夜は静かに眠りたい

文字数 2,598文字

 部屋の灯りを消して布団の中に潜り込んでしまえば、あるのは窓から入ってくる外の灯りのみで、ここは静かで薄暗い部屋になってしまう。この家の周囲には当然人家などなく、普通に人が寄り付くような場所でもないので、虫の鳴き声が時折聞こえてくる以外は静けさが落ちる。
 こんな夜をもう何回繰り返しただろうか。
 国から捕まりこの家に放り込まれた当初は、こんなに長く住む気もなかったというのに。
「明日は、ちゃんと起きてくださいね」
 暗闇の中でぽつりとこぼされる彼の声。
 布団に入ってもすぐには眠らないカトレアのことを知っているから、いつも眠るまでは他愛ない会話が続く。
 彼は毎日のように同じ事を言うけれど、それが守られた試しはなかった。
 明日もやはり寝起きは悪いし、そんなカトレアを彼は怒るのだろう。
 本当はこんな毎日は早く終わらせなければならない。
 ちらり、と側に立っている男を見る。
 恐ろしいほどに綺麗な男。本当に全く何も、賢者のことや己の名前すら覚えていなかった……この家の最初の客。
 何の記憶もない状態からは、この家ではどうやっても案内など出来なかった。かといって適当に行き先を言うわけにもいかない。わからないまま、時間は過ぎる。霊が存在できる限られた時間が。
 最後の手段で、命を繋いだ。死霊だったならそれはカトレア自身が死ぬまで相手をこの世に繋いでしまうが故の禁忌も孕んだ方法で、それでもこの手段を取れば一つだけ確実に解ることがある。
 生き霊か死霊か。
 死霊ならすぐカトレアが死ねばそれで終わった。
 でも彼は生きている。繋いでしまったからわかる。今もまだ生きている。
 何年も意識の戻らない身体をどう管理されているかは知らないが、少なくとも命を繋いだ後もずっと彼は生き霊だった。死霊であればカトレアが自死すれば終わる案内は、彼の身体を実際に見つけるまでは終わらないことになった。
 命を繋いでしまった場合、その生き霊を元の身体に返すには、繋がっているもう片方、つまり彼の身体に触れなければならない。いつも通りただ行き先を言ってもカトレアとの繋がりが阻害して元の身体へ戻れないのだ。しかも生き霊として繋ぎ止める事は出来るが、同時にもし身体にたどり着く前にカトレアが死ねば、繋がっている彼も影響を受けて死んでしまう。
 これだけ完全に閉じ込められているからには恐らく、この家から出たら最後、カトレアは高確率で処刑されるのに。
 もしかろうじて処刑がなくとも、逃走すれば次は今以上に自由のない牢獄だろう。
 彼を生かすならば、カトレアは少なくともこの家から逃走した後、彼の身体に触れるまで捕まるわけにいかない。その後はどうなろうとどうでもいいけれど、行くあてもない状態で家を出て、身体を見つけられるまでずっと逃走なんて行為は、色々な要因で無理だと分かっている。捕まるまでに見つける、なんてあてのないものに彼の命を賭けるような、そんな博打はできない。
 彼の身体にまでは、先に場所さえわかれば、準備をしておけばどこであろうとどうにか行けるだろう。
 でも、それは片道切符だ。彼を戻した後に逃走をし続ける気はないし、それが出来るなら今頃この家を出て、逃走しつつ身体を探している。その方が効率がいい。
 そして今に至る。
 未だ、その身体の手がかりどころか、彼の正体の手がかりすら、見つからない。
 ここを出るときは彼の身体が見つかる時だ。それは彼との時間の終わり。
 カトレアがずっと探し続けている男。
 毎日握りつぶす、三枚目の紙。案内が終わらない客。
「気持ちいいことをされれば、気持ち良く起きるかもね?」
「まだしませんよ!?」
 どんなに鮮明でも、絶対に触れられない霊。
 自分が霊である自覚が極端に薄い霊。
 記憶がないせいだろう。
 カトレアの元に来られたことすら、偶然の僥倖だったようだから。
「つまらない男ね」
「本気の相手には真面目なだけです」
「つまり遊び相手には」
「そんな相手いませんから」
「寂しいわね」
「貴方がいれば寂しくないですよ。そろそろ本当寝てください」
 捕まる際に罪の内容に関し伝えられていないのでこれは予想でしかないけれど、王家の不祥事を知ってしまった故にこの家に捕らわれた。
 それでも最初はいつ死んでもいいと……この生活に飽きたら逃げ出し処刑されればいいと思っていたカトレアを、その存在で繋ぎとめ続けている彼は、自分が何をされたかも解っていないままだ。身体がないからなのだろう、生身であれば疑問を感じるはずの事も、霊は疎い。自分がずっと食事をしていないことも気にしないし、移動で常に後ろに置かれる理由も気づかず、さっきの話をしてすら自分の有り様に何も思わない。
 霊はそういう存在だ。だから多少は救われている。
 知れば軽蔑するだろうか。
 知れば怒るのだろうか。
 それでも、身体に返してしまえば、全部無かったことになるのだ。
 彼がこの家で言ったこと全て。
 そして彼のその先の時間にカトレアはいない。
 彼を戻した後、逃走した賢者を再度捕獲に来た兵は、きっと彼の見えない場所にカトレアを連れて行くだろう。この数年という時間で彼と積み重ねた今の関係は、生身でも同じく時間をかければ成立するものだが、その時間がカトレア達にはない。
 仮にあったとしても関係ない。
 生き霊であった時に仲が良かった? 戻すまでに命を削って捧げた? そんなもの、戻った彼と何の関係があるのか。戻れば全部忘れている。何より、今はわからないだけで、きっと生身の彼には彼の生活がそこにはあるし、今や国からは罪人扱いであるカトレアがそこに入り込むべきじゃない。
 今この状況だったからこそ出来てしまった青年との時間、今の関係は、普通の案内でなら起こらなかった。
 この家で起こっていることは、彼にとっては夢よりも遠い出来事でしかない。カトレアにとっては現実であっても。彼は全て忘れる時間。
 そんなものを主張して彼を求める気はないのだ。
 戻った後は、幸せになってくれれば、それでいい。
 何も知らないままでいい。
 今までの事も、その後のカトレアの事も、知らないままでいい。
 未来で、この男が幸せに生きること。それだけをカトレアは望む。それが叶うなら、カトレアは誇らしく死に向かえる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 カトレアは、彼を身体に戻すためだけに、この家で生きている。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み