41話① 【変】火縄銃の故郷「国友村」
文字数 1,040文字
ああ。
火縄銃は種子島に伝来した後、国産化に成功。
その後、堺や国友村、根来で作られたといわれとるんよ。
堺はいまの大阪府堺市、国友村は滋賀県長浜市国友町、根来は和歌山県岩出市。
なので、いずれも関西いうことじゃな。
そのへんは鉄が取れるかどうか、原料が入りやすいかどうかの違いじゃろうな。
で、さっきいうた三大生産地の中でも、堺と国友村がとりわけ二分しとったそうな。
ああ。
堺の方は商人の街らしく、華美な仕上げが多かったそうな。
一方、国友村は昔から鉄の生産や鍛冶が盛んなところじゃったんで、機能性重視じゃったそうな。
なので、機能性重視の織田信長は少々落としたぐらいではびくともしない国友村の鉄砲を好んだといわれておるな。
それについては、地の利もあったじゃろうな。
なにしろ国友村周辺は鉄がとれやすい地形じゃったそうなけえな。
くわえて、生産したものの輸送については、琵琶湖の水運が利用できる。
琵琶湖を使えば京・大阪という大都市もわりと近いという寸法よ。
おう。
それが国友村、いまの滋賀県長浜市国友町にある「国友鉄砲の里資料館」よ。
これがそうじゃ!
当たり前じゃ。
歴史好きのわしが行かんでどうするんよ?
歩いては無理じゃろうな。
なにしろ長浜駅からバスで5~10分かかるところじゃけえな。
思いっきり住宅街の中じゃけえ、迷うこと必至じゃろうて。
むろんわしは事前に調べて、レンタカー使うて行ったわ。
そのへんはぬかりなしじゃわ!
ここでは国友に残っとった火縄銃を大量に展示しとるんじゃ。
他にも口径3.2cmの大筒があったり、実際に鉄砲を担げるコーナーもあったりと、なかなかのものなんで。
博物館の人からも「商業利用でなければ問題ない」という許可をもらっておるんで、次のページではその火縄銃を紹介しようかの!