情に、シオンはどこか蠱惑的なものを感じた。しかし、それも一瞬だけのことであり、その後はアダムが披露する森の話に夢中になっていた。和尚が黙って考え込んでいることには気づくこともなく。

 

 暫くした後、さすがに体力の限界だったのかシオンは寝てしまった。暖炉の前で寝こけているシオンに毛布を掛け、アダムは和尚の目の前に座った。当然だ。そもそもアダムは(・・・・・・・・)和尚にのみ用があった(・・・・・・・・・・)のだから(・・・・)

 

「さて、それでは本題に入るとしましょうか」

 

「そうじゃのう。まさか『神々の寵児』に会う日がこようとは思わなんだがな」

 

「懐かしい呼び名ですね。もっとも、別の呼び名のほうがよく言われていますが……ご自分がどういう状況か、理解しておいでですか?深海和尚殿」

 

「分からぬ訳がなかろう……儂は死んでいる。すでに黄泉の国の住人……だが、それでは何故シオンがここにいるんじゃ?シオンは死んでいないはず」

 

「チャンネルの混線、といったところでしょう。あなたが死ぬ間際、彼も意識を失いかつあなたの傍にいた。だからこそ、彼もこの森に迷い出てしまった。まぁ、この森に迷い出る人というのは偶に現れるんですがね」

 

「それ故の迷導の森、というわけかね?」

 

「そうです。あなたも分かっているでしょう?この森の名前の意味を」

 

生者(ある者)を迷わせ、死者(ある者)を導く――――世界の理の外にある場所。『古代ルーンの担い手』であるお主が神々から守護を任された土地、であろう?」

 

「そうですね。ここは世界の外にあり、同時に世界の根源にある場所。それはここだけに限った話ではありませんが……ともかく、あなた方のしようとしている事も私は知っています」

 

「ならば、頼みがある」

 

「お聞きしましょう。ここはそういう場所ですから」

 

「彼らは屑神によってその運命を翻弄された者たちじゃ。どうかかの神を倒す手伝いをしてやることはできまいか?」

 

「……あなた方はどうも勘違いをしておられるようですね」

 

「勘違い?」

 

「そうです。そもそも神と人間は違う存在です。その在り方も、考え方も、我々とは違う領域に存在する。だからこそ、彼らと私たちはともにはあれない。生きる世界が違うというのはそういうことです」

 

 アダムは神々を否定しない。神々の在り方や愛は常人の在り方を超える。どうしたって人間の理解を超えた領域にそれは存在する。アダムはそれを理解し、知っているからこそシオンたちの思想に賛同することはできない。

 

「しかし、それは彼奴の非道を許してもいい理由にはなりはしない。今も虐げられている者たちがいる事は疑いようのない事実だ」

 

「確かにそれはそうなのでしょう。特にあの神はそういう一面が強い神ですからね。その非道を許せないと、その残虐さを認められないと思うのは至極当然のことでしょう。しかし、どうすると言うんです?」

 

「どうする、とは……?」

 

「神は死なない。基本的に彼らは不滅の存在だ。只人では届きえない領域に彼らは立ち、異能持ちといえどもその力量は天と地ほどの開きがある。当然です。彼らは世界の管理者だ。世界の運行を守る存在であり、その義務を履行し続ける限り彼らの特権は終わらない。

彼らは終わることを許されてはいない。最後など彼らにとって泡沫の夢ほどに遠いものでしかない。そんな神々を終わらされることが一体誰にできるでしょう?終わらせたとして、この世界の運行を誰が行うのか?それを考えてはいないのでしょう?」

 

「それは……」

 

行動には(Handlung)責任が(beinhaltet)伴うものです(Verantwortung)。倒せば終わりではない。かの神を下せば終わるわけではない。勝利を願うならば、勝利を収めた後のことも考えなければならない。それは勝者の当然の義務です。勝ってから考えればいい、などと言えるほどこの話は単純ではない」

 

「それはそうかもしれん。しかし、まずは勝つことを考えなければ始まらんだろう?」

 

「勝った結果、世界が滅びるなら同じことだ。それならば、たとえどれほどの絶望があろうとも存続させる道を人々は、世界は選択する。あなた方のようにあらがうことを選ぶような真似はしない。それでも尚、あなたはかの神の打倒を願うのですか?」

 

「………………」

 

 和尚は何も言うことができなかった。

 アダム・クリフター。ヒューマニーともメルフェールとも関係ない世界で生まれた奇跡ともいえる確率によって誕生した奇跡の命であったが故に、神々から寵愛を受けた者。だからこそ、神々の理不尽さも神々の愛も理解している。

 

 それ故に――――彼の言葉は重い。

 

「…………そうさのう。儂には何とも言えん事じゃの」

 

「そうでしょうとも。この問題はそれほど容易い話ではないのですから」

 

「しかし、この子は別じゃ。この子の仲間もの」

 

「シオン君……キングの魂を持つ人間ですか。確かに彼は類稀な異能力者でした。彼とジョーカーが手を組めば倒せずとも、眠らせることだってできたでしょう。しかし、今の彼にその力はない」

 

「器が開花しきっていないから……という訳ではなさそうじゃな」

 

「そうです。確かにキングもジョーカーも、そんじょそこらの異能力者とは比べ物にならない力を持っていました。しかし、それはただそれだけの事。その程度で勝てるほど、『神』という存在は易くない。彼らの優れていた点は異能などでは決してない」

 

 アダムはシオンに視線を向けつつ、そう言った。彼は長く森の管理者をしている。当然、ジョーカーとキングの事も知っているし、なんだったら話したことすらある。その経験があるからこそ、強力な異能を持つということ以上に重要なファクターを彼らが持っていたことを知っている。

 

「それは人を引き寄せる求心力です。彼らはそうあるだけで自然と人を惹きつけた。だからこそ、誰もが彼らを信頼し、力を貸したのです。まぁ、それを逆手に取られた結果が今という現状なんですが」

 

 誰にも知られない英雄はただの人だと、アダムは告げる。異能の開花、そして何より魂に刻み込まれた資質を目覚めさせることができていない今のシオンに勝ち目はない。

 なにせ、相手はどれだけ畜生であろうが『神』なのだ。世界の運行を管理する者を相手取るということは、即ち世界を敵に回すということと同義なのだ。少数派(マイノリティ)である今のシオンには勝利するための最低条件すら整っていない。

 

 これで勝てというほうが無茶だ。誰だってそう思う。長年、人と神を見てきたアダムだからこそ、尚更そう思うのだ。こんな状態で勝てるわけがないと。

 

「……今のシオンは可能性の種じゃ。これからどうなるのかなど、誰にも分からん。それこそ、神にもな」

 

「……その程度で神々に勝るのだとしたら、この世は神殺しに溢れているでしょうね」

 

「あの子は絆を紡いでいくじゃろう。いや、それはシオンに限らず、ヒマリもそうじゃろう。きっとあの子もメルフェールの地で新たな絆を紡いでおる事じゃろう。その可能性がその祈りと力がきっと世界を変える力となる。少なくとも儂はそう信じておるよ」

 

「可能性……智慧の実を食した人間が手に入れたものですか。あなたはそれを信じると?」

 

「お主は信じられぬのか?貴様と同じ名前を持った男が手に入れた新たな力を。新しい世界を切り開く力を」

 

「信じていない……訳ではありません。その力の凄さに関しては重々承知しています。それは私も見てきたことですから。それでも――――私が彼らに力を貸すことはない。もとより、それが神々(彼ら)との制約ですから」

 

「大変なんじゃの、『完全な人間(アダム)』殿は。いや、それが故というべきなのかの」

 

「……さぁ、どうでしょう?なんにせよ、彼らの行き着く先がどのような果てであれ、私は見る事しか許されない。それが私に与えられた唯一の自由ですから」

 

 その後、和尚とアダムは言葉を交わした。その話し合いで一体何を話していたのか、それは彼らにしか分からない。ただその話し合いの後、和尚は満足げな表情を浮かべ、アダムは苦笑を浮かべるのだった。

 

 話し合いが終わると、シオンと和尚の体は粒子に変わりこの世界から消失した。アダムはそれを見届けると、戸棚の中に入っていた瓶を取り出した。それを木製のグラスに注ぎ、仰ぐように一気に飲み干した。それはまるで鬱憤を晴らすための行動のようで、彼を知る者からはらしくないと思えてしまう光景だった。

 

「どうしたよ。ずいぶんと荒れてるじゃねぇか。珍しいこともあるもんだな」

 

「……何か用ですか?オルフェウス。あなたのご主人が選んだ存在はとうに帰りましたよ」

 

「分かってるよ。だから、待ってたんだしな。今日はただ酒を楽しみに来ただけさ」

 

「そうですか……」

 

「まぁ、何話してたかなんて聞かねぇ。ただ……愚痴ぐらいは聞いてやる。お前さんだっていろいろと大変だろうからな」

 

 その男――――吟遊詩人オルフェウスの言葉に、アダムはどこか救われたような気持ちになりながら酒を飲み交わすのだった。
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